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世界宗教者平和会議(WCRP)閉会式で挨拶2022年09月25日

世界宗教者平和会議(WCRP)「戦争を超え、和解へ」東京平和円卓会議に出席しました。ウクライナ、ロシア、トルコ、シリア、エチオピア、南スーダンなどの宗教指導者などが参加しました。私は、後援団体のWCRP国際活動支援議員懇談会事務局長兼国際IC日本協会会長として閉会式で挨拶しました。
戦争や暴力下にある宗教指導者が会し、紛争終結、和解、社会の再構築に向けた役割を模索しました。戦時下のウクライナ正教会とカトリック、ロシア正教会とユダヤ教、イスラム教、トルコからギリシャ正教の指導者も参加しました。ロシアのウクライナ侵攻を支持したロシア正教の代表、ウクライナ正教の大司教、歴史的にその母体となったギリシャ正教の大司教が一堂に会したことは歴史的です。
閉会席では、アザ・カラムWCRP国際委員会事務総長の司会のもと、戸松道晴WCRP日本委員会理事長、庭野光祥WCRP国際委員会共同議長に次いで、私は以下のように挨拶させていただきました。
「2019年におけるWCRP世界大会でドイツのシュタインマイアー大統領は『私達は、宗教がこれ以上憎悪や暴力の正当化の原因とされてはならない!という信念のもとに、団結しなければならない』と訴えました。しかし、その後宗教が紛争の正当化に使われうる状況に突入しました。今回の会議で、第二次世界大戦への日本の参戦を正当化するために日本の宗教団体が使われた事実を日本の国会議員が述べました。
1970年のWCRP創設に貢献した立正佼成会の庭野日敬開祖は「非武装」の理念を掲げてベトナム戦争終結を目指しました。しかし、今や、宗教者が解除すべき武装の対象は、「武器」だけでなく、紛争を決定する国の指導者の「意思」でもあると言えると思います。
戦争を始めるのも、終結するのも軍人ではなく政治家です。戦争の最大の犠牲者は一般市民であり、現場の全ての当事国の兵士です。加えて戦争の正当化に利用される時、宗教者も犠牲者となります。
宗教者が直接政治家の意思を変えることは難しいことです。他方、信者だけでなく市民を救い、心の拠り所となっている宗教者は、政治家に影響力のある市民の心を変えることができます。
私が日本支部の会長を務める、イニシアティブ・オブ・チェンジ(IC)は元々Moral Re-Armament(MRA)という国際NGOです。軍備の再武装よりも道徳と精神の再武装との理念のもと、戦後のドイツとフランスの和解や、日本とアジア諸国との和解の橋渡しを担いました。
その世界本部のあるスイスのコーは戦後ドイツ人4000人以上とフランス人2000人以上が会した和解の場でした。1950年にそこを訪れた一人が浜井信三広島市長でした。浜井市長は、帰国後広島原爆記念碑に『安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから』という碑文を決定しました。クリスチャンでもあった浜井市長は「この碑の前にぬかずくすべての人びとが、人類の一員として、過失の責任の一端をにない、犠牲者に詫びることの中に、反省と謙虚と寛容と固い決意とを見いだす。その考え方こそが、世界平和の確立のためにぜひ必要だと考えた」と述べています。
1991年平岡敬広島市長は「ヒロシマはいま、新たにチェルノブイリ原発事故の被害者らに医療面からの救援を始めたが、ヒバクシャはぼう大な数にのぼっている。日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人びとに大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う。私たちは、真珠湾攻撃から広島・長崎への原爆投下に至る、この戦争の惨禍を記憶し続けながら、世界の平和をあらためて考えたい」と述べています。
新たな局面を迎えた世界にあり、WCRPには新たな役割が与えられていると思います。、和解の連鎖を担うという継続的な役割を担って頂きたいと思います。「余人をもって代え難し」というWCRPの貢献です。」