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年頭挨拶ー憎しみを否定するフセインの遺言2007年01月01日

皆様明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

 

今年は「亥」年で、「変革の年」です。しかも、統一地方選挙と参議院議員選挙が重なる12年に1度の「亥」の年で、本格的な変革の年に猪突猛進したいと思います。

 

ところで昨年は、偽装、偽証、偽造、詐欺、疑惑、議言など多くの「騙し」や、さまざまな格差、そしていじめによる自殺や犯罪、自爆テロなどにより「命」がおろそかにされた一年でした。そして、その最後の大きなニュースが、イラクのサダム・フセイン元大統領の死刑執行でした。

 

150人を虐殺したという罪状ですが、同じ日に、イラク戦争開始以来のイラクの民間人の死者が5万人を超え、アメリカ兵の死者が3千人を超えたという報道がされました。

 

「イラク戦争は国連憲章に沿わず、違法だった。残忍な独裁者がいても、今よりはましだったと国民が考えるのは理解できる」というアナン国連前事務総長の発言や、「イラク戦争は間違っていた」という、アメリカ共和党のフォード元大統領の生前の発言などが、この急がれた処刑の妥当性に疑問を投げかけています。

 

私の高校生の甥が、「フセイン裁判の時のオドオドした裁判官より、フセインの方が立派に見えたよね」という素朴な印象が、多くの世界の市民の気持ちを表していると思います。

 

そんな折、友人から、イラクのフセイン元大統領の獄中声明(11月5日を12月27日にアメリカのCBSニュやAP通信が報じたと聞きました。日本のメディアが余り報じないのが不思議です。以下、イギリスのBBCサイトから一部を引用します。(和訳の一部は私が修正)

 「皆さんはあなたがたの兄弟である、指導者が意気軒昂であること、彼が暴君に屈服しなかったこと、そして彼を愛する者たちの願い通りに剣と旗を掲げ続けたことを既に知っている。

 

  ここに、私はみずからの魂をいけにえとして神にささげ、もし神が私の魂を殉教者たちとともに天国に送るのなら、私たちはそれを甘受するし神の意志に依拠することにしよう。

 

 私が皆さんに憎悪するなかれと呼びかけるのは、憎悪は人が公正であることを妨げ、憎悪は皆さんを盲目にして思考する道を閉ざし、バランスのとれた思考と正しい選択をさせなくするからである。 私はまた皆さんに、私たちを攻撃した諸国の国民を憎むことなく、政策決定者と国民を区別することを呼びかける。
 

 皆さんは、侵略国民の中にも侵略に反対する皆さんの戦いを支持する者がいること、そのなかのある者はサダム・フセインを含む拘束者の法的弁護活動を志願したことを知っておくべきである。
 

 誠実な国民の皆さん。 私は皆さんに別れを告げるが、私は慈悲深き神とともにあり、神は助けを求める人々を支援し、誠実で正直な信徒を決して裏切ることはない。神は偉大なり。イラク国民万歳。戦い続ける偉大なる国民万歳。                   サダム・フセイン」

 

 「憎悪するなかれ。私たちを攻撃した諸国の国民を憎むな」というのは、大変なステーツマンシップです。思い出すのは、南アフリカの白人少数派政権によって、27年間離れ島に投獄されたネルソン・マンデラ氏が解放された時に、「私は私を投獄した人々を憎んではいない」と第一声を発したことです。マンデラ氏は後の黒人多数派政権の初代大統領に就任し、ノーベル平和賞を受賞しました。白人も含む連立政権が実現したのは、彼の和解の精神によると言われています。

 

 私は、9.11のアメリカ同時多発テロが起きた200111月号の尾崎行雄記念財団の「世界と議会」という雑誌に「報復の循環に代わる、和解の循環へ」という拙文を寄稿しました。(ホームページの「メディア・トピックス」参照) その中で柳田邦夫氏の「テロの温床となる貧困は、衣食住の貧困に限らず、心の渇き、社会的(国際的)矛盾や怒りなどの比重が増大している」という言葉を引用しました。

 

 イラクの内戦化の悪化を防ぎ、中東全体で報復の循環を止める世界的な連携が必要です。そして、さまざまな格差、うそ、不正、憎しみの連鎖を変える世直しを目指して参ります。

 

 本年も宜しくお願いいたします。

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