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  • 【2000年10月31日】

    「まだ戦争が」世界歩き実感
    「NGO駆ける」

    日本経済新聞(夕刊)
    2000年10月31日

    “まだ戦争が”世界歩き実感「NGO駆ける」

    急速に加速した飛行機がグイと機首を持ち上げる。この夏、遠ざかる成田の街を見下しながら、民主党前衆議院議員、藤田幸久(50) は25年前を思い出していた。

    あの時はエコノミーだったし、初めての海外旅行ということで不安だった。それでも、夢があった。大学二年の時、父が死んだ。卒業してサラリーマンの道を歩むより、世界を見たいと思った。

    予防外交分野のNGOの草分けで、戦後の独仏和解や日本の国際社会復帰の橋渡しにも貢献したMRA(モラル・リアーマメント=道徳再武装)が親善使節団 「ソング・オブ・アジア」 を組織して世界を回るという。ガンジーの孫が作ったアジア青年のミッションと聞いて参加を即決。1975年、MRA本部のあるスイスに向けて機上の人となったのである。  

    ジュネーブから車で1時間半、MRA本部はレマン湖を望むロシェデネ山中にある。今回はそこで開かれる世界大会へ日本のMRA推進議員連盟会長の羽田孜夫妻と出席する旅だ。日本初の国際NGO出身議員となった藤田は今も国際MRA日本協会の理事であり、同議員連盟の事務局長を務めている。  

    スイスを起点にホームスティしながら使節団として世界を回った2年間が今の藤田を作ったといっていい。メンバーはフィリピンの反政府活動家、トルコの学生運動女性指導者、インド・アッサムの独立運動指導者の息子ら、いわくありげな人物ばかり。  

    ある時、藤田が何気なく「戦後」という言葉を使ったら大変な騒ぎになってしまった。「戦争が終わった? とんでもない」 というわけである。確かに、朝鮮半島は分断されたままだし、マレーシアなどには共産ゲリラがいる。インド、スリランカでも紛争が続いている。戦後世界にいるのはアジアでは日本くらいのものだった。  

    そうした状況に日本は責任があると感じた藤田は、帰国後、国際MRA日本協会のスタッフになった。カンボジアの紛争当事者、3派をスイスに呼んで和平のための仲介の仕事などで忙しかった。  

    79年の事だ。突然、カナダのMRAメンバーから手紙が届いた。「カンボジア難民が流出している。日本は定住難民を2人しか受け入れていないというが本当か」。調べてみて驚いた。「実際には3人だったが、国会で難民について討議されたことは一度もなかった」と藤田。

    「これでは世界の孤児になってしまう」と年の11月、国際MRA日本協会会長の相馬雪香(88)とインドシナ難民を助ける会をつくる。主に海外プロジェクトを担当。アフリカ難民救済の「じゃがいもの会」を歌手森進一が設立した時には、井戸掘りなどのプロジェクトをまたたく間に立ち上げた。

    「いい仕事をしていると自己満足していてはだめだ」。意を決して、政治家を目指し96年に衆院当選。日本の対人地雷全面禁止条約署名に貢献した。「国際協力もいいけど、もっと地元の面倒をみないと次の選挙が危ないよ」と忠告してくれる支持者もいた。その通りになった。  

    しかし、後悔はしていない。NGOもようやく国民の間に浸透してきた。時間はかかったが、NGOもようやく国民の間に浸透してきた。時間はかかったが、これからは超党派の国際協力NGO推進議員連盟の事務局長を務めた藤田の特徴を出していけるからだ。  

    後ろの羽田夫妻に目をやるとよく眠っている。スイスにつけば強行軍だ。今のうちに眠っておこう。あの時のように新たな希望が内にわき起こってくるのを感じながら藤田は目を閉じた。

    [藤田幸久茨城事務所]

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