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参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録2014年05月27日
活動報告
2014年5月27日
参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録
○藤田幸久君 民主党の藤田幸久でございます。先週二十二日の質問に引き続いて質問をさせていただきます。
二十二日にも質問いたしましたが、十五日の安倍総理の会見で示されたいわゆる赤ん坊を抱えた日本女性の乗った米国の船の防御の事例でございますが、それに対して横畠法制局長官は次のように答弁をされました。現在の法律においては、その事例で示されております邦人輸送中に限らず、そのような米艦を防護するという根拠はございませんということでございました。
長官、確認をいたしますが、つまり、現行法においては、赤ん坊とお母さんが乗っていなくても米艦を守れないということでございますが、間違いございませんですね。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 現行法におきましては、邦人を輸送中の、米国に限りませんが、他国の艦船を防護するという規定はございません。
○藤田幸久君 いや、前回は邦人輸送中に限らずとおっしゃったわけですから、邦人が乗っていなくても根拠がないということでよろしいですね。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 邦人を輸送中である場合はもとより、そうでない場合も含めて、他国の艦船を防護するという規定はございません。
○藤田幸久君 したがいまして、総理は、この前の会見で強調されましたのが、今日の資料の一ページにも載っておりますけれども、その資料の一ページの二番目の段落、アンダーラインを引いておりますけれども、日本人の命を守り、国民の命と暮らしを守りというようなことを強調されておったわけであります。
しかしながら、日本人が乗っていなくても同じ法律体系ということになりますと、例えば日本人が乗っていない同じ米国の船の防御ということは、日本人の命を守るということとは直接関係ないと思いますが、これは、世耕副長官、それでよろしいですね。
それから、世耕さん、ちょっと早口で話し過ぎないように。何か読み上げて、後で議事録を読まなければ分からないような言い方をしますので、丁寧に答えてください。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) この安保法制懇の報告書は、元々、事例集ではなくて、やはりきちっとした学者の皆さんがお集まりになって検討を進められて、その上で提言という形でいただいているというふうに思っています。そして、その提言の内容は、国民の生命、財産、そして国の安全をしっかりと守るために何をすべきか、安全保障環境の変化にも留意をして、一部具体的事例も踏まえながら提言をいただいたものというふうに考えております。その内容は、専門的でかつ現実的な議論を踏まえた貴重な提言だというふうに思っております。
そしてまた、我が国を取り巻く安全保障環境というのは非常に厳しさを増しており、もはや、どの国も一国だけでは平和を守れる時代ではないという認識に立っております。現在の国際情勢の中で……
○藤田幸久君 総理の会見について聞いているので、そのことは今聞いていませんからやめてください。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) ですから、総理はこの提言を受けて会見をやっておられるわけであります。
総理は、記者会見で述べられたように、あらゆる事態に対処するための法整備によってこそ抑止力が高まって、我が国が戦争により巻き込まれなくなるものと考えているという考え方を表明をしておられます。法制懇の報告書もそのような観点から様々な提言をいただいたものと理解をしておりまして、報告書は国民を守るとの視点から書かれていると思っています。
○藤田幸久君 聞いていないことを時間使わないでください。私は、その赤ん坊を抱いた事例についての総理の会見について質問しているので、その報告書について質問しているわけじゃないので、時間を無駄に使わないでください。
それで、実は総理の会見を読んでみますと、例えば、逃げようとする日本人を米国が救助、輸送する、日本人が乗っているこの船を日本の自衛隊は守ることができないとおっしゃっておるわけですね。それから、一番情緒的におっしゃったのは、皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない、その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は何もできないことでいいのでしょうかと。そのことについて聞いているわけです。
ところが、お子さんやつまりお母さんが乗っていなくても、実は、この法律というものは、つまりアメリカの船を守ることができないということがポイントなわけですから、ということは、例示として記者会見でテレビの前で強調された事例そのものが、それだけじゃないということですから、これは私は事例としては非常にまずいと思っております。
つまり、日本のお母さんが乗っているかではなくて、そもそも、日本が攻撃を受けていなければ日本の自衛艦がそれに対して対応することができないということでございますから、これからは切り離して、事例をですね、でないと、この会見のずっと流れは、この日本のお母さんとお子さんを守るためにという流れでずっといっているんです。
ところが、前提として、お母さん、お子さんが乗っていなくても、実は日本の自衛艦が守ることができないということが法体系であるということが集団的自衛権行使の骨幹でありますから、私は、この事例としての前提、ロジックというものが崩れていると思うんですが、いかがですか。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) 済みません。ようやく藤田委員のおっしゃっていることがよく分かりました。
ただ、当然、日本人が乗っている場合に守れないというのは厳然たる事実としてあるわけですから、私は、総理が会見でおっしゃったことは、何のおかしい点はないというふうに思っております。
○藤田幸久君 それが、つまり、日本が攻撃を受けていないということが法律上の理由であって、日本人が乗っているから守ることができないという理論じゃないわけですから、この論理が違っていると。したがって、事例とすれば、私は非常に誤解を与えてしまっていると。
つまり、今後、事例として扱う場合には、日本人が乗っていなくてもアメリカの船を日本の自衛隊が守ることができないということが憲法上の問題じゃないんですか。いかがですか。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) ですから、まず、日本人が乗っていようが乗っていまいが、アメリカの艦船を守ることはできない、それはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、当然、その中で、日本人が乗っている場合でも守れないわけですから、総理はそのことを指摘をしたわけでありまして、何ら不適切な点は、会見において総理がおっしゃったことに関してはないというふうに思います。
○藤田幸久君 今まさにお認めになったように、乗っていても乗っていなくても、おっしゃったそのとおりでございますから、それを、乗っていることがパネルでテレビの前で示すということは、それが一番象徴的なわけですね。
そして、日本のお孫さんやお子さんがその場所にいるかもしれない、それを守ることができないということが、つまり、お母さん、お孫さんがそこに乗っているということを強調して説明をされているわけです。それができないというのは、日本のお母さんが乗っているからではなくて、日本が攻撃を受けていないから守れないわけですね。
ということは、テレビのメッセージとすれば、国民の皆さんは見ていて、ああ、乗っている日本人を守れないんだなと思っているわけですね。攻撃を受けていないから守れないとは言っていらっしゃらないわけです。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) あの会見には私も侍立をしておりましたが、総理は明確に日本自身が攻撃を受けていなければということを言っております。前提をちゃんと付けた上で言っております。そういう意味で、事例として私は不適切ではないというふうに思います。
○藤田幸久君 その上で、攻撃を受けていなければ日本人が乗っているこの船を守ることができないと言った上で、その後、先ほど申し上げましたように、あなたのお子さんやお孫さんがということで、その後のロジックとしては出てきていないわけですね。ということは、事例とすれば、多くの皆さんは、テレビであの後皆さんインタビューを受けましたね、テレビの。そうすると、ああ、あのお母さん、子供を守れないんだなというふうに恐らくほとんどの日本人は感じているわけですね。
ということは、これは発信として総理がおっしゃっているわけですから、私はやっぱりミスリーディングだろうと思いますが、いかがですか。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) 総理は、何も網羅的にあのとき語っているわけではないんですね。あくまでも、事例は二つ挙げて、これは恐らく総理が御自身で国民に対して一番御理解をいただきやすい事例という形で挙げたんだというふうに思っています。
藤田委員がおっしゃるように、それは、アメリカの艦船は日本人が乗っていようといまいと日本は守ることはできない、これは事実だと思います。しかし一方で、日本人が乗っている場合でも守ることができないというのも事実でありますから、私は、それは一つ総理が事例として選ばれたということに関してはおかしくないと思いますし、何度も申し上げますが、日本自身が攻撃を受けていなければという前提は明確に付けて話していたというふうに思っております。
○藤田幸久君 今副長官おっしゃったように、一番分かりやすい事例とおっしゃいましたけれども、一番誤解を与えた事例であろうと思います。
つまり、見ていたほとんどの人は、要するに、日本人が乗っているアメリカの船を今の法律では自衛隊が防御はできないと。だって、事例として、お孫さんやお子さんがこの場所にいるかもしれない、何もできないということはどうなんですかということ、それからその前でも、日本人が乗っている船を守ることができない、百五十万人、年間千八百万人の日本人が海外に出ていく、逃げようとする日本人をと、これだけ言っているわけですね。
ということは、今おっしゃった一番分かりやすいということが一番誤解を与えてしまったメッセージ、網羅的であるけれども、典型的な事例を二つ選ばれたとするならば、一番分かりやすい事例であるべきことが一番実は誤解を与えてしまったということではないんでしょうか。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) 何度も申し上げますが、日本人が乗っている場合にアメリカ艦船を日本は守ることができないというのは、これは厳然とした事実であります。そして、国民自身、海外で働いている家族もいらっしゃる、あるいは自分自身が海外へ旅行で行くかもしれないという、これはもう国民に密接な関係のあることでありますから、そのことを事例として挙げたということは、全く誤解を与えるどころか理解を深めることに私はつながっているというふうに思っております。
○藤田幸久君 それは、後のアンケート調査等を見れば分かりますように、ほとんどの皆さん、要するに、日本人が乗っている、したがってこれはその日本人を守れないんだと、これを日本自身が攻撃を受けていないからというふうに取った人は、普通見ていた人はほとんどいないと思います。ですから、私は、今後事例を検討していく上に当たっては、日本人が乗っている乗っていないということではなくて、日本が攻撃を受けていないということの事例をはっきりしてこれからも審議を進めていただきたいというふうに思います。
それから、次の質問に移りたいと思いますけれども、前回の質問に対して横畠長官は、これは憲法の解釈の面でございますけれども、行政府がその権限を行使するに当たっては憲法を適正に解釈していくということが当然の必要というふうに答弁されております。これは、内閣が考える必要性に基づき、それまでとは異なる解釈へと変更することが可能だというふうに聞こえましたが、そうでしょうか。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 憲法の解釈が必要性に応じて任意に変更できるという趣旨ではもとよりございません。
もう少し詳しく申し上げますと、一般論として、憲法を始めとする法令の解釈についての考え方は、平成十六年六月十八日の島聡衆議院議員に対する政府答弁書でもお答えしているとおりであり、大事な点でございますけれども、憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮することは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことがあるとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。
このようなことを前提に検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には、これを変更することがおよそ許されないというものではない、いずれにせよ、その当否については、個別的、具体的に検討されるべきものであり、一概にお答えすることは困難であるということでございます。
○藤田幸久君 私が聞いているのは、前回答弁された、行政府が権限を行使するに当たっては憲法を適正に解釈していくということが当然の必要という答弁について聞いているんです。そんなに時間を費やして島さんのそれを答えられたわけですが、私の質問に答えてください。
この憲法を適正に解釈していくのが当然の必要ということは、これは解釈変更を行政府がしていくということが当然だと言っていることですね。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 内閣が内閣の考える必要性に応じて憲法解釈を変更することが可能なのかというお尋ねと理解しますが、憲法の解釈及びその変更についての一般的な考え方は、先ほどちょっと長くなりましたが述べたとおりでございます。
○藤田幸久君 ですから、先ほどのことについては、適正に解釈することが当然の必要ということについては答えていませんよね、先ほどの島さんに対する答弁では。
あなたは、だって前回、私が引用したように、適正に解釈していくことが当然の必要とおっしゃっているわけですから、ということは、内閣は必要性に応じて異なる解釈へと変更することが可能かどうかと聞いているんです。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 失礼しました。
さきにお答えしたその適正の中身、適正の中に、当然、先ほどお答えいたしました、憲法の解釈について議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことも必要でありますし、まさに論理的に確定すべきものであるということなどが当然必要であるという前提でお答えしているところでございます。
○藤田幸久君 つまり、いろいろプロセスはありますけれども、適正にという範疇の中で解釈を変更していくことが必要だということですね。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 解釈の変更をする必要があるならば、適正に論理的に説明できるものでなければならない、そういう趣旨でございます。
○藤田幸久君 つまり、必要があるならば解釈を変更していくことがあり得るということをおっしゃったわけですね。
そうしますと、ちょっと質問を飛ばして、九十九条になりますけれども、資料も出しておりますけれども、国務大臣、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負うということがありますけれども、ここで言っていることは、これまでの考え方について、その考え方を尊重し擁護する義務を負うというふうな意味でよろしいですね。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 憲法第九十九条は、憲法が最高法規であることに鑑み、国務大臣その他の公務員は、憲法の規定を遵守するとともに、その完全な実施に努力しなければならない旨を定めたものであって、行政府がその権限を行使するに当たっては、憲法を適正に解釈していくということは当然であると考えております。
御指摘の趣旨が憲法九十九条が憲法の解釈を一切変えてはならないという趣旨ではないかというお尋ねであるならば、必ずしもそうではないと考えております。
○藤田幸久君 そうしますと、要するに、この九十九条と先ほどおっしゃったことも含めまして、解釈を必要と感じたならば変えることもあり得て、そのことは、国会議員あるいは国務大臣というものがそれにくみしても憲法違反じゃないということですね。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 先ほどお答えしたとおり、論理的な検討、議論の積み重ねのあるものについてはやはり整合性を保つということも当然必要であり、そのような検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるということになった場合には、その変更がおよそ許されないということではないということをお答えしているところでございます。
○藤田幸久君 先ほどおっしゃった適当とか至当というのは誰が判断するんですか。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 内閣による憲法あるいは法令の解釈については、内閣自身、当然自ら至当であるというふうに判断するのが前提でございます。さらに、それについては、国会を始め国民に対して説明をするのもまた当然であり、御理解をいただくということが必要であると考えます。
○藤田幸久君 つまり、安倍総理が至当あるいは適切と感じた場合には、今長官がおっしゃったように、解釈を変更することができ、岸田大臣あるいは小野寺大臣あるいは我々国会議員の憲法擁護義務というものはそれを超えることができないということの確認でよろしいですね。
ちょっとあなた長いので先に行きます。今それを確認していただいたというふうに思いました。
それで、時間がないので、二十二日の委員会で、憲法解釈を変更して多国籍軍へ参加する可能性があるかという質問に対して答弁が不十分でしたので、もう一度答えを求めますけれども、安倍総理が十五日の会見で、自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することはこれからも決してないとおっしゃったんです。ところが、翌日、衆議院の外務委員会で石井国際法局長は、国連の集団安全保障措置に全く参加できないということを意味しているわけではございません、例えば武力攻撃の発生当初に自衛権が行使され、その後、国連の集団安全保障措置に移行するような場合がこれに含まれることがあるということをおっしゃっているわけです。
ということは、今後、日本が集団的自衛権を行使し、その後、国連の安保理決議で集団安全保障措置に移行した、日本は引き続き武力行使を継続して集団安全保障措置に参加すると。かつてのイラクの場合がそうですが、つまり、湾岸戦争の多国籍軍に自衛隊が武力行使を目的として参加するような事例というものを政府は完全に排除できないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。これは岸田外務大臣。
○国務大臣(岸田文雄君) 五月十五日の総理会見におきまして、安倍総理は、まず、集団的自衛権に対する考え方として、この報告書の考え方のうち、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときという限定的な場合に集団的自衛権を行使すること、このことは従来の政府の憲法解釈に言う必要最小限度の武力の行使に含まれるという考え方、こうした報告書の考え方について今後更に研究を進める、こういった考え方を明らかにしました。
一方、御指摘のこの国連の安全保障措置についてですが、自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争、イラク戦争での戦闘にも参加するようなこと、これはこれからも決してありませんというふうに表明し、総理は、こうした事例を挙げることによって、そのような戦闘への参加は憲法上認められないとする従来の政府の立場を変える考えはないということを国民の皆様方に分かりやすく説明したということであります。
このように、総理会見におきましては、集団的自衛権に関する考え方、そして集団的安全保障に対する考え方、整理した上で明らかにした次第です。
そして、御指摘の石井国際法局長の答弁でありますが、一般論として、理論上、集団的自衛権と集団的安全保障、この二つが重なる場合が全くないとは考えられないと言えます。石井局長は、この二つが重なるケースがあり得るのではないか、これを一般論として理論上申し上げたという次第であります。
しかし実際は、これ重なるかどうか以前の問題として、政府としましては、この集団的自衛権についての考え方、これは、今、これから研究を進めるわけであります。是非、政府・与党としてしっかり議論を進め、そしてこうした国会の議論も踏まえまして、これからこの集団的自衛権の部分につきまして政府の対応を明らかにしていきたいと考えています。
○藤田幸久君 石井さんは重なるとは言っていないと思っています。変化していっているんだろうと、イラクのケースの場合もそうだったと、これはアメリカ、イギリス等がそうだったと。ですから、重なっていないということを指摘しておきたいと思います。
それで、最後に、日本国憲法と国連憲章と日米安保条約の関係について伺いたいと思いますが、国連憲章第五十一条は、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」とあります。
これに対して、日米安保条約前文は、日本及びアメリカは、国連憲章の目的及び原則に対する信念並びに国民及び全ての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認しとあります。
ですから、国連憲章、それに基づいて日米安保とありますと、このことと憲法解釈上の、集団的自衛権の権利は有するが行使は許されないという今の憲法解釈との整合性についてどう考えられるか、お答えいただきたいと思います。
○政府特別補佐人(横畠裕介君) 我が国が、国際法上、個別的及び集団的を問わず自衛権を有していることは主権国家である以上当然でありますが、一般に、国家が国際法上の権利を行使するか否かは各国の判断に委ねられており、憲法その他の国内法によって国際法上国家に認められている特定の権利の行使を制限したとしても、法的には特段の問題を生じるものではないと考えております。
○藤田幸久君 それでいいのかと思いますけれども、時間が参りましたので終わります。
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