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「民主党ジャワ島地震救援対策本部」調査団報告書2006年06月08日
活動報告
2006年6月8日
「民主党ジャワ島地震救援対策本部」調査団報告書
- 目的
5月27日、インドネシアのジャワ島で発生した地震による被害が広がっており、犠牲者が6千名を超える状況や、今回の被災地に近いムラピ山の噴火も懸念される事態を受けて、わが国ならびにわが党が出来る支援策などを早急に調査・検証するために、調査団を派遣する。 - 調査団構成
団 長: 末松義規 衆議院議員(同対策本部事務局長、国際局長) 団 員: 黒岩宇洋 参議院議員(参議院国対副委員長)
藤田幸久 前衆議院議員(同対策本部事務局次長、国際局副局長)事務局: 内田優香 国際局副主査 - 日程
日程案
月 日(曜) 時 間 行 動 備 考 6月2日
(金)デンパサール経由
ジョクジャカルタ着19:00 ジョクジャカルタ空港着 20:30 打合せ夕食(アグス・ソレワ氏、室谷雅人氏、在インドネシア日本大使館館員数名) 6月3日
(土)ジョクジャカルタ
周辺被災地など10:30 自衛隊医療部隊サイト視察(グヌンキドゥル)
上野一佐案内10:00の開所式出席予定→渋滞などで遅れ
○民主党募金の贈呈:50万円相当の粉ミルク・医薬品12:00 昼食 13:30 AMDA医療支援サイト視察(プランバナン周辺) 15:00 スリ・スルタン・ハメン・クブオノ10世・ジョクジャカルタ特別州知事との会談 17:30 ムラピ火山観測所訪問、ラトゥドモプルボ所長、スバンドゥリオ研究員からのブリーフ 18:30 プジオノ国連人道問題調整事務所(OCHA)神戸代表との会談(ホテル内) 19:30 NGOとの夕食懇談(AMDA、HuMA) 6月4日
(日)ジョクジャカルタ
周辺(バントゥール県など)9:00 HuMA医療支援サイト視察(バントゥール県内) ○民主党募金の贈呈:50万円目録 10:00 国際緊急援助隊医療支援サイト視察(バントゥール県内)羽田隊長案内 11:30 日本赤十字社医療支援サイト視察(バンドゥール県内)槙島国際医療救援部長案内 バントゥールからプレレットまで被害の大きい場所を視察(車両移動) 14:00 国際移動機関(IOM)の活動サイト視察(プレレット) 15:00 プランバナン周辺の被災遺跡視察 17:30 邦人記者ブリーフ 19:00 夕食 21:20 ジョクジャカルタ出発 22:20 ジャカルタ着 6月5日
(月)11:00 バクリー国民福祉担当調整大臣及びハムシャ社会大臣との会談 13:00 元日本留学生及び関係者との昼食懇談 19:30 海老原駐インドネシア大使主催夕食会(意見交換) 6月6日(火) 9:45 成田到着 - 調査総括
- 震度の割には多かった犠牲者
5月27日に発生したジャワ島地震は、マグニチュード6.3とインド洋沖地震・津波やパキスタン地震に比べれば震度が低いにも拘らず、(1)人口密度が高い地域で、(2)脆弱な住宅が多く、(3)軟弱な土壌(火山灰)のために、家屋崩壊による犠牲者が6000人規模という被害をもたらした。
- 素早かったインドネシア政府の対応
インドネシア政府の対応は早く、発生直後に閣議を開催し、地元住民に最も影響力のあるジョグジャカルタ特別州知事(スルタン(イスラム王):当地の半分以上の土地を所有)や国際機関との連携のもと、同日にユドヨノ大統領が現地に入るなど、近年の被災国政府の中では、極めて迅速で組織的な初期活動を行った。
- 選択的で、漸進的だった国際社会による支援
(1)近年の大地震、津波、ハリケーンなどに比べて被害規模が小さい、(2)アチェ、スリランカ、カシミールなどのような紛争地域ではない、(3)空港や道路も破壊をまぬがれ、カシミールのような山岳地帯でもなくアクセスが良好である、(4)政府の対応が早かった、などの理由から国連機関やNGOを含め、国際社会による支援も選択的で、漸進的な支援活動となった。
- 外国からの支援終結を打ち出すインドネシア政府
インドネシア政府は、医療支援のニーズはピークを超え、食料、飲料水などの生活支援物資も充分にあり、今後は被災者に対する住宅建設や水道の修復などの生活、復興支援に重点を移すので、外国からの支援も近い将来不要になる、との見解を示している。また、住民の精神的支柱でもある知事(スルタン)は、被災した住民と、被災していない住民との間の援助格差が生じないような、地域の秩序と調和のとれた復興と再建に強い意欲を示した。
(1)インド洋沖地震・津波の際に対応の遅れを批判された政府のプライドや汚名挽回への意欲、(2)外国からの高飛車な態度による援助に対する反発、(3)今回も多くの外国医療関係者が駆けつけ国内の医療関係者の出番を妨げている、といった現状が、政府のこうした姿勢の背景となっている。 - 末端にまで行き渡らない援助
しかし、政府のこうした方針とは裏腹に、被災者末端に充分支援が行き渡らず、被災者に不満が生じている部分も少なくない。実際、貧しさが理由で貧弱な家に住み倒壊した住民などへのきめ細かな支援が重要である。
- アジア諸国による援助ネットワークの調整役を果たしている日本のNGO
一方、近年アジアに頻発した大災害の経験から、多くのアジア諸国の政府とNGOが支援に駆けつけた新しい歴史が見られたことが極めて喜ばしい。またAMDAやHuMAなどのNGOや日本赤十字が、アジア諸国の医療チームによるネットワークを組み、その調整役を担っている貢献に敬意を表する。
- 震度の割には多かった犠牲者
- 日本による取組みの評価と今後の提言
- 在留邦人保護
日本大使館による在留邦人の安否確確認は迅速であった。ムラピ火山の噴火に備え邦人に危険情報を発していて邦人が少なかったこともあるが、病院をくまなく訪問するなど細かい追跡調査を行った努力などは評価されるべきだ。
- 緊急支援NGOへの直接財政支援と人材育成
今回も、日本を始めとする多くの国々の多数の緊急支援NGOによる献身的な活動ぶりは被災者から多大なる感謝を受け、震災復興には欠かす事の出来ないものとなっている。
しかし、日本の常連のNGOが初期参加を見合わせた理由は、調査総括3、に挙げた他に、各地で続発した災害や紛争の現場に人材を派遣しており、資金的にも人材的にも「延びきってしまった」ことにもある。先進諸国では、自国政府から多額の資金援助を受けている事を現地調査で改めて認識した。日本政府によるNGOに対する直接的財政援助をこれら諸国に近い二桁に増大して緊急展開力を高めるとともに、「緊急支援人材バンク」設立のような人材育成と確保を早急に行うべきである。 - 医療支援NGOに対する制度的支援
今回現地に展開した日本のNGOは医療支援が主で、多くの被災者の人命を救うことができた。しかし、医療サイトにおいても他国の医療NGOの充実した後方支援体制を目の当たりにした。そしてそれ以上に、我が国の医療体制そのものの不備が浮かび上がってきた。看護師は勿論医師などが所属する病院などから休暇を取って被災国に出向くことは相当困難である。所属病院は自らの経営を優先し、一定期間の休職を許可しない場合が多数を占める。そこで「医療スタッフ人材バンク」の設立、チーム医療の普及等を含む制度的整備が急務である。
- アジア諸国による人道支援の調整役
外国からの支援に慎重なインドネシア政府に対し、日本は押し付け的な姿勢ではなく、地元の自主性を尊重した協力関係を構築すべきである。そしてアジア諸国の緊急支援NGO間の調整役を果たし、ミスマッチの少ないプロジェクトを推進すべきである。特にNGOが不安を感じている活動期限や労働許可、援助物資の輸入関税の減免措置などについて、日本政府はインドネシア政府との調整役を果たすべきだ。
- 国際緊急援助隊による政府専用機の活用
国際緊急援助隊の医療サイトは、患者にとって便利な町の中央部にあるが、民間機利用による派遣のため、到着に時間がかかり、十分な機材を持ち込むことが出来なかった。かねてから提言しているように、日本の国際緊急援助隊が政府専用飛行機を活用できる体制を整備するとともに、民間チャーター機の政府による費用負担を含め、日本のNGOの迅速な派遣手段を支援すべきである。
- 住宅再建支援
(1)資金援助
インドネシア政府は緊急援助活動には一定の終止符を打ち、今後は被災者の住宅再建を最重要支援と位置づけている。7月1日から6ヶ月の期間で住宅再建を目指すとし、わが国に対しては全壊ではない一部損壊住宅への改修資金援助の要請を受けた。(2)住宅再建に対するノウハウの提供
インドネシア政府は一定の基準を設け、住宅再建資金援助を直接被災者に支援するとしている。阪神・淡路大地震、新潟中越地震等多くの地震災害を経験しているわが国として、住宅再建支援のシステムとノウハウについて国レベルだけでなく地方自治体レベルのノウハウも提供すべきである。 - 火山対策支援
(1) 衛星写真の提供
この度の地震に先駆けて5月中旬からジャワ島ムラピ火山はその活動を活発化した。ムラピ地震観測センター所長からは、火山の衛星写真の提供要請を受けた。我が国の衛星写真のインドネシア側に対する提供を検討すべきである。(2) 火砕流対策のノウハウの提供
わが国は世界でも例を見ない火山国である。これまで雲仙や三宅島などの火山活動に対し行ってきた防災対策のノウハウを、インドネシアに提供すべきである。そして、そのために専門家や自治体の防災担当者などの派遣を行うべきである。 - 世界遺産修復支援
アンコールワットなどの世界遺産の修復経験のある日本は、この分野でもユネスコなどとの連携のもとで、今回の地震で損壊した世界遺産の修復と、他の世界遺産などの予防対策の支援を行うべきである。
- 恒常的な災害支援交流
また、今後とも、地震国、火山国である両国において、いざという災害時にお互いが支援をより効果的に行えるよう、地震予知を含めた幅広い災害支援交流が望まれる。日本側からインドネシア政府にたいして、具体的な交流を提案することを求めたい。
- 在留邦人保護
- 調査団の具体的な視察・会談の概要
- 自衛隊医療部隊視察(グヌンキドゥル)
到着が遅れたため、朝10時から始まった医療部隊本隊の開始式には参加できなかったものの、200人ほど集まった患者の治療状況を視察した。隊長の上野1等陸佐より、「今後、残りの部隊が到着するまで、一日約150名の患者治療を巡回診察と並行して行っていく予定である」などの説明を受けた。末松団長より、「自衛隊の今回の活動は、インドネシア国民に対する日本国民の善意と友好を表すものである。我々として、とても誇りに思う」と述べ、医療部隊を激励した。診察中の患者に自衛隊医療部隊や日本に関する感想を聞くと、「日本は、とても素晴らしい(バグース)」と、指を立てたガッツポーズで応えていた。
上野一等陸佐より、自衛隊医療部隊の説明 - AMDA医療サイト視察
今回の地震において、現地で活躍するNGOをさらに後押ししていく観点から、民主党議員全員から集めた募金等の一部をあて、医療を専門とするNGOのAMDAに50万円相当の粉ミルクと医薬品等を贈呈した。AMDAは、現地の保健所とうまくタイアップしながら医療活動を続けており、巡回医療なども熱心に行っていた。現地の保健所長より、日本やAMDAに対する感謝の意が伝えられると同時に、更なる支援要請がなされた。
民主党募金からAMDAに粉ミルク・医薬品の贈呈 - スリ・スルタン・ハメンク・ブウォノ10世(ジョグジャカルタ特別州知事)表敬
ジョグジャカルタ州知事公舎において、1時間ほど会談。なお、スルタン(王様)は、今回被害が甚大であったバントゥール州の土地の60%を所有しており、従来からの王政の伝統故に、中央政府もスルタンの合意なくして何も実施できないのが実情。(団側)
- インドネシア国民に民主党を代表してお見舞を申し上げるとともに、より良い支援を実施するための調査を目的に訪問した。民主党としても、日本全国的で支援募金を集めており、地元の方々の緊急人道支援に当てたいと考えている。王宮の一部が崩壊したとの報にも接して心を痛めており、民主党国会議員より集めた募金の一部を、可能ならば象徴的なものとしてお渡ししたいと考えている。
- 被災地を見ていると煉瓦を積み上げただけの粗末な建築様式の様子。法律を改変したり耐震構造に配慮するなど、住居建設における改善を図っていく必要があると思われるが、お考え如何。
- 日本では、災害の際の住居損壊については現金支援を行わない制度となっている。地方政府が支援するという住居再建支援の基準如何。
- 津波被害のアチェのケースと、今回の地震被害のケースにおいて、対応の違い如何。
- 世界各国の難民キャンプでは、被災した人とそうでない人との間での格差が常に問題となってきた。スルタン閣下の周辺地域とのハーモニーを尊重するべきとのお考えは世界に広くアピールするべきと考える。
- 外国政府の支援のあり方について、どのようなお考えか。
(スルタン(州知事))- 被災地の現在の状況につき申し上げる。犠牲者のうち負傷患者の約95%について、すでに治療が完了しており、今後は完治するまでの手当をする段階に入っている。救援物資配布は、当初問題があったが一軒一軒戸別訪問して配布することにより現在ではほぼすべて手当されている。来週からは、緊急フェーズから復興フェーズに移行する予定。4日までに、被害住民の登録を行い、5日~6日からは、生活必需品支援として現金支給による支援を実施したい。今月3週目から復興フェーズに移行し、約3ヶ月間の復興フェーズで、被災地のコミュニティの経済活動復興につながるような支援を実施する。
- この地域の相互扶助の伝統や社会的背景を無視することにより、長期的に新たな問題が発生しないよう注意する必要がある。被災した住民も被災していない住民も同じく貧困層に属することから、被災者が新しい家屋を手に入れれば周辺住民にねたみの感情を引き起こし、社会問題に発展することが懸念される。新しい家屋を再建する際には、周辺の住居と開きのないレベルを維持するよう注意しなければならず、被災地域のコミュニティ開発(例えば、上下水道整備や道路整備)に配慮する必要がある。
- 再建にあたっては、耐震構造にも注意を向けたいが、なかなかその余裕はない。例えば、住宅再建資金を供与する場合、家屋の壁を合板にするのか、竹にするのか、漆喰にするのか、所有者の希望で決めるしかない。
- 住宅再建基準については、6日までには詳細が決定されるものと見込んでいる。損壊家屋については、被害が家屋全体の30%と判定されれば重度の損壊と見なし手当する。最大面積を40m2ないしは60m2に設定する。
- アチェのケースでは、街全体が一気に跡形なく破壊された。今回の災害では家屋の倒壊・損壊が中心となっている。アチェでは避難キャンプに多くの住民が収容されたが、ジョグジャカルタ周辺では、家屋が損壊しているに過ぎないので、自分の家の周りを動きたくないと感じる住民が多数に上っている。
- 復興支援等については、正副大統領が執行するが、その基本となる復旧のコンセプトは我々州政府が立ち上げる。外国からの支援は政府対政府の関係にあるため中央政府が直接対応するものと理解している。緊急支援についてはすでに手当できており、医療サービスもほぼ充当されつつある。今後外国からの支援があるならば、建設資材等の物資供与が考えられるであろう。また、急を要するのは、学校の再建である。小学校790,中学校180,高校81が損壊している。
スルタン(ジョクジャカルタ州知事)との会談 - ムラピ火山観測所(ラトゥドモプルボ所長、スバンドゥリオ研究員との会談)
(団側)
- 住民に大きな不安を与えているムラピ山の噴火の可能性如何。
- 同様に大きな不安を住民に与えている溶岩ドームの現状と火砕流流出の危険性如何。
- 日本に望む支援はあるか。
(所長)- 過去の記録では、最近のムラピ山の大噴火は、1930年と1994年である。現状を見る限り、ムラピ山に大噴火の可能性はない。
- むしろ、火砕流流出の危険性が高い。5月13日に、レベル4の最高度の警戒警報を行った。4月26日より、ムラピ山は小噴火を繰り返し始め、今、溶岩ドームは、ムラピ山頂において、高さ150m、幅260mまで成長しており、毎日5mずつ高さを増していっている。火砕流流出の危険性は、3方向への流出が考えられ、最長12kmまで流れ出す可能性がある。今、政府は、7km流出のケースを対象にして避難対応策をとっているが、今後さらに火山活動が活発化してくると、更なる住民避難対策が必要になってくる。
- 日本に対しては、日々の衛星写真の供与と人材育成(更なる専門家派遣と留学生受け入れ)をお願いしたい。特に、衛星写真供与は、危険な現状に鑑みれば有り難い。
ムラピ山の活動データの説明 - プシオノ国連人道問題調整事務所(OCHA)神戸代表との会談
(団側)
- 今回の地震のインドネシア側対応の評価如何。
- インドネシア側への提言はどのようなものだったのか。
(プシオノ神戸代表)- 今回の地震対応では、アチェの経験を生かして、インドネシア政府はかなり効率的な支援体制を引いたものと評価している。総計1万人の医者が動員され、ほとんどの支援物資もインドネシア製品であった。食料、医薬品とも充足率は高かったが、家屋再建は未だ深刻な問題だ。学校機能調査も、インドネシア側は、95人の調査員を使って、二日間で迅速に行った。治安もかなりよい。
- インドネシア政府に対しては、独自の住宅再建政策を提唱している。つまり、集合住宅的な仮設住宅の建設ではなく、ジャワ人の特性を生かして、建物があった現場での家屋再建を勧めている。というのは、ジャワ人は壊れた煉瓦などを捨てず、再利用する傾向が高く、また、トイレなども集合住宅だと衛生面で大きな問題が生じるが、個々の家レベルだと衛生面の問題が生じにくいからである。よって、今は、雨露をしのげるプラスティック・シートの広範囲な供給が効果的となっている。
- AMDA及びHuMA医師・看護士団などとの懇談
- 国際救済の医療団に医師が参加するためには、現在勤務している病院を一旦辞めねばならないのが実態であり、この実態を改革していかないと、日本の海外緊急医療体制が前進していかない。例えば、海外緊急派遣医師を有する病院や企業を優遇するような政策や名誉を与えるような政策が重要である。また、海外派遣医師登録の人材バンクやネットワーク制を充実していく必要がある。
- 医師の海外派遣をスムーズにしていくには、日本国内の主治医師制度から、チーム医師制度に転換していく必要がある。そうすれば、患者側も、担当医師が不在となっても不安を抱くことなく、別の担当医師が対応すれば問題がなくなる。主治医師制だと、その医師が海外不在になれば、どうしても患者側が大きな不安と不満を持つことになる。
- 海外医療支援では、機材供与が1年で終わり、その後は長くても2年で支援が終わってしまう。
やはり、現地で医療体制が根付くようにするためには、5年の長期支援コースも必要ではないか。
- HuMA医療サイト視察
医師・看護士による医療支援チームであるHuMAを訪問し、AMDA同様に、民主党からの支援として、50万円を供与。「現地の物価を考えると、購入できる必要物資は大変多く、とても有り難い」と感謝の意が述べられた。十数人程度が、入院しながら療養していた。また、実際に手術現場に立ち会った。同手術に見られるように、今回の家屋倒壊による怪我では、石や砂などが患部に入り込み、それらを完全に除去せずに縫合してしまって、患部が広範囲に亘って化膿していくケースがとても多いということであった。
HuMA医師による手術
HuMA施設で患者と - 国際緊急援助隊医療チーム活動サイト視察
最も被害の大きかったバントゥールで活動。大きな日の丸の下、インドネシア側からの特段の配慮によって、主要道路を一部遮断して、ムハマディア病院の側に拠点を確保。十数人の患者がいた。巡回医療も実施。日本で唯一の野外レントゲン施設を有し、数多くの経験に立脚して機能的組織的に医療が施されていた。そのレントゲン施設をあてにして、最近では、ガン検診を要望する患者の例もあった由。
国際緊急援助隊の医療サイト視察 - 日本赤十字病院視察
バントゥールのかなり奥地に入っての活動。周りの住宅は、ほとんどが倒壊家屋。ゼロからの医療拠点作りではなく、被害を受けた現地の診療所の医師を助ける格好での医療活動。従って、現地の医師や看護士との共同作業。日赤が支援している二ヵ所の仮設診療所では毎日計50~70人の患者さんが来院している。日本赤十字は、他の赤十字と連携をとりながら活動している。同時に、日赤としては、今後は、「フィールド・クリニック」というコンセプトを使って、新たな海外医療体制を確立していくとの説明があった。特に、欧米主体の医療体制づくりから脱却して、きめの細かいアジア人の特徴を生かした形でのアジア人による医療を推進していくとの表明があった。この夏にアジア人による国際医療支援体制整備のためのシンポジウムを日本で開く由。また、WHOが開発した医療・医薬品キット(32個の段ボール箱でのセット)が大変役立っているとの指摘あり。このキットにより、1ヶ月に1万人に対し対応が可能となる由。
- 最大被害地視察(バントゥール~プレレット)
最大被害地を広範囲に視察した。村々で被害状況はかなり異なり、家屋倒壊の原因を一般化することはできなかった。必ずしも、旧い家屋のみが倒壊しているわけではなく、新しい家が倒壊しているケースも多々あった。道路が地割れしているところがほとんどなく、村々の地盤が主要原因と考えることにも無理があった。結局、家屋の建築資材や建築状況、地盤や地形など複雑な要素が絡み合って倒壊したと言わざるを得ない状況。なお、道路では、物乞いをする子供や大人が多数見られた。また、食料や医薬品が本当に政府の言うように整然と行き渡っているようには見えないケースがあった。
バントゥール付近の被害状況。屋根や壁は倒壊しているが、すでに自宅での生活を始めている。
バントゥール付近。瓦礫を運ぶ作業
バントゥール付近。竹を組み立て、家屋を再建中。
プレレット付近。瓦礫集め中。 - プランバナン周辺の被災遺跡(世界遺産)視察
周辺遺跡の一つでは、せっかく政府が長年の遺跡修復を行い、修復完成の披露がなされる時期に、地震被害で遺跡頂上部分が倒壊した例などを視察した。現地では、NHKも取材にきていて生中継を行っていた。
修復したばかりの遺跡(左)の頂上部が倒壊。 - バクリー国民福祉担当調整大臣及びハムシャ社会大臣との会談
*大統領、副大統領に次ぐ、今回の地震対策の最高責任者。地震発生後、日本の要人との初の会談
(団側)
住宅再建について日本での震災復興の経験と知識を活かして頂ければ。阪神・淡路大地震や新潟中越地震における自治体の対策についてそのノウハウを提供したいと考えるが如何か。- ムラピ地震観測所の視察をした。5月中旬、所謂溶岩ドームは限界ぎりぎりの状態まで膨張している。溶岩だけでなく噴火ガスの被害が予想される。観測所の研究員からは火山国日本の衛星写真提供の要請を受けており、その要請に出来得る限り応えたいと考える。
- 今回の地震では家屋の倒壊原因は建築基準が不徹底な事にあるのではないか。我が国の建築基準や建築士の資格基準等法制度での情報交換をしていく必要があるのでは。
(バクリー国民福祉担当調整大臣)- 医療援助の必要な段階は収束。
- 住宅再建の基本的イニシアチブは既に示した。全壊や半壊住宅の再建支援はインドネシア政府で責任を持つ。但し、被害の少ない住宅が全く支援を受けないという不公平感を憂慮している。日本としてその様な住宅の改修などに支援を求めたい。
- 火山活動に対する学術的、人的支援についてはでき得る限りの支援を要請したい。
- 7月1日から住宅再建を進める上で制度的助言に関しては間に合わないと考える。速やかな住宅再建に協力して頂きたい。
バクリー国民福祉担当調整大臣との会談 - 元日本留学生との昼食会
東南アジア文化友好協会の取り計らいにより、インドネシアの元日本留学生とその夫人らと昼食会を開催。第2次大戦中病気で死に直面した加藤亮一牧師は現地の人々の看護で一命をとり止めた。そこで、加藤牧師は、恩返しのために、日本兵とインドネシア女性との間に生まれ、インドネシアに残された「戦争遺児」などを日本に招く活動を始めた。この受け皿となったのが、東南アジア文化友好協会である。出席者から40年にわたるインドネシアと日本の成長過程の比較、インドネシアにおける日本人社会の現状やインドネシア人の親日感情についてもお聞きし有意義な意見交換ができた。
- 自衛隊医療部隊視察(グヌンキドゥル)
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