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2002年05月01日【世論時報】「一国の最も確かな防衛は、隣国の信頼と感謝を受けることにある」


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「私の好きなことば」

世論時報
2002年5月

「一国の最も確かな防衛は、隣国の信頼と感謝を受けることにある」

前衆議院議員
藤田幸久

<アジアで戦後と言えるのは日本だけ。日本はアジアとは見られていない>

 私は大学卒業後の1975年から2年間、MRAの青年親善使節「ソング・オブ・アジア」に参加し、アジア各国60名の青年と、14カ国110軒の家庭でホームスティをしながら草の根交流を経験しました。

 世界の四大文明と四大宗教を生み、最も豊かな歴史と文化を誇るアジアは、世界からは内戦、紛争、貧困、汚職といったマイナス・イメージで見られています。アジアの本来の良さを若者の声で世界に発信しようというのが、このグループの目的です。

 
 日本人は着物、インド人はサリー、ベトナム人はアオザイなどの民族衣装を着て、お互いの国の歌や踊りを覚えて訪問先で公演し、アジアの多様性をアピールしました。

 
 ある時、私が「戦後」という言葉を使うと、兄弟のように親しい友人達が「お前、何を言っているんだ?」と問い詰めてきました。アジアのどこで戦争が終わっているのか?というわけです。私ははっと気がつきアジアの地図を見直しました。

 
 当時ベトナムやカンボジアでは内戦、インドやスリランカでは地域紛争、朝鮮半島は分断、中国人も中国、台湾、香港に分断、タイやマレーシアでもゲリラ闘争がありました。内戦も地域紛争も分断もないのは日本だけ、つまり、「アジアで戦後と言えるのは日本だけ」、「日本はアジアとは見られていない」という現実を思い知らされました。

 実際メンバーの顔ぶれは、トルコの学生運動の女性闘士、フィリピンのモスレム独立運動の青年、ニュージーランドの先住民族マオリ族の青年、ベトナムやラオスの難民など修羅場をくぐってきた人ばかり。なぜと思いましたが、それもそのはず。紛争が続くこれらの国では、ごく普通の若者ばかりということに気づきました。

 
  <その国に一人でも友達ができると、その国とは戦争ができない>

 親しくなるにつれ、彼等は日本について率直に打ち明けてくれるようになりました。 香港のフンチーは、「戦争中に日本軍が、赤ん坊を空中に投げ上げ、落ちてくるところを銃剣で刺し殺した」という歴史を話してくれました。パプアニューギニアのリオ・ライタは突然「鳩ぽっぽ」を日本語で歌い出しました。戦争中に日本軍から日本語と日本の歌を覚えることを強要された父親から習ったそうです。他のアジア人のほとんども、身内が日本軍の被害を受けていました。

 私は、そうした歴史に無知だったこと、そして今は亡き親の世代が行ったことについて、未来を担う今の世代の日本人として心から謝り、新しい関係を作りたいと申し出ました。それ以後アジアを訪れるたびに、私はそうしたお話をすることにしました。

 ある年、マレーシアのペナンで私は若い人々にそうしたお話をしました。すると、現地日系企業の日本人社長の秘書という現地人女性が話しかけてきました。その社長にセクハラを受けているが彼を助ける方法はないだろうか?という相談でした。なぜ初対面の私に打ち明けてくれたのかと聞くと、「あなたは他の日本人と違って信頼できるから!」と言ってくれました。

  MRAの創始者フランク・ブックマン博士は、「一国の最も確かな防衛は、隣国の信頼と感謝を受けることにある」と言っています。いったん深い信頼ができ、その国に一人でも友達ができると、その国とは戦争ができないと言われます。ODA(経済援助)も、その国と信頼があれば生きますが、無ければ無駄使いに終わります。冷戦が終わり、異なる宗教や、民族の隣国どうしの関係が最も難しい時代になっています。どんなに強い軍事力よりも、隣国の信頼と感謝を得ることの方がはるかに重要となった21世紀です。

藤田幸久(ふじた・ゆきひさ)

1950年生まれ。慶應大学哲学科卒業。難民を助ける会と国際で、40ヶ国のボランティア活動に従事。森進一さんの「じゃがいもの会」を創設時から支援。カンボジア和平、日米欧の労使関係や企業倫理問題に取り組む。1996年~2000年“初の国際ボランティア出身政治家”として衆議院議員(東京都第12区:北区・足立区)。小渕外相を動かし、日本の対人地雷禁止政策の立役者となる。現在、鳩山由紀夫代表政策顧問。