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MRA小田原アジアセンターにお別れ2007年04月01日

  私が長年関っている、モラルを基盤とした国際的な紛争解決のNGOである、MRA(現在はIC,イニシアチブ・オブ・チェンジ)のアジアセンター(現アジアセンターODAWARA)のお別れ会に出席しました。

 

これは、1962年(昭和37年)に、アジアにおけるMRA活動の拠点として建設されたもので、国鉄の十河総裁、日銀の山際総裁などの尽力で実現したセンターです。開所式には池田勇人首相をはじめ、歴代総理や各国の首脳が多数参列しました。

 

当時国交のなかった韓国の金鐘泌氏(後の首相)が、この開所式に出席という名目で来日し、大平正芳外相と有名な「大平・金会談」を行い、後の日韓国交正常化を前進させたことでも知られています。

 

このセンターを拠点として後の「シング・アウト」や「ステージ101」などの青年交流活動や移動学校なども行われました。また英会話教室の草分けともいえるLIOJの設立や、企業の研修の場としての役割も担いました。

 しかし、今回補強工事が必要と診断され、これが費用的に難しいことから閉館されることになりました。
 

結局、小沢市長の英断で、小田原市が買い取り、「史跡公園」となることになりました。北条早雲の居城という歴史性もかんがみ、文化庁などの支援も得られることになりました。

 

渋沢雅英理事長などが、このセンターを通じてアジアの和解と平和、青年や国際人の育成に果たした功績に心から感謝と敬意を表したいと思います。

 

 (中央が澁澤雅英さん。屋上から太平洋を望む))

 

          

           (アジアセンター正面)

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