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参議院国際経済・外交に関する調査会における藤田幸久の質疑議事録2017年04月12日

活動報告

2017年04月12日

参議院国際経済・外交に関する調査会における藤田幸久の質疑議事録

○会長(鴻池祥肇君) ただいまから国際経済・外交に関する調査会を開会いたします。
 国際経済・外交に関する調査を議題といたします。
 本日は、「アジア太平洋における平和の実現、地域協力及び日本外交の在り方」のうち、「外交能力及び戦略を向上させるための取組の課題」に関し、「外交と議会の役割」について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、明治大学国際総合研究所フェロー川口順子参考人、フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所代表サーラ・スヴェン参考人及びジャーナリスト菅原秀参考人に御出席いただいております。
 この際、一言御挨拶を申し上げます。
 お三方の先生方には、参考人として、御多用の中、御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 今後の我々の調査の参考にさせていただきたいと思いますので、先生方には忌憚のない御意見を頂戴できますことをお願いを申し上げて、御挨拶といたします。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、川口参考人、サーラ参考人、菅原参考人の順でお一人二十分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いを申し上げます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、川口参考人から御意見をお述べいただきます。川口参考人。
○参考人(川口順子君) 御紹介をいただきました川口順子でございます。この場に、席に座るのは本当に久しぶり、四年ぶりでございまして、大変に懐かしくも思っております。
 私は今、研究者をしておりますけれども、必ずしもこの議員と外交の問題についての研究者ということではございませんので、むしろ今まで実践者であった立場、あるいは今、政界を引退しました後で、一人の有識者として国際関係に関わっているという立場から、実践的な立場からお話をさせていただきたいと思います。何らかの御参考になれば大変に光栄に存じております。
 まず、議員外交の必要性でございます。
 本題と少し迂遠な立場、遠い立場からこのテーマにアプローチをしたいと思いますけれども、私は数年前に、劇団四季のミュージカルで「異国の丘」というのを見ました。「異国の丘」は、若い方ではあるいは御存じない方もいらっしゃるかもしれませんけれども、シベリアに抑留された日本人の望郷の念、哀感を歌った歌でございまして、私ぐらいの世代から多分上の世代の人間には何らかの感慨を持たずしては聴けない歌でもございます。
 このストーリー、ミュージカルのストーリーですけれども、これは、戦前首相を務め、終戦後の東久邇内閣で国務大臣でもあった近衛文麿の長男である近衛文隆をモデルといたしておりまして、近衛文隆によって企てられた和平工作についてでございます。
 ストーリーはここの本筋ではありませんで、私がこのミュージカルについて非常に印象深かったのは、日中戦争前の、宋美齢、この方は九歳で米国に行って、英語が堪能で、そして蒋介石の夫人でもあった方ですけれども、この方を中心とする反日工作を中国がアメリカの市民社会に対して行っていたということでございました。
 アメリカの雑誌である「ライフ」や「タイム」の発行者であるヘンリー・ルースという人がいましたけれども、その支援を宋美齢は獲得をしまして、「タイム」は、一九三七年にパーソンズ・オブ・ザ・イヤーという、その人に蒋介石を選んだということがございました。また、そのヘンリー・ルース自体も、反日キャンペーンを、あるいは対中支援を米国の市民社会に対して行ったと言われていまして、それから宋美齢は、フランクリン・ルーズベルトの妻のエレノア・ルーズベルトと親交が深くて、大統領の支援を得て、第二次大戦中もアメリカで抗日戦の支援を訴えたと言われております。
 史実がどれぐらい正確であるのか、この史実については検証が多分必要なんであろうと思いますけれども、それはともかくとして、私たちがここで認識をしなければいけないことというのは、政策実施の環境づくりにおいて市民社会に働きかけることの重要性であります。この認識を当時の中国の国民党政府が持っていたということでありますし、当時の日本政府がこの点をどう考えていたのかはよく分かりませんけれども、興味のある点だと思います。
 これは今から約八十年ぐらい前の一九三〇年代におけるお話でして、この時点で既に世論は外交に影響を与えたわけですけれども、現代のように国際政治経済の相互依存が進んで、市民社会が直接に国際問題に広く深く関わる、これには近代のあるいは現代のコミュニケーションの技術の発展というのも大きく資しているわけですけれども、こういう時代に我が国として国際社会の各層に日本として働きかける、あるいは日本に対する理解を持ってもらうということは大変に重要であると私は考えております。
 この仕事は政府だけではできません。日本社会を構成する様々な主体がそれぞれの立場からこれに取り組む必要があります。その中で、国会議員の果たす役割というのは極めて重要だと私は考えています。
 それは、レジュメに幾つか書いてございますけれども、まず、言うまでもなく、政策決定の鍵を国会議員は握っているからであります。それから、各国の、これは国内外の世論に大きな影響を与えるということであります。それから、社会からも尊敬をされる存在であるということです。
 私は、数年前にスウェーデンを訪問する機会がありまして、スウェーデンの有識者と話をしておりました。そのときに、スウェーデンの有識者がしばしば、これは国際交流について話をしていたんだと思いますけれども、パーラメントから、議会からお金をもらってというせりふを口にしました。私は最初、政府の組む予算と別なお金をパーラメントが、議会が枠として持っていて、それを使う話をしているのかなと思って聞いてみましたら、いえ、違います、別の枠ではありません、予算を決めるのは政府でなくて議会でしょう、ですから私たちは予算を政府からもらうとは言いません、議会からもらうと言いますという答えが返ってきたわけです。
 民主主義社会において議会の位置付けがかくも重要であるとスウェーデンの国民が思っているということを認識をいたしまして、目からうろこが落ちた思いがいたしました。当時、私は参議院議員だったと思うんですけれども、それにもかかわらず、予算を政府からもらうというふうに思っていたということを反省もいたしました。議会あるいは議員、国会や議員の役割というのはそれほどに重要だと認識されているということだと思います。
 それから、最後の、このレジュメの1の最後のところに、議員同士である方が、相手の立場に理解を持ちながら円滑に話ができるというふうに書いてありますけれども、私、かつてアメリカにある日本大使館で公使を務めていたことがございます。そのときは通商摩擦華やかな頃で、アメリカの議員に働きかけようと思ってしばしば公使という立場でアポを申し込んだわけですけれども、これがなかなか会いにくかったというのが実際でございました。私、二年おりましたけれども、その間に会えた、直接に話ができた国会議員、議会議員というのは本当に数名しかいなかったということでございます。
 これは、議員が行って議員と話をするというのは、対等であって、お互いの立場もよく理解しながら話ができるという意味で、一番円滑にいくということであります。
 国際社会で、私も今いろいろ参加をしておりますが、多くの有識者同士の会合がありまして、国際問題、政治問題、環境問題、いろいろなテーマについて開催されています。そういった場で日本の立場を責任ある人が発言をしていくということは求められているわけですけれども、私が参加をしている中で、あるいは私が見聞している中で、議員の参加というのは本当にまれです。日本からの議員の参加はまれです。忙しいので短時間しか参加できない人が多くて、こういった議論への貢献がしにくいということもあろうかと思いますけれども、これも機会を失っているという意味では非常にもったいないことだと思います。
 次に、レジュメの二番目、議員外交とは何かということでございます。
 幅が広いということが言える、一言で言いますと幅が広いということだと思います。これはいろんな視点でそうだと思います。まず、分野からいきましても、これ、外務省の設置法を見ますと、設置法の四条一項に所掌事務として、日本国の安全保障、対外経済関係、経済協力、文化その他の分野における国際交流とありまして、以下、二項以下に条約締結とか邦人保護とか、全部で二十九ぐらいの項目が並んでいます。これをその議員外交の対象と考えれば、いかに幅が広いかということであるかと思います。
 それから、その次に機能とあります。この議員外交の果たす機能というのも幅が広いというふうに思います。いろんなタイプがございまして、例えば政府の発令があって特使として行くということもあるでしょうし、あるいは政府の意を酌んで自主的に、あるいは党の意思で行くということもあるでしょう。議員団や議員個人の交流、議員連盟や議員個人の政治活動の一環として行う、あるいは市民社会と共同して行う、日本の外交の環境づくりとして行う、様々あると思います。政府の意見に反対だからそれを言いに行くというのもあるかもしれません。そういった非常に幅の広さというのがあると思います。
 じゃ、どれが大事なんだというふうに疑問をお感じかもしれませんけれども、私はそれぞれの機能が全て大事なんだろうというふうに思っております。国会や国会議員の関わり合い方というのは、それぞれの機能に応じておのずから異なってくるのではないかと思います。
 三番目に舞台ですけれども、議員外交が行われる場も、これは何も海外に行って人と会ってということだけではないと思います。国内に大勢の方がいらっしゃる、その方と日本で会う、あるいはネット社会に今なっていますけれども、ネットでメールをするとかあるいはチャットをするとか、いろいろな場がございます。
 それで、最後に、議員外交の権限というのは何かということですが、私はこれ、法律の専門家ではありませんので詳しく申し上げることは控えますけれども、基本的に、こちらに書いてありますように、外交というのは、憲法によって内閣の職務権限として規定をされております。
 それに対しまして、国会は立法府でありまして、外交との関係では、憲法六十二条の国政調査権、報告受理権、これは憲法七十二条です、それから、条約締結を、締結するのは政府ですけれども、これを承認する承認権、憲法七十三条、それからあと、国会法で質問権ですとか、衆議院規則及び参議院規則で質疑権とか、いろいろあります。立法府の立場というのは、そういう法令で決められたことを介して政府の行う外交を広い意味でいえば監視をするという立場にあるというふうに思います。
 ただ、日本は米国と違いまして議院内閣制の国ですから、立法と行政の関係、立法府と行政府の関係というのは、アメリカのようなチェックス・アンド・バランセスで非常に厳しくチェックをし合うということよりは、より緩やかな分立関係だというふうに私は理解をしております。外交についても、協働で行う部分というのが、協働的に行う、共に働くという部分が広いのではないかというふうに思います。
 三番目に、効果的な議員外交のための環境整備ということについて申し上げたいと思います。
 国がどこまで議員外交の環境整備をすべきなのかという点が一つ論点としてあるかと思います。
 これ、結論を先に申し上げると、さきにお話をしましたように、議員外交の幅、機能というのは非常に広いということですので、一言で、国は議員外交を支援すべきだということは一概には言えないと思います。
 公的な色彩が強い、例えば政府の特使として行くというようなものもありますし、政府に反対の意見を言いに行くというのもありますし、あるいは、たまたま自分の政治的な立場と一致するから行くというようなこともあるだろうと思います。ですから、国民の税金を使ってそれをどこまで支援していくかということは、これは一つのルールで決めることは困難で、言ってみれば、議員活動を国があるいは国民が税金を使ってどこまで支援するのかという問題と同じ問題であるというふうに私は思います。
 私も議員外交には非常に関心を持って議員時代行ってまいりましたし、ここにいらっしゃる皆様もそうだろうと思います。ですから、支援については、その立場に立てば多々ますます弁ずだと思っております。私も同意見をずっと持っております。
 これは、議員外交というのがこの複雑な国際情勢の中でどれぐらい意味を持つか、どれぐらい大切かということについて国民の皆様の意識がそろうことがまず必要であって、これは鶏と卵のようなところがあって、一生懸命にやって、それが国民に見えて、そして税金がそこにもっと使われるようになるということで、今、それを好循環に持っていく、悪循環に持っていくのではなくて好循環に持っていくというのがまずは議員の務めではないかというふうに思います。
 この観点で、私は、参議院が自ら一つ改革できることがあると思っています。それは何かといいますと、国会議員の海外出張をより柔軟にするということであります。
 日本の閣僚は国会の承認がないと国会開会中は海外に行けませんが、大変に世界的には、海外に出にくい閣僚は日本の閣僚だということで有名になっています。国会議員についても同じことが言えると思います。ここを自由にするのは、これはまさに国会の中の問題でございますので、皆様でお話しになられて、そしてそれを緩やかな、議員活動がしやすいルールにしていただくということは一つできることではないかというふうに思います。
 各国いろんな工夫があって、例えば、各会派一人ずつ出るというようなこともありますし、委員長には代理を立てる、これは実際に制度として可能なんだろうと思いますが、それを柔軟に進めるということもあり得るかなというふうに思います。
 残り二分でございますので、私が思うところの議員外交のための実践的なノウハウをちょっと申し上げたいと思います。
 これは、それぞれの議員の時間あるいは志向、選挙区の事情、いろんなことがありますので、自分のスタイルで柔軟にということだというふうに思っておりますが、私は、いろいろなやり方がある中で、これは面と向かって会うのが一番いいと決めないで、メールとか電話とかソーシャルメディアとか、いろいろなものを使うというふうに考えることが大事だと思います。
 それから、議員外交を効果的にやるためには、多分、その相手の、例えば議員なら議員、人と長期的につながる関係を築くということだろうと思います。それに非常に資すると私が思いますのは、二国間の議連、あるいはマルチの議連というのもありますが、そういうのがありますが、余りアメリカとかEUとか大きいところに入ってもなかなか人数が多過ぎますが、どっちかといえば小さな二国間の議連に入って真面目にその議連の仕事をやっていくということで、そこで相手国の議員と親しくなればこちらもだんだんに歳月を経て発言権が出るようになりますし、向こうもそういうことなので、十年付き合ってみたら向こうは首相になっていたということもあるかもしれません。ですから、そういう長続きする関係をつくるということが大事だろうと思います。
 議論をするというのは大事なことなんですけれども、私は、結論先にありきではなくて、相手が議論をするときの議論の仕方が面白いとか切り口が面白いとか、日本のことをよく知っているとか、あるいはその相手の国のことをよく知っているとか、人間的に魅力があるとか、これは日本人同士のお付き合いと同じで、お互いにいかに相手に魅力を感じるかという関係を議員同士で付き合うということが大事であるというふうに思います。そういう意味では、議員団として行くことも意味があるんですけれども、個人で飛び込んでいっていろいろな関係をつくっていくということも非常に意味があるかと思います。
 議員外交への御関心をお持ちいただいているということを大変にうれしく思いますし、皆様のますますのその面での御活躍も御期待を申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、サーラ参考人から御意見をお述べいただきます。サーラ参考人。
○参考人(サーラ・スヴェン君) ありがとうございました。御紹介にあずかりましたサーラです。
 今日は、ドイツの政治財団の制度とその活動について紹介し、特に私が関わっているフリードリヒ・エーベルト財団という組織を紹介し、特にその国際交流事業を紹介したいと思います。
 皆様の手元にあるパワーポイント資料に沿ってお話進めさせていただきたいと思います。このカラー印刷で皆様に配付されているものです。よろしくお願いします。
 ドイツの政治財団の中でフリードリヒ・エーベルト財団は唯一戦前にルーツがある財団です。一九二五年に初代ワイマール共和国大統領のフリードリヒ・エーベルトが亡くなった後に設立されました。一九三〇年代のナチス支配下に一度解散させられましたが、戦後直後再建されました。
 ワイマール共和国は民主主義者のいない民主主義体制だったので失敗したという歴史認識を踏まえて、戦後において、民主主義の重要性について啓発活動を行い、成熟した自立している民主主義者を養成することを目的として政治財団が設立されました。この歴史的背景と戦後の財団の目的について、各政党が共通認識を持ち、一党を超えて幅広いコンセンサスになっております。そのために、現在はドイツの六つの政党それぞれに一つの政治財団があります。最も大きいのは、キリスト教民主連合に近いコンラート・アデナウアー財団とドイツ社民党に近いフリードリヒ・エーベルト財団です。
 今日は、特にドイツの外交との関連において政治財団はどのような役割を果たしているかについて説明したいと思いますが、その前に、エーベルト財団の活動の全体像を簡単に紹介したいと思います。その際、エーベルト財団は一例でありますが、そのほかの財団も同様な活動を行っています。財団の活動は主に四つの分野に分けることができます。これは配付資料の三ページにあります。
 一番目は、国内向けの政治教育です。
 さっき言いましたように、ドイツのワイマール共和国が民主主義者がいなかったためには失敗したのではないかという歴史認識に立って、戦後ドイツの政治財団は政治教育を行っています。エーベルト財団の場合は、ドイツの主要都市に十二の拠点の下で財団が民主主義に関する啓発活動を行い、考える市民を養成し、市民の政治への参加を促す、そして民主主義に対する理解力を深めることを目指しています。
 その具体的な手段と対象像、そして活動の効果ですが、パワーポイント資料の六ページにありますように、一般市民向けの講演会等、公開セミナー、シンポジウムを企画したり、市民社会のネットワークを深化させるイベントを開催したり、そして、主に学者を対象とする学術的会議、学問的な会議を企画しています。その数ですが、二〇一五年一年間にドイツ国内だけに二千六百回のイベントを行いました。
 さらには、このイベント開催以外には、刊行物を出版したり、ウエブサイトで情報を提供しています。二〇一五年一年間に一千件以上の出版物を出しております。ウエブサイトへのアクセス数ですが、ドイツ国内、本部のウエブサイトだけで月五百万回のヒットに達しております。
 二番目の活動領域は研究とコンサルティングです。
 これは財団のシンクタンク的な機能を指している領域です。具体的には資料の八ページにありますが、近年は特に重点的に研究されているテーマは、経済政策、社会福祉問題、そして特にここ二、三年間重要性を増しているのは、移民政策に関する研究、そして右翼台頭に対する対抗策であります。これらのテーマは、財団員が研究して、政治と政治家に対して提言をしたりしています。
 三番目の活動領域は学生の支援です。
 やはり民主主義を養成するという目的で、特に若者に対する啓発が重要視されますので、大学生の奨学金制度を設けています。二〇一五年の時点で三千人弱の大学生に奨学金を給付しています。なお、中学校、高等学校で主権者教育を行う活動も支援しております。
 次は、財団の国際対話事業を紹介したいと思います。
 資料の十二ページにエーベルト財団の組織図がありますが、組織的には国際対話事業は二つの課で推進されています。一つは国際開発協力課、もう一つは国際対話部でございます。
 十三ページですが、国際開発協力課は、主に中南米、アフリカ、南アジアと東南アジアという範囲で活動しています。これらの諸国において、政治、経済界、労働組合、学界、メディア、文化施設などと交流を促し、シンポジウムを開催したり、技術とノウハウを提供したり、教育を支援しています。一部の国において紛争解決というところにも取り組んでいるところがあります。その代表例はアフガニスタンです。今でもエーベルト財団がアフガニスタンに事務所を持って、紛争解決の議論を促しております。
 次は国際対話課なんですけれども、その国際対話課の行動範囲はいわゆる産業国でありまして、北米、欧州、そして日本となっております。これらの国では、ドイツと相手国の社会と政治が共有する問題を議論し、安全保障に関する議論を推進し、相手国に関する情報をドイツに発信することが主な仕事になっております。この情報発信という研究成果ということは、またドイツの国民のために世界情勢に関する重要な情報源になっております。もちろん、必要に応じてドイツに関する情報を相手国に紹介することもあります。
 この国際協力部の下で、世界百か国以上の国と地域にエーベルト財団の事務所があり、国際交流が行われています。パワーポイント資料の十五ページにその海外事務所を示す地図が載っておりますので、併せて御参照ください。
 フリードリヒ・エーベルト財団において国際協力の重要さは財団の予算からも簡単に分かります。国内の活動よりも国際的な活動は大きな位置を占めて、大きな予算が割り当てられているのが資料の十六ページのグラフで明らかになっております。国際事業は明らかに最も大きな財団内の事業になっています。
 二〇一四年、これは二〇一四年の数字ですが、二〇一四年にその予算、海外との交流の予算だけは八千二百万ユーロに達しておりました。約百億円になっております。このような予算を使って、幅広い活動と世界中の市民団体、研究者、研究団体そして政治家を取り巻く交流は可能になっております。
 次は十八ページですが、東京事務所の紹介ですが、東京事務所はエーベルト財団の海外事務所ネットワークの中では規模の小さいものではありますが、既に五十年前に設立されて、それ以来、継続的に活動しています。東京事務所においては、主に日本とドイツの社会が共有している問題に取り組んでいます。スライド、パワーポイント資料の十八ページにありますように、現在の重点テーマがここにリストアップされていますが、ここ数年間は主に日独の人口動態の変化と高齢化社会、移民政策と移民の社会統合、エネルギー安全保障とエネルギー政策、そして東アジアと欧州における地域統合というテーマに取り組んでいます。
 一例を挙げると、ちょうど二か月前に、日本国際交流センターという団体との共催で、人口動態の変化とグローバルな人の移動という国際シンポジウムを開催し、日本とドイツの移民政策を議論しました。
 今年は、東京事務所の五十周年に当たって、フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所の五十周年という冊子を作成しましたが、この冊子も皆さんのお手元に配付されています。この冊子の中にまたFES東京がここ五十年行ってきたシンポジウムとかの詳細もリストアップされていますので、また時間がありましたら御参照ください。
 次は、財団の予算の問題ですが、十九ページ、冊子ではなくてパワーポイント資料の十九ページにあるように、ドイツの政治財団の予算が基本的には国から出ています。国から出ているということは、すなわち納税者のお金を、納税者の税金の利用をして仕事をしています。十九ページは二〇一四年度のフリードリヒ・エーベルト財団の財源を示すものでありますので、ここでほとんどの予算が連邦省庁から出てくることが明らかになっております。
 予算が省庁から出てきますが、研究しているテーマとか内容について全ての財団が自由に仕事しておりますが、財源である省庁に対して説明責任と報告責任を負いまして、さらに、経理に関して連邦行政庁に定期的に監査を受けます。パワーポイント資料の二十、二十一ページです。
 ドイツの政治財団について、政党との関係についてよく聞かれます。基本的には今説明したように、予算は国、納税者から出ますので、政党から一切お金が出ません。そのために、財団が公益のために働き、政党のために働くことはできません。なお、ワーキングレベルにおいても、政党との関係が求められておりませんが、理事会のレベルでは、各政党からその理事会のメンバーが選出されますので、そこが重要な接触点になっております。つまり、全体的に、党の直接影響は極めて限定的ですが、各政党に一つの財団がありますので、当然ながら、どの財団がどの政党と協力関係を持つかは明らかになっております。
 一方、特に海外活動において、二つ以上の財団が協力することも決して珍しいことではありません。全体的に、競争よりも協力を重視しております。
 次は、財団の活動と国会、政府との関係について説明したいと思います。
 政治に関する全ての決定権はやはり、先ほど川口先生からも説明があったように、国会にありますので、政治的なシンクタンクである政治財団が議員に専門的知識を提供し、議会と省庁による政策決定プロセスをサポートすることは、重要な仕事であります。
 外交に関しては、財団は、政府の外交を補う、いわゆる民間外交という形で取っておりまして、海外におけるドイツのイメージをより多様化させ、正式外交が必ずしもカバーできない交流を促進しています。
 海外事務所の予算は外務省、経済協力省から出るので、省庁との協力関係は不可欠であります。現場において在外ドイツ大使館と財団の現地事務局も非常に密接に連携して活動しております。例えば、ドイツから国会議員が来日する際には、財団の現地事務局が例えば日本側の議員との会談の場を設けたり、議員が参加するシンポジウムを企画しております。日本の場合は、例えば言論NPOという組織との共催で開催したシンポジウムで川口先生も出ていただいたこともあります。
 全体としては、現代社会には多数のステークホルダーが存在し、政策に影響を与えるべくそれぞれの正当性を主張しています。その中で、政治財団は、多元主義的な政治と外交に貢献し、多元主義的な社会的組織形成を促進し、民主主義の発展を深めることに尽力することを根本的な理念にし、活動を行っております。
 このようなドイツの政治財団の活動は国際的にも高く評価されています。このフリードリヒ・エーベルト財団東京事務所設立五十周年の冊子の四十五ページを見ていただくと、アメリカの研究所が作成した世界のシンクタンクのランキングが掲載されています。その総合ランキングには、ドイツの二つの大きな政治財団であるコンラート・アデナウアー財団とフリードリヒ・エーベルト財団は十六位と十七位でランクインしています。
 その次の四十六ページにシンクタンクネットワークというランキングがありますが、そこはやはり海外事務所が多いために、コンラート・アデナウアー財団は一位、フリードリヒ・エーベルト財団は二位に入っており、特にやっぱりその世界的な事務所ネットワークの高い評価が伺えます。
 これで私の説明は終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、菅原参考人から御意見をお述べいただきます。菅原参考人。
○参考人(菅原秀君) 発言の機会をお与えいただき、ありがとうございます。
 川口先生から議員外交の基本的な在り方をお話ししていて、全く私、そういうふうな形になれば本当にいい国際社会に我々貢献できるのじゃないかなと思いました。それから、スヴェンさんのすばらしい、ドイツでこういうことをなさっていることによって、我々よりも本当にドイツの人たちは国際的な外交の可能性を切り開いていかれるんじゃないかなと非常に参考になりました。
 川口先生がおっしゃった中で、要するに国でやれることには限界がある、市民社会あるいはNGO、議員とNGOが力を合わせなければなかなか豊かな多元的な外交をつくっていけないんじゃないか、そのためにはどうしたらいいかという先生の御経験からの発言だったわけですけれども、そのためには、皆さん国会議員になって、とにかく、いろんなことをやろうと思っても、衆議院の場合には四年間、でも場合によっては解散で、本当に一年、二年で何もできなくなって、国会議員になったのに何もできなかったわというようなこともありますし、参議院議員六年間で長いと考えていても本当に忙しくて、その間に川口先生が、もう十年近く恐らく議員なさったんだと思うんですけれども、いろいろなかなか解決できなくてお悩みになって、議員辞められてからもこれを何とか解決しなきゃなというふうにお思いだと思うんですけれども、これやるためには、我々みんなの力で仕組みをつくっていくことだと思います。そのことを私、一つの案として参考意見を述べさせていただきたいと思います。
 クリップで留められました資料が私のあれですけれども、これ、クリップを外していただくと二つございます。二つに分けてくださいませ。後ろの方に入っているワークショップ/シンポジウムというのを書いてあります。これ二〇〇二年十一月十三日、非常に古い時期ですけれども、実は二〇〇二年に、隣にいらっしゃるスヴェンさんのフリードリヒ・エーベルトの先輩の方にも来ていただきまして、東京でこういったワークショップを開いたのです。既にこの時点に、こちらにいらっしゃる藤田幸久先生であるとか自民党の河野太郎先生なんかが、よくいろんな国に行かれまして、こういった仕組みをつくらなければならないということをいろんな方に話しておられたんです。それで、私がそのときに、ちょっと国会議員じゃこういうシンポジウムつくったりする仕事をするのは大変ですから外部の人間に頼まなきゃならないので、おまえ事務局やってくれと言われて私がその事務局を担当しまして、憲政記念会館で二〇〇二年に行ったんです。
 当時、民主化支援財団というふうに私ども呼んでおりましたけれども、話がすごく盛り上がって、自民党の先生方、それから民主党の、当時民主党ですね、民主党の先生方が賛同してくれまして、それで議員連盟ができまして、そのときに非常にいい御意見が出たんですけど、これ全部の党に呼びかけようと、例えば日本共産党なんかに呼びかけていない議員連盟というのは今まで多かったけれども、それじゃいかぬと、全部の党に呼びかけてやりましょうといったら、全部の党が、当時の党が賛成してくださったんです。
 で、やりましょうということで、そしたらどんどん盛り上がりまして、最初は限られた予算の中で逐次通訳でやって勉強会をしようと思ったんですが、それじゃなかなか話が通じないだろうと、外国の方々と日本語で話するの大変なので、同時通訳を入れましょうという話が盛り上がりまして、じゃ、その予算を取るのにどうしたらいいかというんで、じゃ、衆議院議長と参議院議長両方に話してみようやと。そしたら、これは非常にすばらしいことだから、じゃ何とか両院で力を合わせて同時通訳のための予算も取りましょうということで、同時通訳のブースを入れまして、だんだん話が大きくなりまして、憲政記念会館で、両院議長の御支援の下に、それから全ての政党が集まって、それで各国から来てくださった、いわゆる当時民主化支援財団というふうに呼んでいましたけれども、の方々にいろいろ発言していただいたと。
 これを何とか日本で盛り上げていこうというふうなことがこういうふうな形で行われましたということをまず一つ報告しておきまして、これを踏まえて次に、先に進めていかなければならないのですけれども、なかなか先ほど申し上げましたように国会議員というのはいろんなことやれると思っても、時間的な制約、それから選挙に対する対応、いろいろしょっちゅう会議があります、いろんな事件が起きます、そこでどうしたらいいかという、なかなか時間が取れないわけですけれども、もう一回繰り返しますが、その意味で、ある一定程度の仕組みを日本につくったらいいんじゃないだろうかということが私の提言でございます。
 そこで、今度は、表の方にあった資料、議会と政党による平和構築のためのセカンド・トラック外交というふうに題しましたけれども、これの方をちょっと見ていただきたいと思います。
 まず、モデルとして考えていただきたいのがアメリカのシステムでございます。アメリカには米国民主基金というのがございまして、ナショナル・エンダウメント・フォー・デモクラシーという団体ですけれども、実はこれが全世界のこの手の財団をつくるのに物すごい力を貸していまして、モデルとなったのは、隣にいらっしゃいますフリードリヒ・エーベルトあるいはコンラート・アデナウアー財団というドイツの財団をモデルにしているんですけれども、それをモデルにしたのがアメリカのレーガン大統領でございます。その辺の歴史をちょっと振り返ってみて、私たちはこれを日本に応用できるかどうか、ちょっと考えてみようと思います。
 一九七八年に、ダンテ・ファッセルという民主党の下院議員の先生が、ドイツのモデルをアメリカに輸入して何かできないかと、いわゆる民主化支援機関というのをつくれないかと考えました。で、これを議会に提案しました。
 そうしたら、その話を聞いた翌年大統領になったレーガン大統領が、イギリスに行ったときに、イギリスに何かお土産を持っていこうと考えたらしくて、我々は民主化、世界のデモクラシーを支援するための支援財団をアメリカにつくろうと思うということを、ウエストミンスター・アドレスというふうに呼ばれていますけれども、ウエストミンスターというのは英国の議会ですね、英国の議会で発言なさったんです。つまり、これ外国でこういうことを言うということは、もうつくらなきゃならないわけですね。それで、レーガン大統領は御承知のように共和党、民主党と共和党と力を合わせて、超党派ですね、で、NED法というのを一九八三年に成立することができました。
 これはどういうことかというと、民主党と関係のあるこういった支援財団、それから共和党と関係のある支援財団、それからもう一つ、これが画期的なんですけれども、労働組合と関係のある支援財団、それからさらに、アメリカ商工会議所と関係のある支援財団。つまり、こういう四つの大きな機関というのは、全世界に自分たちの仲間というかよく付き合っている友達がいるわけですよね。それぞれ、アメリカの多様性を表現するためには、共和党、民主党、それから労働組合、商工会議所、この四つを軸とした支援財団をつくったらどうかなという案を出したら、これが非常に通ったんですね。しかも、今現在なされていて、物すごくうまくできております。
 で、それの刺激を受けて、一九九二年には、イギリスでこのNEDのシステムを基にウエストミンスター民主基金というのをつくりました。ウエストミンスター・デモクラシー・ファウンデーションですね、をつくりました。
 それから、その次の次の年に、今度はアメリカのNEDの中に、ジャーナル・オブ・デモクラシーという、これは英語の雑誌としては非常に格式の高い、全世界のデモクラシーのありようを考えるためのフラッグシップマガジンといいますか、それができまして、そこで、皆さんも名前ちょっとだけ聞いたことはあると思うんですけれども、ラリー・ダイアモンドとか、それからトーマス・キャロザーズという、デモクラシーの推進者として理論付ける人ですね、識者ですね、そういう名前が国際的に有名になる。ああ、フランシス・フクヤマなんていう人もいますね。よく皆さん名前聞きますね。
 そういった民主研究を進めながらいろいろやってきたところ、今度はオーストラリア政府がそういうものをつくりたいと、NEDさん、ちょっとつくり方を教えてくれということで、オーストラリア政府で、これ大学の中にそういった研究所及び国の資金による、少額ですけど、少額ですけれども、海外のNGOを支援してデモクラシーを推進するというものをつくりました。
 それから、いろいろありまして、当初の予算は三千万ドル程度から出発したんですけれども、だんだんだんだん予算が増えてきて、そして、御承知のように、アメリカには日本のJICAと似ているのでUSAIDというのがありますね。ここでも民主化支援は以前からやっていたんですけれども、ここよりもどんどんどんどん効率的にやるようになってきたんで、それから議員さんたちとのシンポジウムなんかもしょっちゅうやっているんで、おい、NEDにもっと金出せ、もっと金出せ、そうすれば自分が関係している、いろいろな関係していますね、皆さん議員の人って思い入れありますね、例えば中国が嫌いなんだけれどもチベットの人たちを守らなきゃならないと考える先生方もいらっしゃいますし、アフリカに力を入れる先生方もいらっしゃる。そうすると、そのためには、NEDと仲よくしていると自分たちの仲間に対する支援が増えるんで、USAIDよりもNEDに対する予算を多くしようという先生方が増えたわけですね。
 先ほど川口先生がおっしゃったように、政府だけじゃできないけれどもNGOと協力することによっていろんな持ち駒を増やすことができると。それから、自分自身の政治活動にも非常に豊かにすることができるということが分かったということですね。
 この二ページ目、次、御覧ください。
 二番目に「NEDのしくみ」と書いてありますけれども、今現在、予算が三千万ドルから一億五千万ドルから、去年、たしか一億七千万ドルというふうにおっしゃっていたような気がしますけれども。同一の全体のこういった財団に対する支援と大体同じぐらいの金額が、この一つの財団というか、NED及び四つのコア機関に出ているわけですけれども、そのうち五五%は四つのコア機関ですね。民主党の機関、共和党の機関、それから労働組合。労働組合ではないですよ、労働組合と付き合いのある団体を支援する財団という意味ですよね。五五%は、NEDが直接審査して全世界のNGOに支援しています。約千二百団体ぐらいです。
 どういった支援か。その次のページ、三ページ御覧くださいませ。
 これは、アメリカのカーネギー・エンダウメント・フォー・インターナショナル・ピースという、カーネギー平和財団という財団のトーマス・キャロザーズが一九九〇年の後半に作った表なんですけど、これ、全世界の、恐らくフリードリヒ・エーベルトさんもこれ使っていると思います。こういったものを見ながら、みんなでプログラムを作るときに何が必要かと。
 つまり、例えば、かつてのカンボジアのように完全に国が破壊されてしまったとか、それから、ひどい独裁者がいてもうめちゃくちゃにしているような国、いろんな大変な国があります。戦争でもう回復するのが大変だと、議会も何もないわという国もあります。そういうときに何の支援をしていったらいいか。まず、政党をつくらなければならない。それから、議会もつくらなければならない。それから、民主主義というけれども、直接民主主義じゃにっちもさっちもいかないですね。一千万人、一億人もいる国があるわけですから、直接民主主義は不可能。どうやるかというと、代議制というのをつくらなければならない。じゃ、代議制って何だと。そのためには選挙をしなければならない。そういった教育を最初に始めたのがフリードリヒ・エーベルトでありコンラート・アデナウアー財団なわけですけれども、そういったことと同じことをアメリカでもやろうとしました。
 その結果、先ほどの一ページの表にありましたように、アメリカだけじゃなくてイギリス、それからオーストラリア、それから、ここに台湾も書いてありますね。
 それから、今度、最近ではヨーロッパ民主基金というのもできました。これはブリュッセルに本部があって、イタリア人の女性の方が代表をやっていらっしゃるんですけれども、ここではアラブ諸国の人たちの民主化を支援しています。例えば、女性の権利。どこの国でも女性の権利を、これは、あれですよ、イスラム教が女性の権利を奪っているわけじゃないですよ。権力者の人たちが勝手な古い因習でもって女性の権利を奪っているわけですけれども、そこで女性の権利を声を大にしてしゃべっていいんだよというような教育活動なんかやっているのもそのヨーロッパ民主基金ですけれども、そういったものがいろいろございます。
 それで、最後に、私が自身が関係したので一つ二つ事例を申し上げたいと思うんですけれども、まず印象的なのは、御承知のように、ミャンマーですね。ミャンマーが、流血することなく数年前にアウン・サン・スー・チーと軍事政権が今どうにか仲よくなっていますね。そのために全世界の民主化支援がお金を出しました。あなた方は軍事政権の中で孤立していないんですよと、全世界があなた方を見守っていますよということを教えたのがこの諸団体であります。アメリカもイギリスもドイツも、みんな協力しております、お金を出し合ってですね。
 どういうふうな、海外でどういう状況になっているということを、タイでもって、タイに逃げてきているビルマ人の人たちの、特にジャーナリストが新聞を作ったんです。それを何十万部という単位でもって国境を越えて運んでいくわけですね。国境を越えていくと、あそこから近いんですね、ラングーンまで。車で数時間で行けますから。カレン軍の兵隊さんたちに守ってもらったりしながら、どうにかラングーンにたどり着いて配るわけですよ。そういった形で、インターネット禁止されていましたから、あのときは、そういった形で伝えるというのをやっていました。
 皆さん御承知のように、アウン・サン・スー・チーの「ビルマからの手紙」というのを毎日新聞に連載されましたね。皆さんびっくりしましたね、どうやってこういう手紙は着くと。これ、逆流通です。運んでいったあのグループが持ってきたんです。ただ、残念ながら二人殉死していますけどね。途中で軍隊に捕まって殺されていますけれども、そういった苦労をしながらあの手紙を届けたと。
 それから同時に、このとき全世界の財団は、あんた方、軍事政権が崩壊したら軍事政権の人たちを殺しちゃいかぬよと、和解をしなさいと、これが非常に大事ですよと、恨んで殺すようなことをしたらあなた方の国はおかしくなりますよということを徹底して、私たちも含めて、私もビルマ問題ずっと関係していましたので、しょっちゅうしゃべっていました。で、和解が大事であるといって、南アフリカの人たちが来て、そういうシンポジウムを開いて、和解するためにはどうしたらいいのか、ルワンダの経験を学んでみな、あなた方は絶対軍事政権の人を殺したら駄目だよと。彼らは、徹底して私たちによって教育されました。で、流血騒ぎを回避することができました。
 そういった努力によって今のビルマがあるんじゃないだろうかなと、今のミャンマーですね、ということが言えると思います。
 そういう意味で、いろいろな役割を果たしているのが全世界のこういった財団でございます。日本にこういうものがあったら、国会議員の先生方、すごく楽になると思いませんか。これを利用していろんな多角的な外交をできるわけですから、何とか頑張ってこれをつくりましょう。ひとつよろしくお願いします。
 失礼いたします。
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより質疑を行います。
 本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、原則、私の指名を受けてから着席のまま御発言くださいますようにお願いを申し上げます。
○会長(鴻池祥肇君) それでは、藤田幸久君。
○藤田幸久君 今日は三名の方々には、ありがとうございます。
 川口先生が「異国の丘」の話をしていただきました。吉田正さんという作曲家は私が生まれた日立市の出身でございまして、吉田正さんは、シベリア等々で御自身の目の前で仲間が亡くなっていくたびに作曲をされて貢献をしてきたという、吉田正記念館、日立市にございまして、私も参りますと、そういう形で吉田正さんが作曲をされたんだと、平和のための作曲だということを感じたことがありますけれども、そのことをおっしゃっていただきましてありがとうございます。
 まず、菅原さんから質問させていただきます。
 先ほど宮本委員がおっしゃったこの障害なんですが、実は、この先ほど資料で配られました、二〇〇二年にシンポジウムをされたときに、当時のベーカー駐日大使の奥様、ナンシー・カッセバウム・ベーカーさんという、女性議員として有名な方ですが、アメリカで国務省が抵抗したのに、どうやって我々議員が克服してこういうNEDのような法律を作っていったかという話をされました。これは各国共通ですけれども、大体どこも外務省、国務省は反対します。自分たちの権限が取られると。それを議員たちが動いて克服をしてきたということをこのベーカー夫人がおっしゃっていただいて、一番説得力を持ったわけですが。
 それぞれの国でどういう形でその外務省なり国務省が反対したものを克服してきたかという、当時の事例も含めて、二、三、簡潔にお答えいただければ有り難いと思います。
○参考人(菅原秀君) ありがとうございます。
 あの場に私もおりましたので、あのベーカーさん、たしか上院議員だったんですよね。(発言する者あり)はい。
 どういうことかといいますと、彼女が感動なさったのは、そのときアメリカの、今現在も会長をやっていますけれども、カール・ガーシュマンというNEDの会長がいます。それが国会のテスティモニーで発言したときに、カール・ガーシュマンというのは労働組合活動を長年やった人なんです。その人が、例えばマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの闘い、あるいはその後に続く女性の権利の闘い、六〇年代の闘いをやってきて、それにつながるものを、こういうものを私たちはつくることによって全世界でつくることができたと、その結果、女性の権利はこれだけ獲得していると、あるいは労働組合というものはこういった形で非常にスムーズに動いているという発言をして、それが実際になされたデータとして、彼、出されたわけですよね。で、非常に説得力があったと。そのことによって、上院議員の方々は非常に納得されて、結果的に支持することになったと、そういうふうなお話だったというふうに記憶しております。
○藤田幸久君 ありがとうございます。
 川口先生が先ほど、アメリカで公使をされたときに議員に会いづらかったという話がございましたが、最近、いろいろ国際情勢が多様化している中で、役所、つまり政府の人間であると当事者に会えないことが増えてきていると思っています。ですから、議員である、あるいはこの財団の民間人であれば、紛争地域でも政府以外の人にも会える。
 したがって、今までは、ある意味じゃ、その不利益あるいはえてしてないときもあったわけですが、今になってみると、逆に政府じゃなくて議員であるがゆえに会うことができるというものがあると思いますことと、先ほど、スウェーデンで議会から予算をもらう。これは、単にこの外交の、議員外交というよりも日本における立法府の権能といいますか、をもう少し確立しないと、アメリカに行っても、実は大統領も強いですが議会が強いですね、予算を決めるのは議会。
 そういう意味で、立法府の権能を高めるということと、今こういう世の中においては、むしろ国務省あるいは外務省以外のプレーヤーが必要だという二点が議員外交の特徴かと思いますが、それについて川口先生からコメントをいただければ幸いです。
○参考人(川口順子君) おっしゃるとおりだと思います。特に日本から見た場合に、政府の、明治以来ずっと中央政府が持っていた権限が多様化しつつある、多岐になっているという現象は起こっていると思います。それがほかの国では、元々そうだったり、あるいはほかの国もそうなっていたりということで、インターフェースが広がってきたというのは私は非常にいいことだというふうに思っています。
 会える人が会ってそれぞれの思いを述べるということでいいと思うんですが、一つ気を付けなければいけないのは、そういうことをする場合に、自分の立場は何だろうか、何なのかということを相手に明快に伝えるということだと思います。政府の代表でもないのに、政府に委任を受けていないのに私は政府に代わって話を聞きに来たんですというようなことを言うと相手をミスリードするということになりますから、自分は議員として、与党の議員として来ました、あるいは自分は野党の議員として来ました、自分は個人の立場でこういう意見を持っています、そこを明確にして進めるということなんだろうと思っております。
 以上です。
○藤田幸久君 今の関連で次の質問でございますけれども、スヴェンさんにお伺いしたいんですが、多分、ドイツとかフランスとか今日話に出ているような国においては、外交の一元化という言葉がもう必要ないんだろうと思いますね。つまり、政府と議会との間で役割分担がきちんとできているので、例えば皆さんのような財団も、当然ドイツの外務省も外交の中の重要なプレーヤーとして認知されている。
 それの一つのポイントは、先ほどおっしゃったように、例えばあなたの財団の場合も、政党の政策にこだわらなくていい、自由度があるというのが多分非常に説得力がある。したがって、その立場について言っても、つまり外務省がエーベルト財団が余計なことをするなということを言わなくて済む、それが大きいと思っているんですけれども、それについてお答えいただきたいと思います。
○参考人(サーラ・スヴェン君) ありがとうございました。
 そうですね、おっしゃるとおりだと思います。特に、ヨーロッパの中ではドイツは外交路線について余り激しい議論はないのでかなりコンセンサスが広いので、外務省と政治財団が違う方向に行くことはほとんどないですね。ただ、やっぱりほかの国においては、政党、政治財団によってその考え方は多少違って、協力する相手も多少違っているので、主にそういうところで重要な役割を果たしています。
 具体的には、現場でも、それはヨーロッパの中の国でもそうなんですけれども、やっぱり国は、政府と各国の大使館はあくまでも政府と政府のコンタクトを取っておりますので、やっぱり市民社会との交流を促すというのがまたドイツ国民と政府と国益のためにもなりますので、そこは非常に利益は一致しているわけだと思いますね。
○藤田幸久君 もう一つ、前、フランスの財団の方に伺ったところ、その方は元々フランス外務省の人でした。で、その数年間、財団に来ていた。
 私の印象だと、ドイツとかフランスは、実は外務省とか、要するに政府の役人が財団に来て数年いてまた戻る、非常に人事交流が活発なので、だから、いわゆる外交官と財団の人の区別がほとんどないというか、一緒にやっているという感じが強い印象を受けたので、その辺の実態についてお答えいただければ。
○参考人(サーラ・スヴェン君) ありがとうございました。
 外交官は、財団で働いていることは余り聞いたことないです、これは要確認なんですけれども。せめて、余り多くはないと思います。めったにあるのが、元国会議員が財団で働くこと、それはたまにありますけれども、外交官がドイツの政治財団で一時的でも働くことは余りないですね。
 ただ、やっぱり現場で非常に近い間柄ではなっています。例えば、パリでは、パリの大使館のドイツ人の外交官とパリのエーベルト財団、アデナウアー財団の事務局の代表が一緒に相談したり一緒に仕事をしていることは多々あります。そういう意味では非常に近い間柄ではありますが、ドイツの場合は外交官が政治財団で働くことはまずないと思います。
○藤田幸久君 フランスの場合はそうだとおっしゃっていたので、参考までに。
 最後に、川口先生に、なぜ日本ではここまで来ていなかったんだろうかという宮本さんの質問の関連で、結局、最終的には財務省を説得することがポイントかと思うんですけれども、よく、外務省よりも川口先生いらっしゃった経産省とか場合によっては財務省もかなり独自のパイプで動いているという話も聞いているんですが、それで、それぞれの持分を認めた上で、最終的に財務省も説得をして、やっぱり立法府が権限を持ってやることが国益に生かされる時代が来たと思っておりますので、その辺の持っていき方が重要かと思うんですけれども、その点について何か御意見があればおっしゃっていただきたいと思います。
○参考人(川口順子君) 各省がそれぞれの立場で情報収集活動をするというのはあると思いますけれども、最終的に国際関係の例えばそれが協定になるとか、そういう形を取るときには、日本政府として意見の統一が行われて一つの立場になるということだと思います。
 それで、立法府と行政府の関係というのは、議員が先ほど申し上げたような広い立場で活動するということは大いにあると思いますけれども、それはあくまで議員としての立場であって、外交については、外交は内閣の職務権限であるということを立法府が変えることはできない、要するに、共働、共に働くという分野が広がっていき、より融合的になっていくというふうに私は考えております。
○藤田幸久君 それでは、今の関係で、恐らくほかの国もこの外交の権限というのは外務省、国務省にあるんだろうと思いますが、にもかかわらずここまで各国、先進国、日本以外はやってきたという部分について、なぜほかの国は、つまり外交の一元化という言葉は余り聞いたことないんですけれども、なぜほかの先進国ができて日本ができてこなかったのかについて、菅原さんなり、あるいはスヴェンさんの方でコメントがあれば言っていただきたいと思います。
○参考人(菅原秀君) ありがとうございます。
 ほかの国を見ると、例えば国連憲章であるとか、それから世界人権宣言であるとか、こういった問題が起きたときに、世界人権宣言で守られている、これ違反じゃないかと、あなたの国、違反しているんじゃないですかというふうなアプローチをよくなさいます。中国に対してもそれをよくやっていますね。そうすると、中国の側は反対できないです。反対できないで、うやむやむやとしながら、何となくそのプログラム、中国でできたりするということもございますね。
 ですから、理念ということをきちっと伝えること、意外と日本はしないんじゃないだろうかと。相手の、政府と政府の関係だけを心配しているけれども、それを乗り越えた先の理念ということを強く言うことによって全世界のこういった財団が、基本的人権であるとか、そういったことを強く言うということが非常に大事なことじゃないかなと思いますけれども。
○参考人(サーラ・スヴェン君) じゃ、簡単に。
 ドイツについてなんですけれども、ドイツの場合は、菅原さんが主に政治財団とかいろんな財団の民主化という目的を説明されましたが、何でドイツにとってはこのような活動が重要視されているかというと、やっぱり戦後になって、ドイツは戦争で負けて、なかなか国際的なイメージはかなり悪化してきたわけですね。そのイメージを改善するためには、国際交流を促して、市民団体も、政府間だけではなくて、市民団体の交流を促すことによってドイツのイメージを改善させる、そのような背景もあります。そのためには、やっぱりドイツは非常に、海外における様々な文化交流もそうですが、このような政治財団の活動も展開させたと思います。
○藤田幸久君 ありがとうございました。