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  • 【2007年3月27日】

    母校の、日立市立会瀬小学校を数十年ぶりに訪れました。近くに住む今橋孝行元県会議員と同級生の篠原良君が同行し、鈴木俊雄校長が迎えて下さいました。私が学んだ頃には木造であった校舎は鉄筋に生まれ変わり、常磐線をまたぐ歩道橋も建設されましたが、少子化の波で生徒数が減り、静かな学校となっていました。

    今橋さんの弟さんがPTA会長を務めていた時に行われた創立50周年の記念誌に、たまたま私達の学年の卒業記念写真が掲載されており、自分の顔を発見して感激しました。

     

    午後は、元日立製作所労組の委員長で県会議員を務めた藤原誠さんを訪ねました。私の父、藤田浩蔵を直接知っている数少ない人です。

     

    父については、拙書「政治家になりたくなかった政治家」に以下のように記されています。

    「父は日立製作所の部長を務めながら、市会議員をしていたが、定年退職したあと始めた建設会社を私が大学一年生のときに倒産させてしまった。

    私が生まれた1950年はレッド・パージで大争議が起こり、一部の過激な指導者によるストライキの中で、駒井健一郎工場長(後の社長)が工場本館に閉じ込められた。     

    営繕課長の父は、下請企業を募りバリケードを築いて工場長を守った。そこで父は組合側の攻撃の対象になり、夜は女装して移動したり、当時日立市で2台しかないタクシーの1台を借り上げ、もう1台で追いかける組合側の追跡を振り切る、といったアクション映画ばりの修羅場をくぐったとのこと。

     秋田出身の父は、生真面目で融通が利かず、定年後始めた土建業も、それまでの大企業を背景にした殿様商売とはまるで異なり行き詰まってしまった。接待による営業も苦手、跡継ぎの長兄、豊久も仕事に気が入らず、資金繰りが悪化した。

     大学に入学した翌年、夜逃げを告げられ、大学の友人の家からトラックを借りて水戸に向かった。深夜最も大切な物を積めるだけ運び出し、東京の大岡山の先輩の酒屋の倉庫に荷物を預かってもらった。

     父親は心労も重なったためか、胃がんを患い、手術後10ヵ月後に他界した。」   

     

    こうした父の遺志も継いで、茨城のためにお役に立ちたいと意を新たにしました。

     

    (会瀬小学校で、左から)篠原良君、私、鈴木校長、今橋元県議

       (中央が、藤原誠元県議)

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