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参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録「旧麻生鉱業等外国人捕虜政策について」2008年12月18日

活動報告

2008年12月18日

参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録

旧麻生鉱業等外国人捕虜政策について

○委員長(北澤俊美君) それでは、防衛省の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。

 本案の趣旨説明は既に聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。

 質疑のある方は順次御発言を願います。

○藤田幸久君 民主党の藤田幸久でございます。

 政府委員の方、たくさん今日お越しでございますが、私の方で要求をしたとき、委員長が指名されたときのみ政府委員にはお願いをしたいと思います。

 冒頭で中曽根外務大臣に申し上げます。

 クラスター爆弾の調印式、オスロに出席をいただきましたこと、この関係の議連でも活動してきた一人として御礼を申し上げたいと思います。

 今日は、十一月十三日の当委員会で麻生総理に私が質問をした中で、麻生鉱業に関する二つの資料をその日に提出をいたしました。今日お配りしております資料の最後の数枚がそのときの資料の一部でございます。この麻生鉱業に関する資料がアメリカの公文書館等でございまして、それについて質問いたしましたところ、麻生総理から、その内容が適切であれば答弁するとのことでございましたが、日本政府としてその適正調査をしていただいたわけでございますけれども、その点について厚生労働省の方から報告をしていただきたいと思います。

○政府参考人(及川桂君) お答え申し上げます。

 厚生労働省におきまして先般の審議を受けて調査を行いました結果につきましての御報告でありますが、厚労省において保管しております資料につきまして漏れがないように注意しながら探索をいたしました。

 その結果といたしまして、議員が先般の委員会に提出なさいました資料そのもの、同一の資料は厚労省保管の資料の中には見付からなかったところでございます。しかしながら、厚労省保管の資料の中に麻生鉱業の吉隈炭坑に俘虜収容所が開設されていたことに関連した資料が見付かっておりまして、その内容につきまして議員が提出されました資料と記載されている内容において共通する点が多いといった状況でございます。

 こういったことから、議員が提出されました麻生鉱業から俘虜情報局に提出されました資料につきましては、真正に作成されたものと見てよいのではないかというように考えているところでございます。

 以上でございます。

○藤田幸久君 ありがとうございます。

 今日お配りした資料の表紙がこの「麻生鉱業関係資料一覧」ということで、今、及川審議官始め大変な御苦労をされて数十年ぶりに厚生労働省の地下にありました本当にほこりだらけの貴重な資料を随分時間を掛けて発掘、そして調査をしていただいたということでございます。この資料一覧というのに目次が出ておりますが、実はこれ最後のページが四十三ページでございます。四十三ページのうちの数枚、今日はコピーを皆さんにお配りしているということで、その目次でございます。

 この内容について、時間がございますので、限りが、その国別の人数とか期間とか勤務内容等々について、概要をちょっと御説明いただけますでしょうか。

○政府参考人(及川桂君) 厚生労働省の保管資料を調べた中で、俘虜情報局から引き継いだ資料ということで「俘虜収容所分所別一覧表」といったような資料がございました。これらによりますと、福岡県嘉穂郡桂川町の麻生鉱業吉隈炭坑に俘虜収容所が開設されたこと、これは福岡俘虜収容所の第二十六分所として開設されたというふうなこと、また、この第二十六分所におきましては、昭和二十年の五月十日に開設されて、同年八月十五日に閉鎖されたこと、八月十五日現在において三百人の捕虜を収容しておって、国籍別にはイギリス人が百一人、オランダ人が二人、オーストラリア人が百九十七人といったような状況であったこと、また炭坑における採炭などの労役をさせていたといったような状況、またオーストラリア人の俘虜二名が収容中に死亡したと、そういった状況が記載されているという状況でございます。

○藤田幸久君 ありがとうございます。

 真正というふうに認めていただいた元々麻生鉱業から出された資料でございますけれども、その最後を見ますと、この皆さんにお配りした資料の後ろから二ページ目でございますけれども、要するに一九四五年二月二十二日に麻生鉱業の方から杉山陸軍大臣に対して三百人を一年間使用したいという許可願が出ているという内容でございます。

 そして、その中の屈強な百五十名ほどを炭坑内の労働、あるいは防空ごう掘り等に使用したというような記載もございます。そして、こうした報告書を翌一九四六年の一月二十四日に提出をしているということでございます。これは日本軍の俘虜情報局に提出をしたと。かなり詳しい内容が出ております、栄養状況その他。

 この中で、私は、例えば将校を除くというような記載がございまして、これは厚労省の方の御説明によりましても、この捕虜を扱う担当者が、日本はまだジュネーブ条約に入っていなかったにもかかわらず、ジュネーブ条約等を意識をした非常に適切な扱いをしていたという、聞いた私も非常に良かったなと思うようなこともございますが、詳しい内容についてはこれから更に調べていきたいと思っております。

 ただ、これだけの資料が政府としてあったわけですね。ところが、これまでほとんどこうした調査が行われてこなかったという理由について厚生労働省の方からお聞きしたいと思います。

○政府参考人(及川桂君) まず、捕虜に関する資料を厚生労働省が保管している経緯から申し上げさせていただきます。

 昭和十六年に外国人捕虜関係の事務を担当する組織として旧陸軍に俘虜情報局が設置され、この俘虜情報局の組織につきましては、戦後、陸軍の後継組織であります第一復員省、その後、総理府を経て、この組織が昭和三十二年に廃止された際に、保管している資料が厚生省に引き継がれて今日に至っているという経緯でございます。

 資料の調査のことにつきましては、戦後の古い時期のことについては現時点ではよく分からないといった部分もございますが、最近、近年における状況といたしましては、これらの資料を用いて本格的に調査を行うような事案がなかったために資料の調査といったことを行ってこなかったということではないかと考えているところでございます。

○藤田幸久君 事案がなかったという、事案にならなかった理由は、私はむしろ外務省ではないかというふうに思っております。

 今日は麻生総理出席されておりませんが、外務大臣であったときにこういった問題について問題になったわけであります。なぜこうした、ある意味ではこの捕虜の問題というのは、後で申し上げますが、ポツダム宣言受諾の大きな要因でもあって、外交の大きな柱の一つであるべきことについて、なぜ基本的な事実を調べなかったのか、外務省として。そのことについて、外務大臣、お答えいただきたいと思います。

○国務大臣(中曽根弘文君) 麻生総理の外務大臣在任中に、外務省におきまして必要な確認は行いました。しかし、その時点では、麻生鉱業が連合軍の捕虜を労役させていたというそういう情報は確認できなかったと、そういうふうに承知をしております。

○藤田幸久君 確認ができなかったにもかかわらず、これ二〇〇六年の十一月ですけれども、ニューヨーク・タイムスあるいはヘラルド・トリビューンにかなり詳細な記事が出ました、ニューヨーク・タイムスの記者の名前で。それに対して、当時のニューヨークの総領事館のホームページとか、シンガポール大使の名前で、これはサウスチャイナ・モーニング・ポストだったと思いますけれども、それから外務報道官が、こうした事実そのものを否定するようなことを記載されていますね、あるいは手紙で出したり。

 では、その確認をされておられなかったのに、なぜそういう全否定的なことをホームページに書いたり新聞に投書したりされたんでしょうか。

○国務大臣(中曽根弘文君) 在ニューヨークの日本総領事館のホームページには、麻生鉱業が強制労働者を使用した旨の記述を含む二〇〇六年十一月十五日付けインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙記事に関しまして、日本政府として反論を掲載をいたしました。この反論は、当時外務省において必要な確認を行って、その時点で得られた情報に基づいて行ったものでございます。

○藤田幸久君 当時、国会図書館でも、一般の市販の文書でもかなり出ていましたですよ、死亡者の固有名詞から含めて。

 それから、これだけニューヨーク・タイムスが書いているのに関して、この総領事館のホームページはニューヨーク・タイムス紙が証拠なしにこのような批判的表現を行うとは甚だ遺憾であるというふうに書いているわけで、そこまで理由をはっきりしていながら、つまりニューヨーク・タイムスをそれだけ攻撃しながら、情報が得られなかったと。

 これ、英文の方で見る限りでは、当企業がそうしたことに関与したという情報は得ていないと書いてあるわけですね。得ていないということは、主体的に調べていないということですよね。それを公のホームページで外務省が、しかも一か所だけではなくて三か所でそういったことをしているということは、要するに調査をしていないということではないかと。だって、市販にも図書館にもあるわけですね。

 それから、もう一つ、そういった記載をするということを最終的に許可したのはだれですか、当時の外務省の中で。

○国務大臣(中曽根弘文君) 今の御質問の許可したのはだれかということについては、私自身ちょっと存じ上げませんので、後ほど、もしお許しいただければ事務方から説明さしていただきたいと思いますが、この件につきましては、今般、貴委員の御指摘も踏まえまして厚労省が行った調査により新しい事実が明らかになりましたことから、先ほど申し上げました反論はホームページから削除をいたしました。

 一方、シンガポール大使館によります地元紙への反論につきましては、これは二〇〇七年六月二十七日付けのストレーツ・タイムズ紙にありました、本当の麻生太郎とはというそういう寄稿記事でございますが、これに対して行ったものでございまして、八月七日付け同紙に掲載されましたけど、この反論におきましては、麻生鉱業の強制労働に関しては何ら言及をしておりません。

○藤田幸久君 では、これだけニューヨーク・タイムスに対してこういう記載をされたわけですから、ニューヨーク・タイムスに対してしかるべき書簡を出すなり謝罪をするなりしていただきたいと思います。私はニューヨーク・タイムスの人間じゃないけれども、これ公の、これだけの新聞がこれだけ日本大使館にホームページで批判をされているわけですから、その対応をお願いしたいと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(中曽根弘文君) この反論の掲載は、当時外務省におきまして必要な確認を行って、その時点で得られた情報に基づいてまず行ったものでございますが、今申し上げましたように、厚労省の調査などがありまして新たな事実が明らかになりましたので、反論を掲載したときの状況とは異なる状況に至ったと。そういうことから、この反論をホームページから削除することにしたものでございますが、削除の趣旨につきましては、この委員会での今日のやり取りなどが議事録となって対外的に公表されることになるわけでありまして、外務省といたしましては、在外公館も含めまして、削除の理由について照会があれば本日私より申し上げた内容の説明を行うことと、そういうふうにしたいと思っております。

○藤田幸久君 余りにひどい話ですが、ちょっと時間がないので次に移りますけれども。

 保土ヶ谷に英国連邦の捕虜墓地というのがございます。ここにはブレア首相とか英連邦系の外務大臣とかがたくさん訪問しております。私がこういう関係の支援をしておる方から伺った話で、二人の外務大臣が実はお父さんとかおじいさんが捕虜として日本軍にひどい扱いを受けたと。ある外務大臣は、そんなことがあったので日本の土を踏みたくなかったと、だけれども、必要上その墓地を訪問したんだというようなお話も聞いております。ほかにもいろいろな方がその捕虜の子孫としていまだに憎しみとかトラウマを引きずっていらっしゃると。

 この保土ヶ谷の英国連邦捕虜墓地を日本の閣僚は一度も訪問をしていないと。実際には行かないような実は取扱いになっているというふうに理解をしておりますが、なぜこれだけの重要な墓地を日本の外務大臣を始めとする閣僚は訪問していないんでしょうか。

○国務大臣(中曽根弘文君) 閣僚によりますこの保土ヶ谷の英連邦、英国連邦ですね、捕虜墓地、戦死者墓地訪問については、基本的には個々の閣僚が判断すべきものだと、そういうふうに思っておりますし、過去の閣僚の皆さんがどういう理由で訪問されていないのかは私自身は存じておりません。

○藤田幸久君 これだけ重要な各国の方々が、それだけある意味では思いを超えてまで重要だと訪問されている場所でございますから、是非、中曽根外務大臣、検討していただきたいと思います。

 返答は結構です。

 それから、今年の六月に、そうした捕虜の一人でありました、これ、アメリカ人の捕虜のレスター・テニーさんという方が日本にいらっしゃいました。私の資料の一番後ろのページに出ております。この方は有名なあのバターンの行進にかかわった方でございますが、その後、三井三池鉱山で労働された後、大変日本に対しては憎しみを持っておられたわけですが、日本人の学生をホームステイで受け入れたことから日本との和解活動を始めて、今、日本に来るたびに日本の大学等を訪問して、学生に和解の活動をされておられると。

 ところが、今、外務省はイギリスとかオランダとかオーストラリアの元捕虜の方を日本に招聘をする平和友好交流計画というのをやっているんですが、アメリカの捕虜だけ排除しているんです。

 今回、日本に来ていただいて、当時、たまたま河村官房長官も同席されておられましたけれども、そういうこともございまして、二週間ほど前ですか、先月に藤崎駐米大使御夫妻がこのテニーさん御夫妻に会っていただきました、ワシントンで。

 なぜアメリカの捕虜だけそうした交流計画から外されているのか。やはり捕虜の問題というのは現在と未来の外交の重要な課題ですから、アメリカの捕虜、しかもこの和解のために動いていらっしゃる方々で、八十何歳の方でいらっしゃいます。

 是非、そうしたアメリカ人の捕虜に対しても新しい対応をしていただきたいと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(中曽根弘文君) 先月の十一日でしたか、レスター・テニー氏からの強い要請を受けまして、藤崎駐米大使は同氏と面談したと、そういうふうに承知をしておりまして、率直な意見交換を行ったと、そういうふうに聞いております。

 まず、こういうふうな意見交換を行うということは大変重要なことだと私は思っております。

 この招聘プログラムにつきましては、イギリスやオランダとの間のプログラムがあったわけで、これはもう来年で終了するわけでありますが、今委員がおっしゃいましたこの招聘プログラムについては、今後慎重に検討していく考えでございます。

○藤田幸久君 理由も含めてちゃんとやっぱり対応をしていただきたいと思う。これは日本外交にとって私は非常にいいことだろうと思います、こうした前向きに取り扱うことが。

 それで、例えば、ロシアは三十七万人分の日本人の捕虜、抑留者の個人資料を日本政府に提出しています。そして、厚労省の社会援護局に請求すればコピーももらえると。そこまでロシアはやってくださっているんですよ、三十七万人分の名簿。

 これ、突然ですけれども、及川審議官、ございますですね、厚労省で。

○政府参考人(及川桂君) ロシアとの間におきましては、一九九一年の協定以来、ロシア抑留中の死亡者名簿、またロシア抑留者の個人資料ということで、個人資料につきましては四十七万人分というふうに承知しておりますけれども、その提供を受けてございまして、提供を受けた資料につきましては、御遺族の方々にお知らせをして、入手を希望される方にはお渡しすると、そういうふうな対応をしているということでございます。

○藤田幸久君 ありがとうございました。

 中曽根大臣、つまり、この抑留者とか捕虜の方のお子さんやお孫さんもまず知る権利があるんだろうと思います。そして、やはりそうしたことに対して協力をすることが私必要だろうと思うんです。ところが、外務省は調べもせずにニューヨーク・タイムスにこんな反論までしていたと、そしてその捕虜の方々に対してこういう扱いをしていたと。ロシアですらと言っちゃ恐縮でございますけれども協力してくれているのに、日本政府の方がそういった後ろ向きな捕虜政策を取っていらっしゃると。

 大臣、ポツダム宣言でこの捕虜の問題も含めて日本が対応をするということで受諾をしているということは御存じありませんか。

○国務大臣(中曽根弘文君) ポツダム宣言の第十項におきましては、「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」と規定されていることを私は認識をしております。

○藤田幸久君 したがいまして、この捕虜の問題というのは、日本がこれから国際社会で信頼を得ていく上においても非常に重要な外交課題であり、武器になり得る問題ではないかと思いますけれども、今後の捕虜政策の取組について外務大臣の所見を伺いたいと思います。

○国務大臣(中曽根弘文君) 今、ポツダム宣言第十項について申し上げましたけれども、我が国は、さらに、捕虜の取扱いを規定いたしますジュネーブ条約の第三条約に一九五三年に加入もいたしまして、さらに、この条約を含むジュネーブ諸条約を補充、拡充する第一追加議定書にも二〇〇四年に加入をいたしました。こうしたいわゆる国際人道法の主要な条約を我が国が締結するということは、国際社会におきます国際人道法の発展を促進するとともに、我が国の国際的な信頼性を高めるとの観点からも、私は非常に意義があると考えております。

 我が国としては、今後もこれらの、まず国際人道法の諸規定を着実に遵守していくという考えでございますが、元捕虜の問題も含めまして、関係国、関係者との和解に向けて、我が国は一九九五年から十年間、関係諸国との間で歴史研究支援事業とかあるいは交流事業の二本柱から成る平和友好交流計画を実施してきているわけでありまして、今後もこれらの取組について前向きな対応をしていきたいと、そういうふうに思っております。

○藤田幸久君 であるならば、遅まきながら二〇〇四年にこの人道法のジュネーブ条約の追加議定書に加わったと、法律はそれで整備をされたと、そしてプログラム、まあ交流活動をしていると。

 だけれども、その基礎として、実はおひざ元の政府の中にこれだけの貴重な資料が存在をしていると。今回も、この福岡月報という、何ページ目かに入っておりますけれども、今まで民間あるいは図書館にもなかった資料だというふうに理解をしております。これは収容所別にあるんだそうです。

 今回、厚労省の方は、要するに麻生炭鉱、鉱山だけの部分で福岡月報を出していただいたわけですが、ほかにもあるわけです。

 ですから、むしろ外務省の方から、せっかく同じ政府の中の厚労省にこれだけ宝のような貴重なものがあるわけですから、ロシアだって提供されたものがあるわけですから、是非、政府の中でそうした資料収集、それから研究ですね、今後恥をかかないように、ほかの在外公館でホームページを出したりですね、そういう調査を外務省それから厚労省、一緒になって進めていただけませんか。

○国務大臣(中曽根弘文君) 先ほどお話ありました情報についても、やはりまた今後のことにつきましても、厚労省と、どういうことができるか、よく相談してやっていきたいと思います。

○藤田幸久君 少なくても、総理もしっかり資料が真正であるならば報告をするとおっしゃっていたくらいでありますし、今のお言葉もありますから、最低、厚労省の中にある捕虜関係の資料の精査、それからアメリカの公文書館も、実はこれ十六ページ出しましたけれども、詳細ですけれども、更にありますと理解をしております。それから、実は国会図書館にも相当ありました。ほかにもあるんだろうと思います。それから、厚労省以外にも、政府のほかの部局に行っている可能性もあるということも内々聞いています。

 私ごときだけでも最低それだけのことは想像が付くわけですから、少なくても厚労省の中の資料、それからアメリカの公文書館、国会図書館、考えられるほかの日本政府の省庁内にあり得る想像される資料についてはそれを調査をするということだけ約束してくれませんか。じゃ、逆にそういったことはしないという理由があるんだったら言ってください。ないんであるならば、それだけは約束してください。

○国務大臣(中曽根弘文君) ただいまのこの質疑等も十分踏まえまして今後検討していきたいと、そういうふうに思います。

○藤田幸久君 私はたまたま、ビルマ戦線で戦ったイギリス人と日本の兵士の方と交流にお付き合いをしたこともございます。イギリスの元捕虜の方が靖国神社を訪問したとき、私も一緒に行ったことがあります。戦った者同士、その当時はA級戦犯云々の前でしたけれども、そういう捕虜の方が、実は九五年ごろだったと思いますが、日本の天皇陛下がイギリス訪問のときにその捕虜の方々が大歓迎してくれたんです、反対運動もあったのに。

 ですから、捕虜の方々というのはむしろ、大臣、事務方に聞かなくても結構です、つまり、捕虜の方々というのは、自分で戦った同士の和解のメッセージというか意識というのを持っていらっしゃるんです。ですから、そういう方々と連携することは、日本にとって大変重要な、いいきっかけになるんです。それから、私はインパール作戦に参加をされた方と日本の兵士の交流をして、日章旗を届けられたことがあります、そのイギリス人の兵士から。そういういい交流があるんです。

 今、「私は貝になりたい」という番組がまたできるそうでありますけれども、是非そういったことを、外務大臣として是非外交の柱として、これは武器は要らないんですから、心の武器でそういったことをやっていただきたいと思いますが、したがって、そういったことも含めて調査をやっていただきたいと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(中曽根弘文君) 旧捕虜とそれから戦った者同士の交流というのは大変大事だと私も思っております。

 実は、つい十日か二週間前でありますが、インドネシアのあそこのスラバヤ沖ですか、日本の海軍が英国の軍隊の船を撃沈しまして、これ「雷」という日本の船、それから「電」という船ですが、四、五百名の英国の軍人が海上に漂っているのを全員助けて、そして衣服を与え、食料を与えたことがあります。そのときの助けてもらったイギリスの一兵士がつい先日、日本に来まして、我々としても、これはある意味では大変美しい話でもありますし、当たり前といえば当たり前のことなんですが、そういう戦争の、戦いというものの過去を乗り越えて交流をして、二度と戦いにならないようにという交流があったわけでありまして、私もその実行委員を務め、当初からこれ計画をやってきた者ですが、委員のおっしゃることよく分かりますので、そういうことも踏まえて、今日の御審議も踏まえて、今後、対応をやっていきたいと思います。

○藤田幸久君 ありがとうございます。是非前向きにお願いしたい。

 一言、サウスチャイナ・モーニング・ポストはストレート・タイムスの間違いでしたので、それだけ訂正をして、質問を終わります。

 ありがとうございました。

○委員長(北澤俊美君) 余計なことかもしれませんが、私も新聞記事見ましたが、あれは「電」じゃなくて「雷」だと思います。

○国務大臣(中曽根弘文君) 「雷」と「電」、両方あるんです。

○委員長(北澤俊美君) そうですか。

○国務大臣(中曽根弘文君) 「電」もあるんです。

○委員長(北澤俊美君) ああ、そうですか。それは失礼いたしました。