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参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録「山田洋行 宮崎元伸元専務に対する証人喚問」2008年05月22日
活動報告
2008年5月22日
参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録
軍需専門商社「山田洋行」宮崎元伸元専務に対する証人喚問
○藤田幸久君 民主党の藤田幸久でございます。
宮崎元専務、この証人喚問にお越しいただきましてありがとうございます。先ほど冒頭の北澤委員長の質問に対しまして、その御自身の罪の裁きは受けて、そして反省をされて、それから国に奉仕をされたいとさっきおっしゃっておられました。是非そういうお気持ちで以下お答えいただきたいと思います。
と申しますのは、今日宮崎元専務がいらっしゃっておりますのは、被告人ということではなくて、証人としていらっしゃっているわけです。冒頭、テレビの中継についてやり取りがございましたが、今日までの宮崎さんに関する映像というのは、家を出たところで顔を隠しているところとか、逃げまくっていてマスコミに追われているというような映像しか残っていないわけです。で、今日は発言者として、これは国民の皆さんに御自身の反省も含めてこれから防衛の問題、先ほど360円の話もされましたけれども、こういったことは、まあこういう状況になったんで多分謙虚に素直にお話しいただけるんだろうと思いますので、そんなつもりでお答えをいただきたいというふうに思います。
まず、元々、今回のいろんなことは山田洋行の言わば内紛ということだろうと思いますが、先ほどの経緯については、言わば親会社の債務に関して売りさばこうということがあったんで、社員の方からの意見もあってそういう動きをされたということをおっしゃっておられましたけれども、そもそもなぜこういう内紛になったのか、その背景と経緯について、簡単で結構ですから、お答えいただきたいと思います。
○証人(宮崎元伸君) 先ほどとちょっと重複いたしますけれども、やはり不動産部門でRCCの問題が生じたと。その和解において、返済を山田洋行を売却することによって手当てをされるということが、されたと、されるということが進んでいるということが分かりまして、そこからまあいろいろなファンドの会社がデューデリジェンスを受けることになったんですけれども、やっぱり聞いておりますと、マネーゲームとか、それからまた興味を持っていただいた会社が不動産会社とかいうことでありましたので、もう全く我々はそういう興味をなくしまして、じゃ自分らでMBOで買い取ろうじゃないかということで提案をさしていただきました。まあ、それはオーナーとも不調に終わりましたけれども。
そういうことで、当時やはり社員は、防衛庁を始め業界に対する責任というものがあると。その防衛業界をオーナーが理解していないために、また責任を持たないためにそういうことになるんじゃないかということでそういう要望が出始めたわけですけれども、私としても、本当にそれだけの社員が要望しているのかというようなことで、1回目、1回目がこれは山田洋行グループですね、山田洋行の傘下に2社ございましたので、それを含めて要望書を取ってくれということで、その要望書が98%ぐらいがMBOでオーナーから買い取ってもらえないかというようなことでした。それから、2回目も大体九2、3%の要望書でございまして、それはもうやむを得ない場合は独立してもらいたいという要望書でございました。3回目は幹部だけの要望書を取りました。それもやっぱり93%とかいう要望書でございまして、まあ私ども責任者としては、ここまで社員が要望している以上は、やはり社員側に立ってその期待にこたえてやらなくちゃいけないなと。そうしなければ、私自身、やはり引退したところで死ぬまでやはり十字架を背負うようなことになるなということで、まあ大変なことではあるとは思いましたけれども、よし、じゃやってやろうという気持ちになって、まあ結論、結果的には独立をしなくちゃいけないことになったということでございます。
○藤田幸久君 その際に、いわゆるRCCと山田グループの関係について先ほどお話しになりまして、組織同士の関係でいうと、本部と、聞こえませんかね、山田グループとの関係だということでしたけれども、一方で、さっき、今オーナーとおっしゃいましたけれども、オーナーと西川さんとの長い関係があったということと、RCCが銀座辺りでかなり安くいろいろなことをさばいていたという面と、それからオーナーの方といいますか、親会社の方のかなり負債があったと、そういう流れも一方で存在したわけですね。いかがですか。
○証人(宮崎元伸君) 山田グループと申し上げても、商事会社と不動産関係とは全く人脈関係がございませんで余り交流がなかったと、そういうことでは全く他人同士の会社という関係にありましたので、私どもの情報もあくまでそういうマスコミの方の雑誌とか新聞とかいうことで知ることになっておりました。したがって、事実が何だったのかということは分かりません。
ただ、西川さんとの関係におきましては、ちょうど丸の内の支店長として赴任されてきたときに、私の知る限りは、そのときが山田さんは初めてじゃ、初対面じゃなかったかと、そう思います。
その当時、アメリカの企業のアーゴテックという会社の買収を西川さんが支店長のときにやっていただきましたので、それは結果的には成功しましたので、感謝しております。
○藤田幸久君 先ほど委員長、それから浅尾委員の方からの質問の中で、いわゆる苅田港の件ですけれども、途中からいわゆる神戸製鋼から下請を外されたわけですね。それで、そのときに、秋山さんに、その神戸製鋼との関係修復を宮崎さん、宮崎元専務の方が依頼をしていたということが言われておりますが、そうでしたでしょうか。そういうことがありましたでしょうか。
○証人(宮崎元伸君) もう記憶が定かでないところがございますけれども、1期、2期の工事が終わって3期目の工事に入るときに、2期が終わった時点で神戸製鋼から、もう海底には爆弾がもうないというような御報告を受けまして、ああ、もう、じゃ海底にはないのかと、じゃ3期目の事業というのはないんだなということで、私どもはドイツから持ってきた機械を神戸製鋼さんに売買で売ったことがあります。
したがって、私どもは、それを神戸製鋼さんに売ったことによってもう担当する能力はなくなったわけですけれども、そのときに秋山さんに後でまだ爆弾の処理が残っているんだというようなことを聞いて、おかしいじゃないかというようなことで、秋山さんといろいろクレームを付けた記憶は残っております。
○藤田幸久君 じゃ、クレームということで、じゃ具体的にその後の、後のことについて修復まではお願いをしていないと。そのおかしいじゃないかということを間接話法で秋山さんの方に分かっていただけたろうという認識でしょうか。
○証人(宮崎元伸君) 私自身は、ごく最近まで、3期目の工事があっていると、実施されているということは思っておりませんでした。こういう事件が発覚して、いろいろな情報の中で、ああ、3期目の工事もあったんだというふうに今は思っております。
○藤田幸久君 今まで、今日は北澤委員長ほか浅尾委員の方からいろいろ質問が出てきておりますが、それで昨年以来、この今、宮崎元専務が座っていらっしゃる席に昨年は守屋さんも座りました。1月8日、秋山さんも座られました。いろいろその方々を通して言えることは、それから米津元社長も、現社長も座られました。少なくとも米津さんと秋山さんがおっしゃったことは、基本的に宮崎さんが勝手に1人でやったんだということですけれども、今の内紛の話も含めまして、やっぱりいろいろな水増しの問題にしても、アメリカにおける資金の調達その他の問題にしても、これはやっぱりオーナーが、あるいは米津さん、管理部長もされていたわけで、一部の報道によると、米津さんの判こがなければお金が動かせなかったという話もありますけれども、そもそも宮崎元専務がやっておられたことについて山田オーナーは知っていらっしゃったわけですね。いかがですか。
○証人(宮崎元伸君) ちょっと質問の趣旨がはっきりまだ分からないところございますけれども、まず管理部長というのは営業管理部長でございまして、営業等のまあ対抗手段というんですかね、そのために営業管理部はありますので、普通の発注書というのはすべて営業管理部長がサインしていると思いますので、そういうことを知らないということはおかしいと思います。
○藤田幸久君 例えば水増しの問題とか、それから宮崎さんがいろいろ調達をされたとか、それから資金をいろいろ動かしたということについても、当然、山田オーナーは知っていらっしゃったと。
○証人(宮崎元伸君) それはですね、定期的には報告に上がりますので、そういう事件があったときも、社長は、代表取締役社長は山田さんでございましたので、防衛庁におわびに行ったということはございます。そういう意味でも、一応定期的には概略報告はしていたつもりでおります。
○藤田幸久君 ちょっと先ほど聞き忘れたんですが、RCCと山田グループの関係において、山田不動産とか弥生不動産の方が安宅関係の物件を買っておりますですね。これは、紹介されたのは西川さんですか。
○証人(宮崎元伸君) 確かにグループの中に安洋水産という会社がありまして、元々は安宅産業の子会社であったということは知っておりますが、それ以上のことは私は全く分かりません。
○藤田幸久君 先ほど、浅尾委員の最後の質問の方で、政治家の関係の方々との交流について質問がございました。それで、その中で、額賀さんを含めて宮崎さん、守屋さん等の数名の会食、20名ぐらいで中国関係の方の会食があったということでございますけれども、赤坂に「もくれん」というスナックがありますね。そこで、数名、つまり宮崎元専務と守屋さんとそれからそういう長官経験者といいますか大臣経験者数名で度々お会いになっていたという話がありますが、いかがでしょうか。
○証人(宮崎元伸君) 確かに先生がおっしゃるとおり、1度、記憶はあります。その1度だけでの記憶しか私には今はありません。
小さなバーでございまして、カラオケバーというんですか、だから8人ぐらいしか座れないカウンターだけのバーでございますけれども、そこに、ちょっとどういうことでお呼びしたかは知りませんけれども、何かどこかにいらっしゃるところから、ところで額賀さんの御友人がお電話されて、そこに額賀さんが顔を出されたと。だから、初めからということでもなく、また最後までということもなかったんではなかろうかと思います。
○藤田幸久君 そうしますと、額賀さんの御友人と額賀さんと守屋さんと宮崎さんほかで、それが1回きり、「もくれん」においてはということでしょうか。
○証人(宮崎元伸君) その「もくれん」では私はその記憶しか、1回しかありません。
○藤田幸久君 ほかに、そうしますと、長官あるいは大臣経験者とそれから守屋さんと宮崎さんを含めて飲食等を行われた場というのは、ほかにはございませんでしょうか。
○証人(宮崎元伸君) ちょっとすぐ今ここでは思い出せませんが、大臣経験者の方と飲食を共にするということは余り私はなかったものですから、恐らくないんではなかろうかと、そう思います。
○藤田幸久君 それから、大臣その他の方々が、これも山田グループが持っていらっしゃる21世紀山田グループの平成ゴルフ倶楽部がございますが、そこには度々その大臣経験者の方々もゴルフに行かれていると。それで、その手配の方は宮崎さんとかほかの方々がされたということを聞いておりますが、それはいかがでしょうか。
○証人(宮崎元伸君) そういうことは1度か2度、確かにあったと思います。記憶はあります。
○藤田幸久君 どういう政治家の方々でしょうか。それから、1度、2度だけなんでしょうか。
まず、お名前を挙げていただきたいと思います。
○証人(宮崎元伸君) まず、お名前については全く記憶がありません。
そういう意味では、私を通してゴルフ場を確保するというようなことは意外に容易なところはあったと思いますので、そういう依頼を受けて取ってあげたとか、又はそこに加えていただいたとか、そういうことはありましたけれども、それはもう数えるほどしかないと思います。
○藤田幸久君 先ほど浅尾さんの質問の中にも、額賀大臣の話も出ましたけれども、実は結構かなりの方々が山田洋行の本社に行かれている大臣経験者が結構いらっしゃるというふうに聞いておりますけれども、山田洋行本社に1度なりと何度か足を運んだ政治家の方々の名前を挙げていただきたいと思います。
○証人(宮崎元伸君) 大臣が私どもの会社を訪問されるということ……
○藤田幸久君 大臣になる前、今、過去において大臣、あるいは現在大臣経験者で大臣になる前とか、あるいは大臣を辞めた後とかということで聞いております。
○証人(宮崎元伸君) 議員の方々が私の会社を訪問された、山田洋行を訪問されたということについては、ほとんど私記憶はありません。
たまたま、落選はよくされておりましたけれども、東先生が顔を出されることはありましたですけれども、もちろん私どもの会社に顔を出されたのはやはり落選されているときだったと、が多かったと思います。もう、それ、東先生以外でちょくちょく顔を出されたという方はちょっと記憶にありません。
○藤田幸久君 そうしますと、例えば防衛大臣あるいは防衛庁長官経験者で山田洋行の本社へいらっしゃった方も、宮崎さん御自身は、例えばそういった来たという話を聞いたこともないということでしょうか。
○証人(宮崎元伸君) そういう先生方の、私どもの会社を訪問していただけるときは、私若しくは山田オーナーということになりますから、山田オーナーが会社に、を訪ねて会社に訪問されるときは私は出席しませんから、お会いして、分かりませんけれども、取り上げるだけの回数で来られた先生というのは私は全く記憶はありません。
○藤田幸久君 時間が3分ほどでございますが、いろいろお答えいただきましたが、やっぱり先ほどおっしゃっていただいたような、いろいろシステムの問題はございますが、結果的におやりになったことをおやりになったと。
そうしますと、やはりこれを、国に仕えるとおっしゃっていただきましたけれども、変えるために、1つは山田洋行さんあるいは日本ミライズさんのような規模以外の大きな実は商社もかなり似たようなことをやっているんだという話も聞いております。で、そういった実態がそうかということと、これを変えるにはどういうふうにしていったらいいのか。といいますのは、そういったことを変えていかないと、例えば国民も困りますし、自衛隊の方々の士気にも影響することだろうと思いますので、そういうことについて、今こういうふうに、まず実態についてお話しいただくことと、ほかの大きな企業も含めてですね、それをどう変えたらいいのかということについてお答えいただきたいと思います。
○証人(宮崎元伸君) 現状では私あずかり知りませんけれども、私どもが担当者として仕事をしていたころは輸入懇話会というのがありまして、そこでいろんな防衛庁に対する要望事項を出しておったんですけれども、たしか昭和42年ごろ、この防衛庁の手数料じゃやっていけないじゃないかというようなことから、コンサルタント会社と契約をしまして、そして防衛庁に対してその提案を出したことがありますけれども、結局は何らその提案書が採用されることはありませんでした。
なぜかといろいろ考えてみますと、やはり官庁の方も在任が2年なんですね。だから、改革とかそういうことをするにはやはり2年間でできることではありませんから、やはりもう分かっておられてもやらないと、2年間ほかのことを実務を一生懸命やっておればいいというようなことではないかと思います。
だから、やはりそういうものを1つ1つ改革するには、やはり委員会をつくって、それが継続して、2年でも4年でもやっぱり継続してそういうものを改革していくということをしない限りは、やはり事務官の方にしてもキャリアの方にしたって1つのポジションは2年が限度でございますから、たまたま守屋さんの場合は4年間というような異例のことではありましたけれども、通常2年でございますので、やはりそこら辺にやはり改革ができない問題があるんじゃなかろうかと、そう私は思っております。
○藤田幸久君 ありがとうございました。
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