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  • 【2006年12月20日】

    『国連と地球市民社会の新しい地平』に藤田幸久が執筆

    「国連と市民社会― 議会、NGO、市民の連携による和解と紛争解決」

    東信堂
    2006年12月20日出版

     
    『国連と地球市民社会の新しい地平』
    著者/訳者名 功刀達朗/編著 内田孟男/編著
    出版社名 東信堂
    発行年月 2006年12月
    book3
    ●本の内容

    21世紀における地球ガバナンスには、国家、国際機構、議会、市民社会、NGO、草の根運動、民間セクター(ビジネス)、認識共同体といった多様なアクターの協働が必須であり、アクター間のシナジー、すなわち相乗効果を生む協働が有効かつ不可欠である。このような認識を共有する執筆者は学者、研究者、政治家、政策担当者、実務家、国連職員、ジャーナリスト、NGO活動家を含み、地球的課題の多様性に匹敵する多様な観点と展望とを提示している。

    [目次]

       第1部

    変動期の国連―挑戦と対応(国連のアイデンティティ・クライシス
    構造転換する国連―フィールド・システムの形成と多様なアクターの連携 ほか)

       第2部

    多様化するアクター(市民社会と災害救援―Civil Societyとは
    情報ネットワーク時代の国連・企業・市民社会 ほか)

       第3部

    企業とのパートナーシップ(国連とビジネスのパートナーシップ―企業の社会的責任(CSR)のより深い制度化を模索する 市民社会と企業の社会的責任 ほか)

       第4部

    地球環境への取り組み(今、なぜ地球憲章か
    人間と地球環境の安全保障を考える ほか)

       第5部

    紛争解決へのイニシアティブ(国連と市民社会―議会、NGO、市民の連携による和解と紛争解決 国連改革と紛争予防―市民社会の挑戦 ほか)

     紛争やテロ、自然災害などが続出する世界にあって、各国の利害調整以上に、地球社会の公共性やリーダーシップが求められる国連と、NGOや企業、メディアなどの市民社会との連携のあり方を、様々な分野の専門家が共同執筆しました。

     日本赤十字社の近衛忠輝社長、国連の神輿隆博次席大使、NHKの道傳愛子さん、難民を助ける会の長有紀枝さんなどです。

     国際キリスト教大学の功刀達朗教授(元国連事務次長)と中央大学の内田猛男教授が編纂しました。

     藤田幸久の章を、以下掲載いたします。ご意見などお寄せいただければ幸いです。

    国連と市民社会
    ― 議会、NGO、市民の連携による和解と紛争解決

    藤田 幸久
    1.はじめに

     191カ国の政府によって構成される国連は、本来、国家(政府)連合(United Nations)である。しかし、第二次世界大戦の処理を主要目的に設立された国連は、冷戦終結後は、国家(政府)間の紛争や問題よりも民族や宗教などによる地域や国内での紛争や、貧困、エイズ、地球温暖化、地震、津波など国境を超えた問題への対応に大きく関わる状況になった。それに伴い、国連は各国や地域の市民社会との連携や、協働が不可欠となり、市民社会とのより効果的な分業や協働のあり方を構築することが国連活動にとって緊急の課題である。

     こうした、国連活動に関わる市民社会のプレーヤーを大別すると以下に分けることができる。

    1. 市民(国民)によって選出され、市民の意思を反映し、法律や条約などを決定する国会議員
    2. 市民(国民)自らが、特定の目的を持って活動を行うNGO(非政府組織、国連憲章第17条にも規定されている)
    3. 特定の目的を持ち、独自のネットワークや領域で活動する市民(国民)

     そこで、紛争解決NGOの草分けであるMRA(Moral Re-Armament、道徳再武装、現在はInitiatives of Change, IC)と、日本初の難民支援NGO「難民を助ける会」の創設メンバーとしての活動を経て、国会議員として活動した私の経験も踏まえて、これらのプレーヤーによる協働のあり方を模索してみたい。

    2.MRAによる和解と紛争解決活動

     冷戦以降、とりわけ9.11の同時多発テロ以降の紛争やテロは、憎しみの度合いと宗教、民族、ナショナリズムなどの間の衝突が激しさを増し、世界的スケールで市民社会に深い傷を負わせている。そこで、第二次世界大戦の荒廃の中から、国の指導者と市民が、自らの立場を超えて和解と紛争解決に全力を傾注したようなスケールでの協働が必要ではないかとの認識から、以下これまであまり知られていない第二次大戦後の事例を紹介したい。

     MRAは、アメリカの牧師フランク・ブックマン博士によって1938年にスタートした。当時、各国は軍縮会議などで艦船の割合を規定しようなどと唱えていたが、実際には各国とも軍拡の道を突き進んでいた。そこで博士は、軍備増強(Military Armament)に代わる、道徳と精神の再武装(Moral and Spiritual Re-Armament)が世界の平和と繁栄のために必要だとの理念を訴え、各国に強い信頼関係を持つネットワークを構築した。

     数年後に大戦は勃発するが、終戦直後から各国の関係者が、戦った国同士の和解を目指す活動を開始した。

    (1) ドイツとフランスの和解の仲介

     ドイツとフランスは、普仏戦争、第1次大戦、第2次大戦と三度の大規模な戦争を戦ってきた隣国である。大戦終結翌年の1946年、MRAはスイスのコー(Caux)で和解を目指す国際会議場をオープンした。ここを訪れたブックマン博士が先ず発した言葉は、「ドイツ人はどこにいるのか?」だった。そして、「ドイツを抜きにして欧州の再建はない」という強い信念のもと、ドイツ人の参加を働きかけた。

     当時ドイツ人は、占領軍当局の許可無しに出国は許されなかった。そこで、戦争中に反ナチスの活動を行ったと証明された11人のドイツ人が許可されて1946年9月にコーを訪れた。これを機に1951年までの間に各界から3113人のドイツ人と1983人のフランス人がコーを訪れた。両国の政治家、経済人、労組幹部、教育者、牧師、マスコミ関係者などが、毎年50カ国500人程の人々と共に参加した。アルプスの絶景を望む別世界のような建物で寝食を共にし、食事つくりや皿洗いも参加者が一緒に行うという雰囲気の中で、多くの深い和解が生まれた。

     その中でも最も劇的な和解は、フランスの女性国会議員のイレーヌ・ロー夫人の行動であった。戦争中に子供達が目の前でナチの秘密警察ゲシュタポに拷問されたロー夫人は、同じ建物の中にドイツ人が多数いるのを知り、直ちに帰国しようとした。しかし、ヒットラーの暗殺計画に加わった夫が処刑されたトロット夫人が、「我々ドイツ人がより早くヒットラーに抵抗しなかったことをお詫びします。」と謝ったことが大きな衝撃を与えた。3日間の葛藤の後、ロー夫人は「私はドイツを憎みヨーロッパの地図から抹消したいと願ってきました。しかし、憎しみは新たな対立をもたらすだけです。憎しみに勝つのは愛しかありません。」とドイツ人全員に謝罪した。その後、ロー夫人はドイツ全土200箇所を訪問し、廃墟と化した国土復興にあたる市民に謝罪をして回り、市民レベルでの和解に大きく貢献した。

     コーへのドイツ人の出席は、マーシャルプランを提唱したアメリカのマーシャル国務長官も支援した。ブックマン博士はフランスのシューマン外相と度々会って、外相がドイツに対する許しへと転換することに大きく貢献した。1948年にコーを訪れたドイツのアデナウアー議会議長(後の首相)とシューマンとの間の信頼関係をブックマン博士が醸成し、この二人を中心に1951年にヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約が調印された。

     この6年間に両国の多くの鉄鋼、石炭産業の労使幹部がコーを訪れ、帰国後MRAの劇を上演するなどの活動も行い、例えばルール地方での共産党の組織率が72%から25%に下がるなど労使協調が深まり、ECSCの現場での受け入れにも貢献した。ECSCは、やがてEEC、ECを経て今日のヨーロッパ連合(EU)が実現した。

     これらは、Douglas Johnston 著 Religion, The Misssing Dimension of Statecraft」(Oxford University Press 1995)、邦訳『宗教と国家』(PHP出版 1997年)及び、『紛争解決におけるNGOの役割に関する基礎的調査』(総合研究開発機構1995年)に詳しい。

    (2)戦後日本の国際社会復帰への橋渡し

     マッカーサー司令官が戦後初めて日本人の出国を認めた大型使節が、1950年コーのMRA会議に参加した日本の代表団である。北村徳太郎議員、中曽根康弘議員など国会議員7名、浜井信三広島市長、大橋傳長崎市長や長崎、広島などの知事数名、石坂泰三東芝社長、弘瀬現日本生命社長などの財界人、西巻敏男海員組合委員長など労働組合幹部、教育者や青年代表など72名である。コーでの独仏和解の生々しい現場に触れるとともに、パリやベルリンなどを訪問して復興状況を直接視察できた。

     一行は欧州から米国に渡り、上下両院で北村徳太郎、栗山長次郎議員が演説を行った。議場内での外国人による演説は史上初の出来事であった。吉田茂首相の代理として栗山議員が行ったアメリカに対する謝罪演説を、ニューヨーク・タイムズ紙は、「広島と長崎の市長も一行に含まれていた。彼らの方でも許すべき何かを感じてくれたとすれば、大変な奇跡といえよう」と報じた。広島の浜井市長は、ロサンゼルスで「私たちは、誰に対しても恨みは抱いておりません。同じことが二度と起こらないようにあらゆる努力を払ってほしいということです。」と語った。この訪米は、広島の原爆記念碑の『過ちは繰り返しませぬから』という自省的な碑文作成に影響を与えたと言われる。

     これらについては, Basil Entwistle 著Japan‘s Decisive Decade (Grosvenor Books 1985)、邦訳、藤田幸久訳『日本の進路を決めた10年』(ジャパン・タイムズ 1990年)に詳しい。

    (3)岸信介元首相のアジア和解外交の支援

     岸信介元首相が、首相就任直後の1957年に2度にわたり東南アジア・大洋州15カ国を訪問し、多くの国々で謝罪して信頼関係を築いたという歴史は、あまり知られていない。1957年2月に就任した岸総理は、5月にビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、台湾を歴訪し、アメリカ訪問をはさんで、11月には、ベトナム、カンボジア、ラオス、マラヤ、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンを歴訪した。東條英樹総理が戦争中にマラヤを訪問した以外は、明治以来日本の総理がこれら15カ国を訪問したのは初めてという歴史的なものであった。

     「私はどこの国に行っても、戦争中迷惑を掛けたことを詫びると同時に、今後平和裏に繁栄の道を進もう、という話をしてきた」と帰国後総理は語った。特に2回目の訪問国には、フィリピンやオーストラリアなど反日感情の強い国々があった。険悪な空気を聞いた加藤シヅエ議員(社会党)や尾崎行雄の三女の相馬雪香(現、難民を助ける会会長)などのMRA関係者は「通商条約などの経済的配慮よりも、訪問国の国民の気持ちを優先することが大切である」と岸首相に進言した。また、オーストラリアの在郷軍人会は岸総理を戦犯として批判していたが、ブックマン博士と親しい若手外交官のアラン・グリフィスなどの説得によって、訪問受け入れに転換していた。

     オーストラリア議会における岸首相の謝罪は劇的な反応を生み、しかも、これは「一国の首相が行った行動としては、最も特筆すべきものである。」(ワシントン・イブニング・スター紙社説)などと米国のメディアが報道したり、豪州駐在のドイツ大使が、「日豪関係を180度転換する基礎を作りあげた」と本国に報告するなど、世界中へと反響が及んだ。そして、この歴訪をはさんで、フィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアの順で賠償問題の決着にこぎつけることができた。

     また、当時、日韓国交樹立に向けての交渉が暗礁に乗り上げた際には、社会党の加藤シヅエ議員に対する国会答弁の中で、岸首相が久保田発言の撤回と韓国に対する財産請求権の放棄を表明することによって事態を解決するという、超党派による打開も行われた。

     これは、藤田幸久「岸信介・アジア和解外交の検証」(「中央公論」2006年6月号)及び、『日本の進路を決めた10年』(前述)に詳しい。

     以上の三つの事例は、以下の点が特徴的である。

    1. 独仏和解と日本の国際社会復帰は、ドイツも日本も、外務省や在外公館などがほとんど存在しないという困難な状況の中で、議員やMRAなどのNGOを中心に実現できた極めて稀な成功例である。
    2. 国連組織も未発達のこの時代に、議員とNGOが市民社会(国民)の声を反映できる行動ができた。
    3. 明確で大胆なゴール、それを成し遂げる政治的意思、立場の異なる国々が共通に受け入れられる道義的価値、個人レベルでの傷を癒す深い和解、立場を超えた仲介者のネットワークが存在した。

     9.11以降の深い憎しみと、手段を選ばぬテロが世界各地に連鎖反応する状況に対応するには、国連と世界の市民社会による、こうしたスケールの連携による和解活動が必要と思われる。

    3.オタワ条約はNGO、国会議員、外交官、マスコミによる連携プレー。

     近年の日本における国会議員とNGOの連携による人道援助問題の成功例は、日本のオタワ条約調印への道のりである。1996年10月の国会議員としての私の初仕事が対人地雷禁止問題であった。「難民を助ける会の絵本『地雷ではなく、花を下さい』の売り上げでカンボジアの地雷除去活動の支援ができます」、と国会議員に呼びかけると、約半年間で全ての政党の国会議員に4千冊ほどが売れ「国会のベストセラー」となった。

     次に私は、「国連で地雷全廃の共同提案国になりながら、いまだに地雷製造を続け、自衛隊も100万個程の地雷を保有する」という日本政府のダブル・スタンダードの矛盾を国会で追及した。そして、この絵本を購入した議員を中心にして超党派の議員グループの結成に動いた。当初自民党の議員には,党の幹部からストップがかかった。オタワ条約に加わることは、地雷製造の中止という政府予算の変更につながるので賛成できない、という理由であった。

     この時に、後に議員連盟の会長に就任した小坂憲次代議士(太陽党、前文部科学大臣)による働きかけで参加を決めてくれた最初の自民党議員が、中谷元代議士(後の防衛庁長官)であった。しかも中谷議員は陸上自衛隊出身であった。陸自での地雷の埋設訓練を通じて、対人地雷の残虐性を認識するようになり、カンボジアで一般市民の地雷被害を目の当たりにし、「国防上の問題はあっても、対人地雷は人道的に使うべきではない」と考えていた。

     更には、防衛庁長官経験者の中曽根康弘元総理をはじめ、海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜、村山富一の首相経験者も賛同し、超党派の国会議員385人がオタワ条約調印賛成の決議に署名してくれた。軍縮問題ではなく、人道問題としたことが広い支持を集め直ちに「対人地雷全面禁止推進議員連盟」も結成された。私たちは、1997年6月に、日本政府がオタワ条約に調印すべきという385人の署名による陳情書を橋本龍太郎総理に提出した。

     この同じ日に、外交史上極めてまれな出来事が起こった。ベルギー、カナダ、デンマーク、オーストリアなどの駐日大使数人が、ベルギー大使館で共同記者会見を開き、日本政府にオタワ条約調印を求めるアピールを出したのである。駐日大使数名が、赴任国の日本政府に対し、政策変更を求めるというのは前代未聞のことであった。

     こうした状況の中で、9月に就任した小渕恵三外務大臣が、「カンボジアで地雷除去に協力している日本が、オタワ条約を認めないというのは筋が通らない」とオタワ条約に前向きな姿勢をとったことが、日本政府を動かす最後の決め手となった。10月には地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)というNGOとそのシンボル的な女性活動家ジョディ・ウイリアムスがノーベル平和賞を受賞した。そして、11月には、このICBLの代表としてカンボジアの地雷被害者で両脚のないキュー・カナリット氏が車椅子で来日し、日本のNGOが集めた地雷全廃を求める3万5千人分の署名を、私たち「対人地雷全面禁止推進議員連盟」幹部が同行して小渕外務大臣に手渡すことができた。

     小渕外相が久間防衛庁長官とのトップ会談で防衛庁を説得してオタワ条約参加を決定し、小渕外相が12月4日にオタワで条約に署名を行う前日の12月3日に閣議決定が行われた。日本は120カ国余りも署名したこの条約に、駆け込みで面目を保つことができたのである。NGOを中心に政治家、在日外交団、マスコミを含むネットワークを形成して、防衛庁を包囲して日本政府の政策転換が実現した劇的な瞬間であった。

     以上は、足立研幾『オタワ・プロセス』(有信堂光文社2004年)、藤田幸久『政治家になりたくなかった政治家』(ジャパン・タイムズ 2003年)に詳しい。

    4.沖縄サミットにける最貧国債務帳消しキャンペーン

     オタワ条約に次ぐ、議員、NGO、宗教家、学者、マスコミなどの国際的連携が、「ジュビリー2000」と呼ばれる、最貧国債務帳消しキャンペーンである。

     「2000年までに最貧国の返済不可能な債務を帳消しにしよう」という運動は、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がキリスト生誕2000年を祝う、Jubilee(大赦)に向けての呼びかけを行って以来、世界のキリスト教会や、国際自由労連、世界医師会などが参加し、国際的なNGO「ジュビリー2000」が結成され、世界の70カ国余りにその活動が広がった。

     日本でも、1998年10月に「債務帳消しキャンペーン日本実行委員会」が設立され、白柳誠一枢機卿(カトリック東京大司教区)、鷲尾悦也(連合会長)、北沢洋子(IMF・世銀を問う連絡会)の3氏が共同代表となった。この問題に賛同する国会議員も増え、1995年5月14日に「最貧国の自立支援と債務帳消しを考える議員連盟」が超党派で設立された。会長:羽田孜、会長代理:土井たか子、浜四津敏子、堂本暁子、事務局長:小宮山洋子の構成であった。私は幹事として趣意書などの原案作りを行った。

     1999年のケルン・サミットでは、ODA債権を100%放棄するという「ケルン債権イニシアチブ」が決定され、以後債権放棄を宣言するサミット参加国が増え、日本だけが孤立する状況となった。2000年は日本が議長を務める沖縄サミットの年だが、近年「人間の鎖」として数万人規模でサミット会場を包囲したNGO関係者が沖縄サミットに押しかけるといったうわさも流れ、日本に対する内外の圧力が急速に高まった。

     そこで、議員連盟は2000年3月30日に、「債務帳消しキャンペーン日本実行委員会」の白柳誠一枢機卿(カトリック東京大司教区)と北沢洋子さんとともに、総理官邸で小渕総理に申し入れを行った。急な総理日程のため羽田孜会長他の日程調整がつかず、数名の超党派の議連メンバーの代表として私が主な説明をおこなった。私の隣に座ったこの日の小渕総理は極度に疲れて見えたが、この2日後に脳梗塞で倒れ、4月13日に不帰の人となった。

     しかし、7月21日付けで発表された沖縄サミットの蔵相報告書「貧困削減と経済発展」は、ケルン・サミットから大幅に後退したものであった。債務帳消しを決めた他の参加国の主張を、議長国日本の大蔵省が抵抗して押し切った形だが、「貧困」の解決が世界全体の安全にとっていかに重要であるかは、2001年の9.11同時多発テロ以後、「テロの温床としての破綻国家」への対応といった観点からもより強く認識されることとなった。

     そして、2002年12月10日、日本政府は、それまで日本だけが実施してきた「債務救済無償援助スキーム(TDB)」を廃止し、2003年4月から日本が重債務貧困国(HIPCS、及びHIPCS以外の低開発国(LDCS)の中でTDB対象国になっている国(バングラデシュ、ネパール、ラオス、イエメン、ボツワナ)など、32カ国に持っている円借款、つまりODA債権を100%放棄すると発表した。条件付き内容は充分満足できるものではなく、また、ミャンマーの巨額な債務の帳消しが最大の目的であった、と言うむきもある。

     しかし、この政策転換は、ケルン・サミットで小渕首相などG7首脳が合意した内容がやっと実現したものであり、日本ジュビリー2000のキャンペーンが、1998年10月以来小渕首相、森首相、小泉首相に要請してきた成果である。日本ジュビリー2000の粘り強い活動を高く評価したい。

    5.NGO、国会議員、政府の三者協議による政策立案の増大

     これまで述べた国際的な政策ばかりでなく、近年、圧力団体が族議員や関係省庁に働きかけるという従来の政策立案過程に大きな変動が見られる。最近は、地球温暖化枠組み条約(京都議定書)、ハンセン病、C型肝炎、脳死と臓器移植問題、シックハウス問題、耐震強度問題、BSEや食の安全問題、中古家電品の販売(PSE法)問題など、さまざまな政策に関して、業界や特定利益を超えたグループや消費者側の立場に立つNGOが政策提言を行っている。

     国会で、国会議員が仲立ちをして、NGOが関係省庁と直接やりとりを行なう光景が増大している。しかも、例えばシックハウスの場合は国土交通省、厚生労働省、経済産業省などの役人が一緒に同席するので、普段は縦割りで交流の乏しい役人同士が、同席する国会議員の前で政策調整を行う場面もある。これまでは門前払いをくらってきたNGOが、国会議員立会いのもとで、専門の知識や経験を生かして国会議員に代わって質問できることが大きい。国会議員ならごまかせても、専門家はごまかせずに、省庁間の矛盾を指摘されて立ち往生という場面も少なくない。

    6.議会、政党、NGOの連携による紛争解決や民主化支援

     欧米先進諸国では、議会の承認に基く政府予算による民間の財団(NGO)等が設立され、議会や政党と連携して、紛争解決や民主化支援、開発援助、災害支援のような活動を行っている。

     こうした財団のさきがけはドイツである。ヒットラーによる過ちを繰り返さないために、戦後各政党が政党ごとの独立した財団を立ち上げた。もともとは議会制民主主義を定着させることを目的にしていたが、1970年代に、ナチスとイタリアのファシスト党の支援で樹立され、戦後も生き残ったスペインとポルトガルの独裁政権を民主化することに成功を収めた。1982年にアメリカのレーガン大統領がイギリスを訪問した際、スペインとポルトガル民主化に関するドイツ各政党の財団の貢献を讃え、これを機に、1983年アメリカ議会で法案が通り、政府予算による米国民主主義基金(National Endowment for Democracy, NED) が設立された。1990年代になると、他の欧米諸国でも、議会の承認と公的資金による財団(NGO)が次々と設立された。フランス、イギリス、カナダ、オランダ、スカンジナビア諸国、オーストラリア、ポーランドである。大統領制か、議院内閣制か。二大政党か、多数政党か。税制や市民社会の歴史によって各国で異なる形態をとっている。更には、台湾、韓国でも設立された他、タイでも設立の準備が進んでいる。

     こうした各国における事例や活動内容などについて研究するシンポジウム「議会とNGOの連携による紛争解決、民主主義支援 - 冷戦後の新しい外交イニシアチブ」が2002年11月に憲政記念館で開催された。NEDのカール・ガーシュマン会長と親交のあった河野太郎衆議院議員と私、ミャンマーの民主化支援などを行ってきた菅原秀さんなどが中心になって準備にあたった。シンポジウムに間に合わせるように、ADP委員会(Committee to Aid Democracy for Peace Building)というNGOと、ADP支援議員の会(Diet League to Aid Democracy for Peace Building)という議員グループを立ち上げて、国会と唯一関係のある財団、尾崎行雄記念財団との三者による主催となった。ADP支援議員の会は谷川和穂衆議院議員が代表、羽田孜元総理が代表代理となり、後に、綿貫民輔衆議院議員(後に議長)が代表に就任した。 

     各国からは、NEDの他、フリードリッヒ・エーベルト財団(ドイツ)、ジャン・ジョール財団(フランス)、超党派のための民主財団(NIMD,オランダ)、国際民主選挙支援財団(IDEA、スウェーデン)などの欧米の財団に加えて、マレーシアニキ(マレーシア)、自由と責任のメディアセンター(フィリピン)などアジアのNGO,日本からも日本国際ボランティアセンター(JVC)、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、インターバンドなどのNGOが出席した。

     ナンシー・カッセバウム・ベーカー元上院議員(ベーカー駐日大使夫人)は、アメリカNEDの設立に関して、当初権限縮小を恐れた国務省が反対したが、トーマス・フォーリー下院議員(後に駐日大使)などと、設立の必要性を議会で粘り強く説いて立法化を実現した、という経験を披露してくれた。各国とも、最初は外務省などが反対し、設立の意義や政府予算の必要性について疑問を感じる国会議員もいたが、最後には設立に至っている。しかも、フランスの財団にはフランス外務省の外交官が出向するなど外務省とNGOとの緊密な連携が確立している。対人地雷禁止条約(オタワ条約)も、カナダ外務省とNGOとのチームプレーで行われた成功例である。

     各国のこうした財団の状況は以下の通りである;

    (1) ドイツ

     フレードリッヒ・エーベルト財団(社会民主党)、コンラッド・アデナウアー財団(キリスト教民主同盟)、ハンスザイダル財団(キリスト教社会同盟)、フレードリヒ・ノイマン財団(自由民主党)、ハインリッヒ・ボル財団(緑の党)、ローザ・スクセンブルグ財団(民主社会党)の6つの「政党財団」があり、最大のエーベルト財団の年間予算は1億1千ユーロである。

     1998年には「公的資金による政党財団の活動に関する共同宣言」が行われ、政党財団が法的にも実質的にも政党から独立しなければならないことを義務付けた。つまり、これらの財団は、「関係する政党の政策と異なる活動を行うことを保証する」ということである。一方、連邦裁判所は、政党財団が、職員の人件費や設備などの長期予算を確保して事業を履行することを保証する義務と、政府が予算供出を行う義務を負っている。

     2006年4月17日に東京でエーベルト財団などが開催したシンポジウムで、ジョンズ・ホプキンス大学のリリィ・ガードナー・フェルドマン教授は、「ドイツの歴史和解外交における市民社会団体の役割」というテーマで講演した。この中で教授は、戦後ドイツが行ったフランス、イスラエル、チェコ共和国、ポーランドとの歴史和解外交の「さきがけ、補完者、パイプ役、対抗者」として、政党財団や宗教団体などの市民社会団体が、大きな役割を果たした事例を紹介した。

    (2) アメリカ

     1983年アメリカ議会で、米国民主主義基金法(National Endowment for Democracy Act, NED法)が成立した。この法律では支援対象のバランスを取るため、以下の4つの主要団体への支援を柱とし、この4団体への支援が約4千万ドルの年間予算の55%を占める。それらは民主党国際研究所(NDI、民主党),共和党国際研究所(IRI,共和党)、国際労働連帯米国センター(ACILS、労働界),国際民間企業センター(CIPS、経済界)である。

     そして、これら以外の世界約80カ国の約500のNGOなどに助成を行っている。特に、早くから北朝鮮からのいわゆる脱北者支援や、日本の拉致家族の活動を支援してきていることは特筆すべきである。

    (3) イギリス

     1992年にウェストミンスター民主主義基金(Westminster Foundation for Democracy, WFD)が設立された。ドイツの政党財団とアメリカのNEDの両方の良さを取り入れている。WFDは議会の決議に基づく政府予算を、各政党に約半分、海外のNGOに約半分助成している。各政党を代表する理事が理事会を構成し、外務省が理事会からの報告書に基づく年次報告書を議会に提出する。また議会が会計監査を行う。

    (4) スウェーデンとノルウェー

     北欧諸国では、他の西欧諸国やアメリカなどのように議会の承認に基づく政府予算による支援財団というシステムは存在しないが、むしろ「NGOが提言、企画する政策や外交活動を政府が後追い支援する」という長い伝統がある。各国は海外援助の10~20%をNGOを通じて行っている。

     スウェーデンには、インターナショナルIDEA(国際民主化選挙支援機構、International Institute for Democracy and Electoral Assistance)の本部がある。これは、これまで例示した国別の財団などとは異なり、民主化が未整備な国々の選挙制度・選挙管理、女性の政治参加、政党運営・資金調達、地方での民主主義確立、民主主義評価などの支援を行う国際機関である。各国政府や国際機関が加盟している他、NGOも准加盟できる。

     ノルウェーは、テリエ・ラーセン夫妻による、PLOのアラファト議長とイスラエルのベギン首相との間のオスロ合意の仲介外交で知られる。また、ビルマ国際議連(International Political Leaders Promoting Democracy in Burma)の中心メンバーとして、アウンサン・スーチーさん(ノーベル平和賞受賞者)の支援を行ってきたボンデビック前首相や、スリランカ和平に専念してきたエリック・ソルハイム国際開発大臣なども知られている。

     ノルウェーには公的資金による財団は存在しない。私は2年前に「なぜ、こうした財団が存在しないのですか」とグルットレ駐日大使に尋ねる機会があった。すると大使は「外交にNGOの支援が不可欠だと政府は認識しています。もともとNGOは外交の一部なので、あえて新たな組織を作る必要はないのです。」と明快に答えてくれた。

    (5) 台湾 

     2003年7月に、アジアでは最初の民主化支援財団として、台湾民主主義基金(中国語では台湾民主基金会、Taiwan Foundation for Democracy)が設立された。陳水扁総統と超党派の国会議員の動きによって実現したもので、アメリカのNEDやイギリスのウェストミンスター基金などと連携して、世界各地の民主化支援を行っている。

     基金の3分の2は、直接内外のNGOの民主化支援活動や人権擁護活動を支援している。残りの3分の1は立法院に所属する政党が行う民主化支援並びに人権擁護活動に充てられる。

     中国との軋轢を避けるため、「中国との統合、もしくは台湾の独立などの活動については、憲法に違反するので、目的から除外する」としている。

     これらは、菅原秀『もうひとつの国際貢献』(、リベルタ出版)に詳しい。 

    7.緊急援助における政府とNGOとの連携

     私は、民主党の国際局長として、2005年2月にはインド洋沖大津波の被災地であるインドネシアのアチェとスリランカのゴール及びアンパラを、そして同年10月にはパキスタン大地震直後のカシミール地方の現場を視察し、帰国後日本政府に対する提案を行った。

     これらの緊急災害援助の分野においても、日本政府のNGOに対する支援体制が他国に比べて極めて劣っている。1999年に創設されたジャパンプラットフォーム(JPF)は、政府、経済界、NGO,メディアなどが自然災害や国際緊急援助、復興支援等を迅速に担う目的で設立された国際人道支援システムである。プラッフォーム(土台)とは、NGOが直ちに現地に飛んでいけるような基金で、経団連も寄付の他に技術、機材、人材などの支援をしている。コソボの人道支援の際、資金や人材に乏しい日本のNGOでは、遠くて大がかりな緊急支援に対応ができないという状況を現場で実感した超党派の国会議員などの強い後押しもあって実現したものである。この窓口が国際協力NGO推進議員連盟(小杉隆会長、藤田幸久事務局長)である。塩崎恭久官房長官や細田博之元官房長官なども奔走してくれた。

     インド洋沖大津波の被災地やパキスタン大地震では、発生の翌日にはJPF傘下のNGOが日本を飛び立ち現地に向かうという見事な機動力を見せた。アクセスが困難なアチェで孤立した村落への物資輸送、孤立したカシミールの山岳地帯へのテント配布など最も被災者に目に見える援助を素早く行ったのがNGOである。一方で、これだけ紛争や自然災害が続発すると、JPFに参加していない日本のNGOでは、こうした大規模な緊急人道援助には財政面でも人材面でも追いつかないのが現状だ。そもそもJPFはあくまでも過渡的、便宜的なしくみであり、本格的なNGO支援の仕組みが必要であろう。

     緊急人道援助を含め日本政府による財政支援先の大半が相手国政府や国際機関である。2002年前後の統計によれば、アメリカ政府の緊急援助のNGOに対するODA拠出金額の割合は68%。以下EU62%、イギリス61%、スウェーデン59%、ドイツ30%である。2.5%の日本とは桁が違う。日本政府は、先ず、緊急援助予算の10%程度ほどを、トラウマ支援など中長期的支援を含めたNGOによるプロジェクトに割り当ててはどうか。

     被災国政府に対する拠出の問題点は、昨年1月にインド洋沖大津波支援でインドネシア政府に支払われた146億円のうち、11月現在でわずか16%しか使われていないという実態が国会質疑でも明らかになった。しかも、緊急援助の中心であるべき医薬品や食糧などよりも、道路建設、護岸工事などの建設機械や車輌などの調達が多い。そして、この援助を担当する外務省の外郭団体「日本国際協力システム」(JICS)への手数料が3億1千万円と異常に高い。

     スリランカやパキスタンで活躍している日本のNGOは、慣れない被災国での拠点の立ち上げに加えて、被災国政府によるNGO登録や労働許可、援助物資の輸入関税の減免措置、購入したテントの輸送などのロジスティックスや調整活動などで忙殺される。しかし、現地の日本大使館は、日本のNGOが被災国政府とこうしたやり取りを行い、連携する現地のNGOや業者探しに苦闘していること自体もほとんど承知していなかった。欧米諸国の政府は、緊急援助のNGO支援に関するガイドライン、NGOからの要請に対する迅速な対応態勢、スタッフの安全確保措置、事務費などの間接経費支援など、様々な具体的な態勢を取っている。

     日本政府もこうした分野でのシステム作りを急ぐとともに、在外公館やJICAが現地国における援助態勢に関する情報収集態勢を強化し、日本のNGOに対する労働許可や減免措置の取得、及びロジスティックス面での支援体制を整えるべきだ。日本から外務省やJICAなどの専門化を派遣して現地対応することも必要だろう。

     パキスタン地震では、日本の国際緊急援助隊レスキューチームが民間機を乗り継ぎ現場到着まで52時間を要し、最新の機材を持ちながら人名救出は間に合わず、主に遺体発掘作業に終始した。ジャワ島地震でも国際緊急援助隊医療チームが、民間機利用のため十分な医療器材を持ち込むことができなかった。政府は国際緊急援助隊やNGOが政府専用機や民間チャーター機を活用できる体制を整備し、迅速な現地入りを支援すべきである。日本の航空会社以外に世界には様々なチャーター機会社が存在する他、紛争地域では大手のNGOが自前の飛行機を運行している。ジャンボ機よりも中型・小型飛行機の方が適しており、大手企業の自家用機を徴用するなど様々な知恵を活かすべきだ。

     緊急医療の第一人者、日本医大の山本保博教授は、現代の災害は極めて複雑化したと指摘する。戦争や紛争、地震やハリケーンなどの自然災害、核・生物・化学兵器、原子力発電所の臨界事故、サリン事件、鳥インフルエンザなどの新感染症なども含まれる。この分野での国連と市民社会との連携も急務だ。

     これは、藤田幸久「インド洋大津波とパキスタン大地震の現場から」(『世界週報』 2006年1月24日、及び「活かされていない大災害支援の教訓」『世界週報』 2006年8月29日に詳しい。

    8.国連と市民社会とのより効果的な協働態勢

     9.11以後の紛争は、自爆テロなどに顕著なように、より深い憎しみの連鎖を伴って多くの市民命を奪っている。これらの紛争解決や和解には、(1)民族や宗教、人種などを超えて紛争当事者双方から信頼が得られるような精神性や道義性、(2)多くの異なる立場の市民を巻き込む幅広い信頼醸成活動、(3)テロのエネルギーである憎しみの武装解除を行うために、その温床となる貧困、飢餓、汚職、犯罪などの根絶が必要である。また、相次ぐ自然災害は従来の国連や各国政府による能力の限界を超えている。

     国連が、こうした問題に効果的に取り組むには、市民社会との有機的な役割分担が欠かせない。国連を直接構成する各国政府と、市民社会を代表する議会やNGOとのより効果的な連携と協働態勢が不可欠である。

     

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