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2009年07月12日平和構築に貢献する宗教の役割について講演

79日、パシフィコ横浜で開催された、「日本プロテスタント宣教150周年記念大会」の分科会で講演しました。これは、1859年に、ヘボン師、ブラウン師、シモンズ師が神奈川に、リギンズ師、ウィリアムズ師、フルベッキ師が長崎にそれぞれ宣教活動で来日して150周年を記念しての大会です。フランシスコ・ザビエル来日(1549年)によるカトリック教会の宣教活動や、沖縄(琉球)でのベッテルハイムらによる働き(1846-1854年)も同時期の歴史です。


 


 私は、冷戦終結後、紛争の原因とされてきた宗教が、むしろ、和解や紛争解決に大きな役割を果たすことができることを、様々な事例を紹介しながらお話しました。


 


        


                   


        


 


       


 


以下はその概要です。講演録は後に、大会の記念誌に掲載されると思います。


             


                   「和解と平和を作る宗教者の役割」


                


 


1 宗教は紛争や対立の原因か、それとも和解と平和の担い手か?


 ジミー・カーター元大統領(「宗教と国家 国際政治の盲点」PHP研究所)


 「歴史上、そして現代においても、宗教上の相違がしばしば戦争の原因や口実になってきたことは周知の事実である。だが多くの宗教家や教団の活躍が別の方向を示している事実はそれほど知られていない。彼らは、宗教が紛争の平和解決を促す有力な力になりうることを実証している。


 ベギン首相とサダト大統領に私を加えた1978年のキャンプ・デービット交渉は、私たちの宗教的バックグランドに大きく影響された。このことは、キャンプ・デービット会談に先駆け、祈祷者への共同アピールが発表されたことや、会談期間中に各自が個別の祈りを行っていたという事実に示されている。


 キャンプ・デービット会談が政治家に対して政治的解決を求めたものであったにせよ、会談は結局のところ宗教的使命感をもった人物を必要としていた。キャンプ・デービットにおける一つ一つの綱領は、平和という神より与えられた人間の最高使命を実現した。」


 この3人によるワシントンでの調印式(シェイク・ハンズ)で、「これからは、我々の身内を説得するという大きな戦いが待っている」とベギン首相とサダト大統領は述べた。その後二人とも身内の過激派から暗殺された。


 


宗教が世界の紛争解決や和解、建設的役割に貢献した事例研究(米国国務省の外交官教育の教材ともなった);


1 ニカラグアのサンダニスタ政権とインディオ諸民族との 宗教的和解に貢献した宗教指導者


2 ナイジェリア内戦の調停活動に貢献したクウェーカー


3 東ドイツ教会の、ベルリンの壁崩壊に至る非暴力的抗議行動、反体制運動の支援、調停と和解、及び壁崩壊後の新秩序形成における貢献


4 南アフリカのアパルトヘイトに神学的正統性を与えたオランダ改革派教会の、アパルトヘイト廃絶への大転換


5 白人少数支配のローデシアから黒人多数派政権のジンバブエへの無血独立に貢献したカソリック教会、クウェーカー、MRAの活動


 


2 戦後の独仏和解と日本の国際社会復帰に貢献したMRA運動


 MRA(Moral Re-Armament, Initiatives of Change, 橋本徹前会長) は、アメリカの牧師フランク・ブックマン博士によって1938年にスタートした。当時、各国は軍縮会議などで艦船の割合を規定しようなどと唱えていたが、実際には各国とも軍拡の道を突き進んでいた。そこで博士は、軍備増強(Military Armament)に代わる、道徳と精神の再武装(Moral and Spiritual Re-Armament)が世界の平和と繁栄のために必要だとの理念を訴え、各国に強い信頼関係を持つネットワークを構築した。 数年後に大戦は勃発するが、終戦直後から各国の関係者が、戦った国同士の和解を目指す活動を開始した。


(1) ドイツとフランスの和解の仲介


 ドイツとフランスは、普仏戦争、第1次大戦、第2次大戦と三度の大規模な戦争を戦ってきた隣国である。大戦終結翌年の1946年、MRAはスイスのコー(Caux)で和解を目指す国際会議場をオープンした。ここを訪れたブックマン博士が先ず発した言葉は、「ドイツ人はどこにいるのか?」だった。そして、「ドイツを抜きにして欧州の再建はない」という強い信念のもと、ドイツ人の参加を働きかけた。


 当時ドイツ人は、占領軍当局の許可無しに出国は許されなかった。そこで、戦争中に反ナチスの活動を行ったと証明された11人のドイツ人が許可されて1946年9月にコーを訪れた。これを機に1951年までの間に各界から3113人のドイツ人と1983人のフランス人がコーを訪れた。両国の政治家、経済人、労組幹部、教育者、牧師、マスコミ関係者などが、毎年50カ国500人程の人々と共に参加した。アルプスの絶景を望む別世界のような建物で寝食を共にし、食事つくりや皿洗いも参加者が一緒に行うという雰囲気の中で、多くの深い和解が生まれた。


 その中でも最も劇的な和解は、フランスの女性国会議員のイレーヌ・ロー夫人の行動であった。戦争中に子供達が目の前でナチの秘密警察ゲシュタポに拷問されたロー夫人は、同じ建物の中にドイツ人が多数いるのを知り、直ちに帰国しようとした。しかし、ヒットラーの暗殺計画に加わった夫が処刑されたトロット夫人が、「我々ドイツ人がより早くヒットラーに抵抗しなかったことをお詫びします。」と謝ったことが大きな衝撃を与えた。3日間の葛藤の後、ロー夫人は「私はドイツを憎みヨーロッパの地図から抹消したいと願ってきました。しかし、憎しみは新たな対立をもたらすだけです。憎しみに勝つのは愛しかありません。」とドイツ人全員に謝罪した。その後、ロー夫人はドイツ全土200箇所を訪問し、廃墟と化した国土復興にあたる市民に謝罪をして回り、市民レベルでの和解に大きく貢献した。


 コーへのドイツ人の出席は、マーシャルプランを提唱したアメリカのマーシャル国務長官も支援した。ブックマン博士はフランスのシューマン外相と度々会って、外相がドイツに対する許しへと転換することに大きく貢献した。1948年にコーを訪れたドイツのアデナウアー国会議長(後の首相)とシューマンとの間の信頼関係をブックマン博士が醸成し、この二人を中心に1951年にヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約が調印された。


ECSCは、やがてEEC、ECを経て今日のヨーロッパ連合(EU)が実現した。


(2)戦後日本の国際社会復帰への橋渡し


 マッカーサー司令官が戦後初めて日本人の出国を認めた大型使節が、1950年コーのMRA会議に参加した日本の代表団である。北村徳太郎議員、中曽根康弘議員など国会議員7名、浜井信三広島市長、大橋傳長崎市長や長崎、広島などの知事数名、石坂泰三東芝社長、弘瀬現日本生命社長などの財界人、西巻敏男海員組合委員長など労働組合幹部、教育者や青年代表など72名である。コーでの独仏和解の生々しい現場に触れるとともに、パリやベルリンなどを訪問して復興状況を直接視察できた。


 一行は欧州から米国に渡り、上下両院で北村徳太郎、栗山長次郎議員が演説を行った。議場内での外国人による演説は史上初の出来事であった。吉田茂首相の代理として栗山議員が行ったアメリカに対する謝罪演説を、ニューヨーク・タイムズ紙は、「広島と長崎の市長も一行に含まれていた。彼らの方でも許すべき何かを感じてくれたとすれば、大変な奇跡といえよう」と報じた。広島の浜井市長は、ロサンゼルスで「私たちは、誰に対しても恨みは抱いておりません。同じことが二度と起こらないようにあらゆる努力を払ってほしいということです。」と語った。この訪米は、広島の原爆記念碑の『過ちは繰り返しませぬから』という自省的な碑文作成に影響を与えたと言われる。


3 マルコス大統領を倒したフィリピン革命とカソリック教会


カソリック教会は、1972年の戒厳令以来、マルコス政権に反対する宗教者達と連携し、マルコス大統領に反対する政党を支援し、資金も提供してきた。戒厳令は宗教指導者が労働者や農民グループと連携することを禁じたため、従来、教会内部の奉仕に限定していた聖職者たちの考えを変えさせることとなった。


1983年にアキノ前上院議員がマニラ空港で暗殺され、86年に繰り上げ選挙が行われるにあたり、カトリック司教協議会は司教教書を公布し、マルコス政権が統治の道徳的正統性を失ったと断言した。これは大統領追放を容認するものであった。シン枢機卿を中心とする教会指導者が、街頭に出たピープル・パワーを全面的に支援したことが、市民が戦車に勝つ無血革命を成功に導いた。


 


4 ペルーの人質解放に貢献したカソリック大司教と国際赤十字


1996年の日本大使館人質事件で、カトリック関係者を交渉プロセスに組み込むことを国際赤十字のコーネリオ・ソマルガ総裁やNGO関係者などが提案した。人質事件を起こしたトュパク・アマルは共産主義の思想の影響を受けていたが、それ以上に、ラテンアメリカ社会においては、むしろカトリックの影響が根強く残っているためである。


ペルー政府は結果として、シプリアーニ大司教を交渉担当として起用することとなった。


初期のシプリアーニ大司教と犯人との接触は、宗教的なものに限られていた。祈りの儀式を定期的に行ったが、犯人側との度重なる接触を通じて、大司教は犯人側、政府側双方の非公式なスポークスマンとしての役割を担うようになった。両サイドの信頼を得るため、中立的立場に徹した。その中立性は徹底していた。シプリアーニ大司教の行動は、すべて非公式ベースで行われた。シプリアーニ大司教の出身地は、トュパク・アマルなどの運動の母体となった大学があり、テロリストの間でよく知られた存在だったと同時に、ペルー国内で最も保守的な司教としても知られていた。


日本大使公邸内で行われたイエズス会牧師の活動も見逃せない。ジュアン・ジュリオ・ウイクト牧師は、初期の段階で釈放される予定だったが、彼はそれを断り、人質に精神的安らぎを与えるために公邸内にとどまる決断を下した。人質の精神的欲求に応えたばかりではなく、犯人グループの一人であった女性に対しても、精神的な癒しを行った。長い間家族から離れて生活することを余儀なくされた彼女は、精神に異常をきたしていた。


事態の打開が通常の外交手法では不適切な場面において、教会の果たす仲介者としての役割が重要である。宗教的(または精神的)第三者は有効な仲介者である。


 


5 最貧国の債務免除活動を担ったJubilee 2000運動


 「2000年までに最貧国の返済不可能な債務を帳消しにしよう」という最貧国債務帳消し運動は、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がキリスト生誕2000年を祝う、Jubilee(大赦)に向けての呼びかけを行って以来、世界のキリスト教会や、国際自由労連、世界医師会などが参加し、国際的なNGO「ジュビリー2000」が結成され、世界の70カ国余りにその活動が広がった。


 日本でも、1998年10月に「債務帳消しキャンペーン日本実行委員会」が設立され、白柳誠一枢機卿(カトリック東京大司教区)、鷲尾悦也(連合会長)、北沢洋子(IMF・世銀を問う連絡会)の3氏が共同代表となった。この問題に賛同する国会議員も増え、1995年5月14日に「最貧国の自立支援と債務帳消しを考える議員連盟」が超党派で設立された。会長:羽田孜、会長代理:土井たか子、浜四津敏子、堂本暁子、事務局長:小宮山洋子の構成であった。私は幹事として趣意書などの原案作りを行った。


 1999年のケルン・サミットでは、ODA債権を100%放棄するという「ケルン債権イニシアチブ」が決定され、以後債権放棄を宣言するサミット参加国が増え、日本だけが孤立する状況となった。2000年は日本が議長を務める沖縄サミットの年だが、近年「人間の鎖」として数万人規模でサミット会場を包囲したNGO関係者が沖縄サミットに押しかけるといったうわさも流れ、日本に対する内外の圧力が急速に高まった。


 そこで、議員連盟は2000年3月30日に、「債務帳消しキャンペーン日本実行委員会」の白柳誠一枢機卿(カトリック東京大司教区)と総理官邸で小渕総理に申し入れを行った。私が主な説明をおこなった。私の隣に座ったこの日の小渕総理は極度に疲れて見えたが、この2日後に脳梗塞で倒れ、4月13日に不帰の人となった。


 しかし、7月21日付けで発表された沖縄サミットの蔵相報告書「貧困削減と経済発展」は、ケルン・サミットから大幅に後退したものであった。債務帳消しを決めた他の参加国の主張を、議長国日本の大蔵省が抵抗して押し切った。しかし、2001年の9.11同時多発テロ以後、「テロの温床としての破綻国家」への対応といった観点からもより強く認識されることとなった。


 そして、2002年12月10日、日本政府は、それまで日本だけが実施してきた「債務救済無償援助スキーム(TDB)」を廃止し、2003年4月から日本が重債務貧困国(HIPCS、及びHIPCS以外の低開発国(LDCS)の中でTDB対象国になっている国(バングラデシュ、ネパール、ラオス、イエメン、ボツワナ)など、32カ国に持っている円借款、つまりODA債権を100%放棄すると発表した。この政策転換は、ケルン・サミットで小渕首相などG7首脳が合意した内容がやっと実現したものであり、日本ジュビリー2000のキャンペーンが、1998年10月以来小渕首相、森首相、小泉首相に要請してきた成果である。


 


6 イラク戦争回避に闘ったローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世


(1)アジス・イラク副首相


イラクのアジス副首相(カトリック)はローマ法王ヨハネ・パウロ二世と会談、フセイン大統領の親書を手渡した。ローマ法王は、「イラクは国連安保理決議を誠実に、具体的な行動を伴った形で順守すべきだ」と求めた。


(2)ローマ法王特使 戦争回避をイラクに要請


ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使としてイラク入りしているエチェガレー枢機卿がバグダッドでフセイン大統領と会談し、戦争回避に向けたイラク側の努力を要請する、法王のメッセージを同大統領に手渡した。


(3)ブレア首相


ヨハネ・パウロ二世は、バチカンでブレア首相と会見し、戦争を急ぐ同首相に和平を説いた。謁見は、敬虔なカトリック教徒のシェリー夫人が望んだ。カトリック教徒ではないが信仰心のあついブレア首相は、道徳上のジレンマに追い込まれた。


(4)スペインのアナスール首相


ヨハネ・パウロ二世は、バチカンでスペインのアナスール首相と会談した。法王は対イラク武力行使で米英と足並みをそろえる同首相に対し、イラク問題の解決には国際法に基づく平和的な方策を選択するよう強く求めた。


(5)ブッシュ大統領に特使を派遣


ヨハネ・パウロ二世は、元駐米大使のラーギ枢機卿を特使として米国に派遣し、ブッシュ大統領に対し、武力行使回避を求める法王の親書を手渡した。中東地域の大量破壊兵器廃棄と和平達成に関するバチカンの立場も説明したとされる。


 


7 イラクの日本人人質解放に貢献したイラク聖職者協会


(1)       イスラム聖職者教会を初め、多くの宗教者が犯人グループに解放を促すアピールを行った。隣国などイスラム圏の多くのイスラム聖職者もアピールを行った。
 日本人3人が軍人でない、人道支援活動など行っていた民間人であること。「罪のない人を罰してはならない」というコーランの教えを守ることなどを訴えたが、イスラム教の名誉や信頼を守りたいという責任感が感じられた。
 バクダッドの多くのモスクには食糧品、医薬品などの物質が各地から大量に集まり、ここから大型トラックでファルージャの支援に送られた。スンニ派、シーア派を超えた宗教者による人道支援も、人質グループを支えるファルージャの住民からの信頼を得た。


(2)     解放への流れ
 多くのイスラム聖職者グループが犯行グループに人質解放を迫る声明を出した段階で、解放への流れができた。メディアを通じての人質家族などからのアピールを含め、人質グループを支えるファルージャの住民の「人質解放への世論」も高まった。そして米軍との停戦によって移動が容易になった局面で連絡先が明確な聖職者協会への人質移送となった。

 武装勢力に対して人質解放を促すアピール(「アル・アラブ・アル」紙、ヨルダン)
 他の主要紙にも同じアピールが掲載された。
 「アラーの名において最も恵みある、最も栄光ある全ての人々に対するアピール」


1 私達は、貴方々が日本人をイラクで拘束したことを聞きました。イラクの貴方々は勇敢な兵士です。


2 私達ヨルダンの聖職者は、アラーが貴方々の勝利を願うと共に、イラクの聖職者の声に呼応して、貴方々が日本人を解放することを要請します。これらの日本人は、軍事行動に関わったことは一切なく、彼らの目的は純粋にメディアと人道援助です。


3 私達は、アラーがコーランで述べる「貧しい人々、孤児、囚人など必要な人々に食を与えよ」という言葉を尊びます。また預言者の伝統である「平和は貴方の上にある。他の人々に慈悲を施す者はアラーの慈悲を受けることができる」との言葉を重んじます。


4 貴方々が人質を解放することによって、全ての日本人の信頼を得ることを希望します。貴方々の偉大な行動は全世界から高く評価されるでしょう。貴方々は正しい目的を持っています。貴方々は信仰と原則と預言者モハメッドを信じる人々です。平和がモハメットの上にあるように、正しく、聡明で慈悲深い人々の上にももたらされますように。


アラーの平和が貴方の上にもたらされますように。


 


 イスラム聖職者協会会長、元宗教大臣、ヨルダン大学イスラム研究学部長   アル・キラニ


 


8 紛争解決活動を担う世界宗教者平和会議(WCRP


 


立正佼成会など日本の諸宗教が提唱して創設され、バハイ教、仏教、キリスト教、諸教、儒教、ヒンドゥー教、イスラム教、ジャイナ教、ユダヤ教、神道、シーク教、道教、ゾロアスター教、民族宗教など世界の主要宗教をほとんど網羅した世界組織。


 


 世界55カ国に委員会をもち、スリランカ、スーダン、中央アフリカ(ブルンジ、ルワンダ、コンゴ共和国、西アフリカ(ガーナ、象牙海岸、シエラ・レオネ)、イスラエルとパレスチナ、南東ヨーロッパ(コソボ、アルバニア、マケドニア、セルビア)などでの平和構築活動を行っている。他に、国際刑事裁判所や信仰・倫理ネットワークなどの支援活動も行っている。


 


9 難民・自然災害救済、対人地雷・クラスター爆弾禁止、人権・非差別支援


 


 難民キャンプや自然災害の悲惨な現場に、宗教団体系のNGOなどが真っ先に飛び、命がけの支援活動を行っている。また、対人地雷禁止、クラスター爆弾禁止、地球温暖化対策などの政策実現の活動も国際的なネットワークを活かして行っている。


 


10 本年は国連の「世界和解年」


 


 本年は国連の「国際和解年」で、恒久平和の確立に必要な和解プロセスを目指す国際的な行動計画などが策定される。1996年以来、私が提唱した「和解への課題」シンポジウムがスイスの国際IC(MRA)本部で開催されている。


 


11 「平和を作る人は祝福される」


 


 


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