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飯舘村での除染活動とJビレッジを視察2011年06月12日

  東日本大震災から3ヶ月後の6月11日、私は福島県飯舘村での放射能の除染活動と福島原発の作業員の中継所となっているJビレッジの視察を行いました。

  

          (右が田中俊一さん)

   

 (ビニールシートの下が廃棄物)(鴫原区長に畑のアスパラを頂く)

 

    

    (NHKのインタビュー)

 

 飯舘村長泥地区の鴫原区長のお宅には、前原子力委員会委員長代理の田中俊一さんと原子力開発機構のボランティアの皆さんに同行しました。田中さんは1999年の東海村のJCO事故の収束を指揮した人で、福島原発事故後の3月31日には、原子力安全委員会の松浦祥次郎氏など歴代委員長を含む原発推進派学者など15人と共に懺悔と提案を行いました。

 「原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝する」と謝罪した上で、政府や東電に対する抜本的な提案をしたのです。

 

  

   (左端が石原洋三郎代議士、中央が鴫原区長)

 

 その後、週末ごとに飯舘村に入り、歌壇、草地、屋根、雨どい、杉の枝、アスパラガス畑などの除染活動を行ってきました。ポロイオン溶液を散布してセシウムの飛散を防止してから土や枯葉などを除去します。屋根や雨どいなどは高圧で水洗浄します。

 

 こうして洗浄した廃棄物をビニール袋に入れて裏山にまとめビニールシートで覆います。

 

 今後は飯舘村や伊達市を皮切りに福島県などとも連携し、原子力開発機構の様々な技術と組織力を生かして、福島県の汚染地域の除染活動を大掛かりに行って行きたいとの壮大な計画です。

 

 Jビレッジでは、自衛隊や東京電力などを中心に福島原発の対応に当たる作業員の皆さんや車両、ヘリコプターなどの除染活動や後方支援活動を行っていました。毎日千人以上の人々がここを通過するとのこと。マスクや防護服、線量計、食料などが並べられ、様々な服を着た作業員が慌しく動いていました。

 

 飯舘村もJビレッジも美しく、素晴らしい環境の地域です。原発事故さえなかったら!とため息をつきました。

 

 福島原発事故の真の収束と、この地域で活動する皆さんの安全をお祈りします。

 

                (Jビレッジ外観)

   

  

     (車の除染活動)

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