ブログ

岡田外相、「バターン死の行進」捕虜に謝罪2010年09月14日

 日本政府は、第2次世界大戦中にフィリピンで日本軍の捕虜となり、「バターン死の行進」で生き残ったレスター・テニーさんら、元米兵捕虜6人とその家族を招聘しました。外務省はこれまで英国、豪州、オランダの元捕虜を日本に招待してきましたが、米国の元捕虜だけは除外してきており、今回初めての招待となりました。

 13日、岡田克也外相は一行を迎え、「非人道的な扱いを受けご苦労された。日本政府を代表して心からおわびを申し上げる」と外相として初めて謝罪しました。

 テニー氏は「今回は正義を達成するためのすばらしい機会だ」と感謝する一方、強制労働をさせた日本企業が戦後65年間、謝罪せず沈黙を守っており、私たちに対する侮辱だ」と訴えました。

 私は長年この問題に取り組み、これまでもテニーさんの来日の度にお手伝いしてきました。先週岡田外相にお会いした際に、米国において捕虜は英雄で、議会を訪問すると、国会議員が入り口で出迎え敬意を表する存在である。日本が終戦前にポツダム宣言を受諾する際に、捕虜の正当な扱いを行うことを義務付けられていたほど、国際的に重要な外交案件であることなどをお伝えしました。

 岡田さんは、ご自身のブログで、下記のように素晴らしい報告を書かれました。

 テニーさんは、私にとっても恩人で、3月にワシントン・ポスト紙が私に対する言われない中傷記事を書いた際、私を支援する友情あふれる投書をワシントン・ポスト紙とジャパン・タイムス紙に送って下さったのです。

参照アドレス

http://www.election.ne.jp/10870/82281.html

 17日(金)には、一行を国会にお迎えします。

 

岡田外務大臣のブログ

○米国元戦争捕虜―過酷な強制労働などの扱いを心からお詫び

 今日(9月13日)、米国人の元戦争捕虜(通称POW=Prisoner of War)の皆さんが日本政府の招待でお見えになり、6名の元捕虜の方とその親族や同行の方と外務大臣の面会が実現しました。

 冒頭私からは、米国のPOWに対する日本への招聘が他の国々に比べて遅れたこと、そして何より、捕虜としての虐待や厳しい非人道的な扱いがあったことについて、外務大臣として日本政府を代表し、心からのお詫びを申し上げました。

 このPOWの皆さんは、ほとんどがもう90歳かそれ以上で、戦争時代に捕虜になって、それぞれの各地域や日本に連れてこられました。そして、工場などで厳しい強制労働を強いられ、かなりの方が亡くなりましたが、今回招聘された皆さんは、生き延びて米国へ帰られた皆さんです。

 65年間の思いを抑えることが出来ず、感情を露わにされた方が多かったのですが、そのお話を聞かせていただきながら、私は、「同盟国である米国の皆さんが、これだけの日本に対する思いを持って65年間生きてこられた。もっと早く、日本国政府として何とかできなかったのか」という気持ちがしてなりませんでした。

 もちろん、この元捕虜の皆さんは大変厳しいことをおっしゃいましたが、同時に、頻繁に日本に来て日本人の若者との交流を続けておられる方や、あるいは、会合が終わったあと一緒に写真を撮ったのですが、そのあとに、わざわざ私に対して「非常に過酷な日本兵もいたけど、優しい素晴らしい日本兵もいた」ということを語ってくれた方もいました。

 いずれにしても、彼らは強制労働を強いたとされる企業に対して、それぞれ謝罪を求めています。私の立場からは、最終的には個々の企業が判断することであるという答えを返すしかありませんでした。

 しかし、戦時中とはいえ、本当に過酷な労働を強いたことに対して、少なくとも日本国政府としては、その捕虜の扱いの問題について、お詫びを申し上げなければなりません。

 そして、そういうことがあったということを、日本人1人ひとりがきちんと認識しなければならないことを、改めて感じた次第です。

----