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【改革者】「NGO外交が紛争解決の新たな担い手に」2002年06月01日
メディアトピックス
「NGO外交が紛争解決の新たな担い手に」
「改革者」
2002年6月
「冷戦終結後、増加する地域紛争、貧困、難民、麻薬、地球環境など人類共通の問題に、各国政府だけでは対応できない。これらの問題はNGO(非政府組織)抜きでは解決が難しい。国家間の利害を超えたNGOは、国連機関や政府のパートナーとなっている。」
前衆議院議員
藤田幸久
1.NGOに市民権を与えた鈴木宗男問題
1月の外務省による「アフガニスタン復興支援NGO会議」からのNGO締め出し問題は、日本の政治に2つの大きな歴史的貢献を果たした。1つは、NGOの存在が国民レベルでも認知され、市民権を得たことであり、もう1つは、この事件の背後にあった鈴木宗男疑惑を皮切りに、永田町全体の様々なスキャンダルをあぶり出したことである。
そもそもNGOという用語は、もともと国連用語である。各国政府で構成される国連が、国連活動に関係する民間団体を国連憲章第17条の中でNon-Governmental Organization(NGO)と位置づけたもので、「非政府組織」などと訳されている。これに対し、NPO(Non-Profit Organization)はもともとアメリカにおける税制上の概念で、免・減税を対象とする市民団体を規定している。従って、ほとんどの市民団体はNGOであり、かつNPOであると言える。
2.国連安保理事会でもNGOと定期協議
冷戦終結後は、国境を超えた地域紛争や、国内の地域紛争が増えたことに加え、貧困、難民、薬害エイズ、麻薬、対人地雷、小型武器、地球環境問題など人類共通の問題の増加に伴い、各国政府では対応ができず、NGO抜きでは解決が難しい問題が増大している。国家間の利害や国家の覇権を超えた存在であるNGOは、国連機関や欧米では政府のパートナーとして、近年では途上国でも政府や自治体のパートナーとしての役割を果たすまでに至っている。実際、軍事行動や武力制裁も協議する国連安全保障理事会も、30程のNGOと定期的な非公式協議を毎週行っているほどである。
例えば難民問題に対応するには、紛争当事者各派とのパイプが不可欠である。私も関わったカンボジアの場合、フン・セン派、シアヌーク派、ソン・サン派、ポル・ポト派がそれぞれ難民・避難民を抱えていたので、和平プロセスと並行して各派の難民支援を進める必要があった。日本政府が承認している派ばかりか、承認していない派も支援して政治的中立性を保つために難民支援の表舞台はNGOに委ねられた。こうした人道援助が、後に国連主導による和平の環境作りに大きく貢献した。
他にも、重債務最貧国の債務免除、ビルマの民主化支援、北朝鮮日本人拉致問題、シックハウス対策、ダイオキシン対策、NPO法など多岐にわたる分野でNGOの参画が目立っている。
国際協力NGOセンター(JANIC)は、NGOを「地球社会の問題--貧困、飢餓、難民、地球環境の劣化、人権侵害など--に、市民の立場で自発的に取り組み、これらの課題の改善・解決に向けて、国境を超え、国籍や文化の違いを超えて活動する市民組織」と定義し、NGOの特徴として、1.市民の自発的な参加。2.国や企業からの自立。3.利潤の追求や配分が目的でない。4.人道主義、社会的公正や社会正義の実現を目的とすること、と整理している。
3.対人地雷禁止条約加入はNGO、国会議員、在日外交官、マスコミの連携プレー
もう一つの事例は対人地雷禁止条約(オタワ条約)調印である。1996年私はNGO活動の延長として衆議院議員としての活動を開始したが、初仕事は、難民を助ける会やJCBL(地雷禁止日本キャンペーン)による地雷廃絶の啓蒙活動や情報を国会に持ち込むことであった。難民を助ける会の「地雷ではなく、花を下さい」という絵本一冊の売上でカンボジアの10平米の地雷が除去できるという活動を呼びかけたところ、全ての政党の国会議員が数ヶ月で5千冊以上も購入してくれた。これが対人地雷全面禁止推進議員連盟の結成につながり、私は事務局長に就任した。そして7人の首相経験者を含む超党派の国会議員388人が調印賛成の決議に署名した。更に、数人の駐日大使が記者会見して日本政府に調印を迫るという極めて異例の行動を行った。かくして、NGOを中心に政治家、在日外交団、マスコミや一部の官僚を含むネットワークが形成された。最終的には橋本龍太郎総理、小渕恵三外相のリーダーシップも加わり、調印に反対した防衛庁を包囲してオタワ条約調印が実現した。
4.NGO、政府、国会議員の三者協議による政策立案の整備
近年国会の政策形成のプロセスがNGOの出現で大きく変化している。業界などの圧力団体が族議員や関係省庁に働きかけるというのが従来のパターンである。しかし、近年は国会議員が仲立ちをして、NGOが関係省庁と直接政策のやりとりをする場面が増えている。生の情報や経験を持つNGOは、議員以上に政府の不備を指摘し、政策や活動での提言を行うことが出来る。しかも、こうした政府、国会議員、NGOによる三者協議には関係省庁が同時に出席するので、縦割りの垣根を超えた省庁間の調整も行われる。例えば、気候変動枠組み条約・京都議定書(COPIII)の際にはテーブルの片方に環境庁、通産省、外務省の役人が並び、その反対側に多くのNGOが並び、両脇に国会議員が行司役のような形で座る。そうしたやりとりの中から議定書の中身がかたまった。
日本でも、過去数年間にわたって、NGOと政府の間で様々な協議の場が設けられてきた。NGOと外務省の間では国際協力NGOセンター(JANIC)、関西NGO協議会、名古屋NGOセンターを中心に1996年から「NGO外務省定期協議会」が年4回開かれている。他にも、財務省、国際協力事業団(JICA)、国際協力銀行(JBIC)とも同じような対話と協議の場が設けられている。かつて、NGOを、"反政府"と見ていた政府関係者も少なくなく、またそう誤解されるような子供じみた言動をしていたNGOも存在した。それに比べ相互理解と信頼醸成が進んでいることは間違いない。
「アフガニスタン復興支援NGO会議」への参加拒否事件後、国際協力NGOセンター(JANIC)は2月15日、国会議員や政府関係者に対する声明文を全国会議員に送付した。そして、1.NGO側のイニシアティブで発足した「国際協力NGO活動推進議員連盟」を再活性化させ、対話の場を広げる。2.政府は、 今回のような政府主催の国際会議等へのNGOの正式参加を認め、NGOの参加基準や選考過程を透明にする。3.NGOの経験や意見を政府の政策へ反映するメカニズムをつくる。4.外務大臣とNGO代表者による定期会合を開く。などを提言した。
実は「国際協力NGO活動推進議員連盟」は、小杉隆会長と事務局長の私が2000年の総選挙で落選したため休眠状態にある。再構築が望まれるゆえんである。
5.危険地域に先乗りする勇気と行動力
NGO活動の資格・要件としては、1.緊急援助の際に現場に先乗りできる勇気と行動力。2.現地の市民のニーズを把握し、活動に反映できる能力と柔軟対応などが挙げられる。
1999年7月私は岡田克也代議士と日本の国会議員として初めてNATO空爆停止後のコソボに入った。日本外務省は「危険だから!」という理由で反対したが、私達は、「日本のNGOも既に現地で頑張っているのに、危険だから入らないというわけにはいかない」、としてマケドニアから陸路コソボに入った。その受け入れをしてくれたのが、あの鈴木宗男に排除された大西健丞さんのピースウインズ・ジャパンであった。しかもまだ地雷除去も完全でない危険地域の現地駐在を勤めていたのは長谷川さんというカナダの大学を卒業した若い女性であった。そもそも、難民支援というのは、まだ危険な状態の時に入らなければ意味がない。地震被害者救済が最初の数日間が勝負であるのと同じである。日本的な感覚での秩序が安定してから入ったのでは、多くの難民が疫病や、飢えや、寒さや、地雷の被害にあってしまう。危険地域に最初に入るのがNGOや国際赤十字と国連機関,次ぎがマスコミ、続いてビジネスマン、最後に各国政府というのが相場である。
6.NGOの現場情報と感性が問題解決の原動力
NGOはまた、政府機関と異なり、紛争地域で敵対する各グループとの接触も可能である。従って、現場情報を提供し、政府活動を監視し、政府とは異なる視点から政府に対して率直な意見を述べていくことこそ、NGOの大きな使命である。1月の外務省(鈴木宗男)による「アフガニスタン復興支援NGO会議」からのNGO締め出し問題で、ある国会議員は、「政府を批判する者がなぜ政府の会議に出るのか」と発言した。これは、「税金を納めた納税者は、政府のあり方や活動について批判はできない」という論理と同じで本末転倒である。
国連が国連憲章で認めたNGOが、危険を犯して先に獲得する情報を外交に生かすことこそ、戦略的、創造的外交といえる。実際、欧米ではNGOの情報や視点を生かした外交の成功例が少なくない。例えば、今はその成果が生かされていないが、1994年のイスラエルとPLOの間のオスロ合意は、ラーセン氏という労働組合系シンクタンク(NGO)の活動家と外交官であるその妻がイスラエルとパレスチナ双方に築いた信頼関係を、ノルウェーのホルスト外相が活かして成立したものである。ラーセン氏による、ガザ地区で苦しむ住民の生活支援が信頼醸成の原点であった。対人地雷禁止オタワ条約も、ジョディ・ウイリアムズさん(1997年ノーベル平和賞受賞)やICBLを中心とするNGOの活動を国際赤十字とカナダ外務省が後押しして実現した。女性や子供に増えている対人地雷の被害者救済が出発点であった。この2つとも「初めにNGOの感性ありき!」である。
7.社会全体によるNGOの後方支援強化が急務
現在、日本には、国際協力に関わるNGOは約500存在し、世界100ヶ国以上で活動している。年間数十億円に及ぶ団体から数百万円程度の団体まで規模も異なるが、多くは弱小団体である。有給の専従職員は約1500人、他は無給職員、ボランティアとして係わる人が数十万人と言われる。かつて、ボランティアには、自分の世界だけで生きる協調性のないタイプ、政府批判ばかりするタイプなども見られ、NGO同士の協働が難しい時代もあったが、NGOが市民権を得、地力をつけるに応じて、優秀な人材がどんどん専従となっている。最近は元一流企業のサラリーマンや銀行員、防衛庁を含む役人、医師、欧米の大学の博士課程取得者などが多くNGOで活躍している。
しかし、長引く不況の中、寄付や会費が激減し、職員や予算を削減しているNGOや、解散したNGOが少なくない。一昨年NPO法が成立したが、政府が寄付控除を受けられる条件を厳しくしすぎたために、実際に控除を受けられるNPOは極めて少ない。超党派の働きかけでNPO法の早急な改正が望まれる。そして社会全体によるNGO/NPOの後方支援体制の強化が急務である。
8.労働組合はNGO
ゼンセン同盟の矢田彰さんの「インドシナ難民連帯委員会」の活動を、かつて支援したことがあるが、労働組合による人道支援活動は、リストラや不況の中でも着実に続いている。カンボジアや中国、ネパールなどでの学校建設、植林活動、井戸掘り、里親運動などに加えて、アフガニスタン支援にも既に多くが取り組んでいる。
労働組合によるNGO活動は、市民型NGOが持つ上記の足腰の弱さをカバーできる長所を持っている。安定した財政基盤、継続性、専門分野をもった人材の活用などである。
いつも私が強調することだが、そもそも、「労働組合はNGOである」。利益追求を目的にする企業はNGOになれないが、労働組合は有資格者である。また、組合員、社員で個人としてボランティア活動を行う人が増えているのも喜ばしい。かつて連合が南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領のANCを支援してアパルトヘイト(人種差別政策)廃止による黒人多数派政権樹立に貢献したことも特筆すべきである。世界の潮流に背き、日本政府がマンデラ氏の来日時に完全無視をした時に、連合が支援をし、後に鷲尾議長がマンデラ大統領の就任式に招かれたほどである。
人道援助に限らず、こうした予防外交的活動や選挙監視などもNGOとしての労働組合がより一層取り組むべき課題であり、国際労働財団など労組系シンクタンクの役割も大きい。
9.利権外交からNGO外交に
今、求められているのは、ただ単にNGOの政策参加や、NGOと政府、国会との協議の整備だけではない。むしろ外交そのものの再構築である。戦後処理の半世紀近い先送り、賠償に代わる開発援助型の不透明なODA、冷戦下でのアメリカ追随の外交(外交の不在)、日米地位協定や思いやり予算に見られるような独立国にはあり得ない不平等性などの抜本的見直しである。
対米追随外交という政治的・戦略的課題を別にすると、小切手外交とも呼ばれるバラまき外交と、公式チャンネル(ファースト・トラック)偏重外交が、他国に比べて日本外務省の特異な外交手法であった。ODAをもじって、ある外国人が、O(お金)D(だけ)A(あげる)と皮肉ったことがある。先ず予算ありき、次にその予算を単年度の中で消化すること。そのための箱物作りの案件をコンサルタントとゼネコンが作文し、受益国側からそれを提案させるという仕組みである。受益国では、マルコス、スハルト、マハティール、フン・センなどの指導者にその援助の多くが渡り、国民には余り恩恵は渡っていない。これに、政治家が絡む利権外交が横行し、相手国の国民感情も逆なでし、外交関係を妨げたものも少なくない。“ムネオの日ロ外交”はその極端例であろう。
こうした利権外交にメスを入れ、透明性と説明責任を確立し、相手国の国民のニーズに応え、相手国と日本の国民との間の架け橋役を果たすのがNGOの役割である。(まさに鈴木宗男的政治家がNGOに反対するゆえんである。)日本の外交そのものの再生が必要であり、「利権外交から、NGO外交への転換」である。
10.NGOはスーパーパワー
対人地雷禁止オタワ条約の立役者のジョディ・ウイリアムズさんは、1997年ノーベル平和賞の受賞にあたり、「NGOこそ真のスーパーパワー」と宣言した。国境を超えて、市民の自立と共生をめざすネットワークが確立する時、世界の様々な問題を市民が解決できる新しい時代が到来すると思う。
1950年生まれ。慶應大学哲学科卒業。難民を助ける会と国際MRAで、40ヶ国のボランティア活動に従事。森進一さんの「じゃがいもの会」を創設時から支援。カンボジア和平、日米欧の労使関係や企業倫理問題に取り組む。1996年~2000年"初の国際ボランティア出身政治家"として衆議院議員(東京都第12区:北区・足立区)。小渕外相を動かし、日本の対人地雷禁止政策の立役者となる。現在、鳩山由紀夫代表政策顧問、岐阜女子短大客員教授。
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