藤田幸久とは

藤田幸久について

略歴

1950年 茨城県日立市生まれ
日立市立会瀬小学校、茨城大学附属中学校卒業。中学時代はサッカー部で茨城県大会で準優勝
1969年 茨城県立水戸一高卒業
1975年 慶応大学文学部哲学科卒業。大学1年時に父の会社が倒産し、自宅から夜逃げ。翌年父が他界し、アルバイト生活をしながら卒業。
卒業後、MRA国際親善使節「ソング・オブ・アジア」(Song of Asia)に参加、2年間にわたりアジア・大洋州の青年約50人と約100の家庭にホームステイをしながら世界14カ国を歴訪。これまでに世界52カ国を訪問し、各国約200軒の家庭でホームステイ。
1977年 帰国し国際MRA日本協会事務局勤務
1979年 難民を助ける会(AAR、相馬雪香会長)の創設に加わる。その後常任理事
1980年 タイ・カンボジア国境地帯でのカンボジア難民支援プロジェクトを立ち上げ。後にAARはカンボジア国内でも様々なプロジェクトを担い、今日まで世界各地でのプロジェクトを担っている。
1984年 国際MRA日本協会(後に国際IC日本協会)を社団法人化して、専務理事に就任
歌手森進一さんの要請で、ザンビアでAARアフリカ難民支援プロジェクトを立ち上げ。このチャリティーコンサート「応演歌」は20年間続いた。
1986年 コー日米欧経済人円卓会議(Caux Round Table, CRT)コーディネーター。藤田幸久は、オランダのフィリップス社フレデリック・フィリップス元会長の要請に基づき、日本の欧米に対する電気製品などのいわゆる集中豪雨的輸出による、貿易戦争回避のために日米欧の経済人によるコー円卓会議(CRT)の創設に関わる。ヨーロッパからオリビエ・ジスカールデスタン(ヨーロッパ経営大学院副理事長)、アメリカからオーウェン・バトラー(P&G会長)、ウィンストン・ウオーレン(メドトロニック会長)、日本から賀来龍三郎キヤノン社長、山下俊彦松下電器相談役などが参加。CRTは1986年以来活動を続け今日に至る。1994年には「企業の行動指針」(Principles for Business)をまとめた。英国のファイナンシャル・タイムズは「日米欧の経営者共同による初の行動規範」と評価した。
1996年 衆議院東京比例区初当選(民主党)
 「対人地雷全面禁止推進議員連盟」を創設して、小渕恵三外相らとともに、日本のオタワ条約調印を実現(1997年)。民主党代表団(鳩山由紀夫代表)の中国訪問(胡錦涛副主席他と会談)、韓国訪問(金泳三大統領、金大中党首、金鍾泌党首他と会談)、米国訪問(モンデール元副大統領、エズラ・ボーゲル教授他と会談)の企画及び随行を行う。
サポート校の不登校生徒の通学定期支給を実現。
1999年 NATO空爆後のコソボを視察。隣国のマケドニアに民主党事務所を開設。ボランティアが半年間コソボの人道援助活動を行う。日本の政党による初の海外拠点からの援助活動。
2001年 岐阜女子大学特別客員教授就任、現在に至る
2002年 911後の米軍のアフガニスタン空爆後、首都カブールに民主党事務所を開設。半年間スタッフが人道援助活動を行う。藤田幸久がその閉鎖を行う
2003年 衆議院東京比例区(東京12区)当選、民主党国際局長
2004年 イラク邦人人質事件で隣国ヨルダンにて人質救出支援活動を行う。5人の日本人が解放される。
民主党代表団(菅直人代表)の欧米訪問(国連アナン事務総長、スウェーデンのパーション首相他と会談)、同(岡田克也代表)の訪米(グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長、アーミテージ国務副長官他と会談)の企画及び随行を行う。
2005年 スマトラ沖津波・地震(2004年12月)の被災地インドネシアとスリランカへの調査団(鳩山由紀夫団長)で支援活動を行う。帰国後、遺体確認にDNAや歯形照合などの手法を導入するよう政府に提言。
パキスタン地震の調査団(若林秀樹団長)で支援活動を行う。帰国後、日本の緊急援助隊がチャ―ター機を使用して現地入りを早める提言を官房長官に行う。
2006年 ジャワ島地震の調査団(末松義則団長)で支援活動を行う。
聖学院大学非常勤講師就任(2009年まで)
2007年 参議院茨城選挙区初当選
2008年 参議院北朝鮮拉致問題等特別委員長
2009年 民主党政権誕生後に、民主党国際局長

第二次世界大戦の米軍元捕虜(POW)の日本招聘を実現

第二次世界大戦での日本軍による元捕虜(POW)のうち、英国、オランダ、オーストラリアの元捕虜を日本政府は日本に招聘していたが、アメリカの元捕虜だけは日本企業に対する賠償訴訟を起こしたという理由で招聘されていなかった。藤田幸久は国際MRA推進議員連盟(谷川和穂会長)で米軍の元捕虜のレスター・テニー氏と会談したことから同議員連盟の自民党議員とともに外務省に要請し、2009年から米軍の元捕虜の日本訪問事業が毎年行われている
2010年 ハイチ大地震調査団長として、現地で支援活動。帰国後、現地の大使館と連絡不能などの緊急事態では、緊急援助隊の見切り発車の派遣も必要との提言を政府に行う。
参議院財政金融委員長 日本医師会と財務省幹部との直接の情報交換の場を創設
2011年 財務副大臣 国家公務員宿舎を四分の一減らし、家賃を値上げする抜本的な改革を実現。東日本大震災の復興予算を策定。医療予算・介護予算を10年ぶりに増額 日本銀行政策決定会合で、東日本大震災後の復興とギリシャを始めとする欧州金融危機を踏まえた大幅な金融緩和を要請
2012年 参議院財政金融委員長、裁判官弾劾裁判所裁判委員
2013年 参議院茨城選挙区再選 参議院国家基本政策委員長、参議院財政金融委員長
21世紀教育研究所理事(2019年まで)
2014年 厚生労働委員会で前年に削減された産婦人科帝王切開手術料の診療報酬の引き上げを提案し、2016年の改定で引き上げが実現。片目失明者に障害者手帳が発行されていない問題を取り上げ、厚生労働大臣がその認定プロセスに入ることを決定。
2015年 横浜国立大学非常勤講師(2017年まで)
2016年 民進党結党 民進党国際局長、

同族企業株の評価の見直しによる事業承継の円滑化を実現

人為的な株高政策により、中小同族企業株の時価が吊り上がり、社長の死去により企業存続ができない企業が続出。藤田幸久が財務省に株の時価を吊り上げない評価の見直しを要請して2017年に実現。2018年には相続税の5年間の猶予制度が始まり、事業承継が大きく前進。

持ち分なし医療法人への移行時の贈与税の非課税化を実現

開業医の持ち分あり医療法人が持ち分なし医療法人に移行する際の贈与課税が承継の障害となっていたため、藤田幸久が財務省に非課税化を要請して2017年に実現
※この二つは財務省主税局が国税庁に対して「事業承継の円滑化に よる企業や開業医の存続が安定税収につながる」と説得して実現。
2017年 民進党ネクスト外務大臣
国際IC日本協会理事
2018年 国民民主党結党 国民民主党国際局長
茨城県倫理法人会顧問(2019年まで)
2019年 立憲民主党入党 7月の参議院選挙で全国区に回り落選
2020年 日本医師会中川俊男会長に日本総合研究所寺島実郎会長を紹介し、医療・防災産業の基盤産業化を支援。その後日本歯科医師会、日本土木学会なども加わり、ワクチンや医薬品も含めた医療資器材(マスク、検査機器)の国産化や「道の駅」を防災器材の緊急備蓄・供給を行う防災拠点とする政策を推進

鹿島ライオンズクラブ会員(2021年まで)
2021年 衆議院選挙で茨城2区から出馬するが落選
政界引退                                
現在 国際IC日本協会会長
岐阜女子大学特別客員教授
ドイツ東南アジア公共政策・良き統治センター専門理事
世界宗教者平和会議(World Conference for Religion and Peace, WCRP
国際活動支援議員懇談会(岡田克也共同代表・逢沢一郎幹事長)
  • 世界宗教者平和会議(World Conference for Religion and Peace, WCRP)国際活動支援議員懇談会(谷垣禎一・岡田克也共同代表)事務局長として、タイの仏教徒とマレーシアのイスラム教徒の和解プロジェクト、中東各国の宗教者間の平和構築活動、核廃絶活動、ウクライナとロシア及びパレスチナとイスラエルの宗教者間の和解活動などの支援を行う。
  • 在外投票を推進する議員連盟会長として活動し、在外邦人による選挙人名簿の登録申請が在外公館のみに限られていたものを、外国に渡航する前に市町村の窓口でも登録ができる改正公職選挙法が2017年に成立した
  • 戦後補償議員連盟会長として、BC級戦犯(第2次大戦で日本軍に動員され、戦後は東京裁判で捕虜虐待の有罪となったにもかかわらず、講和条約後は外国人として日本政府の支援がない在日韓国人)に対する支援活動や、シベリア抑留者の支援活動を行う。
    元茨城県倫理法人会顧問、鹿島ライオンズクラブ会員
著書

「政治家になりたくなかった政治家」

翻訳書

「日本の進路を決めた10年」

「ソ連の反体制派たち」

趣味 海外ホームステイ、スポーツ観戦
座右の銘 「誰が正しいかではなく、何が正しいか」
「一国の最も確かな防衛は、隣国の尊敬と感謝を勝ち取ることに ある」
家族 妻と娘、孫四人

メディア

メディア出演

テレビ朝日「スクランブル」/テレビ朝日「サンデープロジェクト」/テレビ朝日「スーパーモーニング」/BSフジ「プライムニュース」/フジテレビ「報道2001」/TBS「みのもんた 朝ズバ!」/TBS[筑紫哲也NEWS23]/朝日ニュースター「ニュースの深層」/日経CNBC「パワートーク」/BS日本テレビ「NNN24デーリープラネット」/JNN「ニュースバード」/日本テレビ「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」/日経CNBC「ザ・政治闘論」/「ニュースオプエド」

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著作・翻訳書・関係書籍

「日本の進路を決めた10年 増補改訂版」(翻訳書、ジャパンタイムズ2016年)

「財務省秘録」(大下英治著、徳間書店2012年)

「政治家になりたくなかった政治家 NGOが政治を変える」(ジャパンタイムズ2003年)

「ソ連の反体制派たち」(翻訳書、サイマル出版会1981年)

「原中勝征の喝! 本当に国民のための日本医師会か!」(大下英治著、徳間書店2013年)
「政治家・官僚の名門高校人脈」(横田由美子著書、光文社新書2012年)
「9.11テロ疑惑国会追及 オバマ米国は変われるか」(編著、クラブハウス2009年)
「国連と地球市民社会の新しい地平」(共著、東進堂2006年)
「宗教が語る世界の平和」(編著、PHP研究所1991年)
「日本の進路を決めた10年」(翻訳書、ジャパンタイムズ1990年)

雑誌等(記事は「活動実績 新聞記事等」に掲載)

「『国際協力大綱』理念の転用は危険」(国際開発ジャーナル2019年4月3日)
「私が立憲を選んだわけ いつか野党を一つに」(毎日新聞 2019年4月2日)
「政治を変えることが最大の社会保障政策」(茨城県医師連盟だより2019年1月31日)
「国民民主党新春座談会「共生社会 基盤は地方」(茨城新聞 2019年1月18日)
「地域建設業支援を優先」(年頭所感)(日本建設新聞 2019年1月8日)
「沖縄県知事選 佐喜眞を巡る2つの疑惑」(日刊ゲンダイ2018年9月22日)
「カンボジア・民主主義の死」(月刊マスコミ市民2018年9月1日)
「東アジアシンポ 朝鮮は日本の責任大」(琉球新報2018年5月22日)
「普天間問題実質議論を」(沖縄タイムス2018年5月19日)
「JCBLと政治を動かした20年」(2017年8月10日JCBL20周年記念誌)
「日本で共謀罪法案近く成立へ 言ってない罪を罰せられる不条理」(週刊NY生活 2017年6月10日)
「在外選挙でまず実施を 『投票はネットで』」(週刊NY生活2017年5月13日)
「リーダー本棚 橋本徹」(日本経済新聞 2017年3月18日)
「訪米報告 トランプ大統領と闘う米国民、議会、裁判所」(民進プレス2017年2月12日)
「安倍「対ロ」外交は完敗」(月刊マスコミ市民2017年2月号)
「『日本の進路を決めた10年』の出版記念会を挙行」(リベラルタイム2017年1月号)
「新刊紹介 日本の進路を決めた10年」(プレジデント 2016年11月14日)
「戦後史の貴重な証言録 日本の進路を決めた10年」(茨城新聞2016年10月2日)
「歴史問題に対照的な安倍政権と天皇陛下」(和訳)(ジャパン・タイムズ2015年10月16日)
「安倍首相が米国議会で語るべきこと」(ジャパン・タイムズ2015年4月17日)
「「TPP」と「集団的自衛権行使」におけるアメリカの本音」(リベラルタイム2014年7月)
「「子ども霞ヶ関見学デー」開催 ―夏休みの思い出に900名以上の親子が参加―」(ファイナンス2012年9月号)
「財務省「職員セミナー」世界48カ国での経験を霞ヶ関に活かす」(ファイナンス2012年8月号)
「今月の顔:藤田幸久「財政と金融のモラルの復興」(ファイナンス2012年3月号)
「おかしな日本の難民支援/私が政治家を志した理由」(ニューリーダー2012年3月号)
「『9.11』の犠牲者・遺族に冷たい日本政府に憤り」(FACTA2010年12月号)
「史実検証 麻生鉱業の「消せない過去」(上)」(世界2009年5月号)
「内に強権政治、外に覇権主義を加速化するロシア」(世界週報2006年10月)
「内に強権、外に大国のロシア」(毎日新聞「発言席」2006年9月)
「Prime Minister Kishi’s Diplomacy of Reconciliation」(Japanecho2006年8月)
「生かされない災害支援の教訓」(世界週報2006年8月)
「岸信介・アジア和解外交の検証」(中央公論2006年6月)
「インド洋大津波とパキスタン大地震の現場から」(世界週報2006年1月)
「NGO外交が紛争解決の新たな担い手に」(改革者2002年6月)
「報復の循環に代わる和解の循環」(世界と議会2001年11月)
「戦後補償―米捕虜訴訟の政治的解決を」(朝日新聞「私の視点」2001年9月)

藤田幸久とは