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『ロシア人からウクライナ人に対する謝罪』2022年05月17日


 国際的な道徳平和活動、国際IC (Initiatives of Change旧国際MRA(Moral Re-Armament)は、ロシアのウクライナ侵攻以降、毎月ウクライナやロシアの人々も含め、私たちにどんな貢献ができるかについてZOOM会議を行っています。4月30日もウクライナやロシアの方々も含めた意見交換が行われました。その時に私と同じグループにいたモスクワの女性教師エレナ・シャバーツさん(写真の一番下)は、ウクライナの皆さんに謝罪をされました。その時の考えをまとめたメッセージが5月12日国際ICのホームページに掲載されました。
 ウクライナ各地では国際ICの関係者が様々な救援活動を行っているほか、スイス・コーの国際IC会議場の別棟は既に約30人のウクライナ人を受け入れています。またポーランド、ハンガリー、スウェーデン、ノルウェー、イギリスなどで国際ICの関係者が様々な支援を行っています。
 是非、皆さんからもご支援をお願いいたします。以下がメッセージ全文です。

『ロシアからの謝罪』
 私は今「Sorry and Beyond(申し訳ありません。そしてその先へ)」という本を読んでいます。オーストラリア国民が白人社会とアボリジニ(先住民)社会との和解に向けて取り組んだ感動的な記録です。
 1788年以降、ヨーロッパ人が到着し、先住民族の伝統的な生活様式を破壊しました。20世紀の大半の間、先住民をヨーロッパ風に強制的に同化する残酷な政策が実行されました。子供たちは家族から引き離されて孤児院や里親家庭に入れられ、そこで彼らはいじめや虐待を受け、奴隷の仕事のみに適した三流市民として育てられました。そして悲惨な結果をもたらしました。アボリジニの何万人もの命が破壊され、子供と若者の高い死亡率、アルコール依存症、薬物中毒、犯罪、教育と健康の大幅な低下が生じました。
 最終的に、そうした危害は認識され、強制同化は撤回されました。しかし、危害を止めるだけでは充分ではありません。傷は修復されなければなりません。しかし、どうやって子供の頃のトラウマの影響を修復しますか?家族を分断し、いじめ、レイプ、破壊を行った社会に対する不信感と憎しみを癒しますか?
 簡単な答えはありません。傷を癒す道は長くて厄介です。社会的プログラム、多額の支援予算、革新的な解決策が必要です。しかし、最も重要なのは、傷つけたことを謝らずに癒しは不可能だということです。非人道的な政策による犠牲者に対する3つの短い言葉「We are sorry(私たちは申し訳ありません)」が不可欠です。そして実はこれが最も難しいのです。
 そこで問題は誰が何について謝るべきか、ということです。「申し訳ありません」と言うことは,あなたが今謝っている罪を犯したという意味ではありません。許しを求めるということは、あなたの社会が犯した痛みや苦しみに対して連帯感を表明することを意味します。「申し訳ありません」と言うことは、人生が破壊された人たちに対して、あなたの国民が犯したことを恥じていることを伝えることを意味します。そして、それは、このようなことが二度と起こらないようにあらゆる努力を行うと約束することを意味します。
 オーストラリアの白人社会がこの一歩を踏み出しました。しかし、それは人種差別とジェノサイドの恥ずべき行いを実行した人たちによってではありません。それはそうしたことを行った人たちの後に来た人たちによって担われました。彼らは、謝罪しなければ過去は決して終わらず、罪は決して断罪されず、オーストラリアの未来は決して明るくならないことを理解していたのです。この大きな一歩は、他人の痛みを感じる心と、悲しみを公に表現することとがいかに重要かを理解できる頭を持っていた人たちによって踏み出されました。
 ロシアのウクライナ攻撃とオーストラリアの人種差別政策との間には共通点がないと考えられるかもしれません。しかし、以下のような重要な類似点があります。国家の優越感という誤った感覚に基づく無実の人々に対するいわれのない残虐行為、暴力を行使している相手国の自立と尊厳を認めることの拒否、残虐行為とそれを犯した人々の隠蔽。そして嘘。無限で、多様で、絶えず変化し、そして拡散していく嘘です。
 この戦争がどう終わるかは誰にも分かりません。しかし、それが終わると、平和な生活はおそらくゼロから再建されなければなりません。数え切れないほどの犯罪、何万人もの犠牲者、何百万人もの壊れた生活、破壊された都市や村や道路といった、最も暗い遺産が残ります。そして、民族同士の破壊された関係が。しかし、どんなに苦痛が大きかろうとも、ロシア人とウクライナ人はお互いに共存しなければなりません。この関係の再建は、家や道路を再建するよりもはるかに難しいでしょう。しかし、ロシア人からのざんげがなければ、関係を再構築することは全く不可能です。
 ロシア人はウクライナ人に謝罪しなければなりません。オーストラリアと同様に、「申し訳ありません」という言葉は、都市を砲撃するよう軍隊に命じた人々や、人々を殺し、都市や村を焼き払った人たちから発せられる可能性は低いと思われます。これらの言葉は、多くの苦しみを強いられた人々の痛みを感じるロシア人によって語られるでしょう。謝罪は、全体主義組織を構築した自分自身の役割を認識している人々から発せられる可能性も期待できます。彼らは、日々の生活における暴力と不正を無視し、小さな嘘に目をつぶることに組し、屈辱を飲み込み、日常の腐敗に加わることによって、気づかずに、徐々に、ますます悪のメカニズムの一部になっていることに気づくでしょう。
 しかし、真理のために戦い、投獄されたロシア人たちもまた、赦しを求めるでしょう。彼らもまた、自分たちは無実でありながら、国の行為に対して強い正義感と責任感を抱いているがゆえに、「申し訳ありません」と言うと思います。ウクライナの人々に「申し訳ありません」と言うことは、国家の優越感を生みだし、戦争へと導いた犯罪的イデオロギーをきっぱりと放棄することを意味します。それはまた、平等で、お互いを尊重し、真実に基づいた新しい世界を築くという意思の表明でもあります。私は、この国民的なざんげと癒しの時が来ると確信しています。しかし、それを待つ理由はありません。すでに今日、自国による苦しみと恥じとによって傷ついた人々や、苦悩で心が傷ついている人々は、ウクライナの人々の悲しみに対する連帯を表明することができます。
 私はモスクワの一教師にすぎません。しかし、私は戦争と死をもたらす非人道的なイデオロギーを完全に拒否し、私の国がしていることを深く謝罪したいと思います。どうか私たちを許してください。今、皆さんの悲劇は私の悲劇となり、私の心は戦争の恐しさのために壊れています。皆さんがロシアの爆弾の下で苦しみ、死んでいる間は、私は決して普通の生活を送ることができないでしょう。私はロシアの兵器の狂気に対しては無力です。しかし、皆さんの命、勇気、皆さんの強さ、そして皆さんの勝利のために、全力で祈ります!