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カンボジアの国際会議で講演2024年09月29日
今回のカンボジア訪問の主目的は、“Rethinking Harmony in Asia 2024”という国際会議で講演することでした。The Asian Network のRavindra Ngo代表の主催です。彼は国際MRA/IC活動の先輩Son Soubert国王最高顧問の甥で、昨年7月のスイス・コーの国際MRA/IC会議でもご一緒しました。(写真2)
冒頭のスピーチは、Mahatma Gandhiの孫のRajmohan Gandhiさんが(写真3)、閉会のスピーチはノーベル平和賞受賞者のSISTER DENISE COGHLAN(オーストラリア)さん(写真4)が行ないました。
私のセッションは“Harmony & Peace, how to maintain it? Cambodia as an example”です。他にAlissar Chakerc駐カンボジア・フランス大使、Alissar Chaker UNDPカンボジア代表、Sothirak Pou元カンボジア外務大臣・駐日大使、Father Will Conquer 宣教師が参加しました。(写真5,私から右に)
以下が私のスピーチの概要です。
「昨年10月7日以来、『ジェノサイド(大量虐殺)』という言葉が中東に関して頻繁に使われている。しかし、カンボジアでは1970年代半ばに最大200万人の人々(国の人口の5分の1)が虐殺されたことを忘れてはならない。官僚、軍人、医者、教師、僧侶までもが、しばしばクメール・ルージュに洗脳された幼い子どもたちによって標的にされた。国の基盤は完全に破壊され、その後内戦が続いた。この大虐殺以前、カンボジアは 「大国 」に操られた冷戦の最も悲劇的な犠牲となった。
この一連の悲劇にもかかわらず、カンボジアは30年以上も内戦を回避してきた。カンボジアの指導者たちのこの功績は賞賛に値する。
カンボジアはまた、近隣諸国が隣国を巻き込んだ紛争から利益を得ることがあるにもかかわらず、両側の大きな隣国とのはざまで領土の一体性を維持することにも成功した。
ウクライナで戦争が勃発して以来、カンボジアは以前よりも自立した外交政策をとっている。ロシアは近年までカンボジア与党の最大の支援国であったにもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻に反対した。「片方の味方はしない」 「大国の代理人にはならない」といった政策で、日本が学ぶべき政策でもある。
こうした対外的な平和の果実を国内の調和にどう生かすか、それが今、カンボジアにとって重要な課題であろう。私は1980年からカンボジアとタイの国境沿いでカンボジア難民の支援を始めた。小渕恵三元首相の対人地雷禁止条約への参加を支援し、カンボジアの地雷除去プロジェクトも支援してきた。1980年代から1990年代にかけては、対立するカンボジアの政党間の信頼醸成会議を開催した。
この数十年間、共産主義政権下で国内に留まらざるを得なかったカンボジア人と、海外に亡命せざるを得なかったカンボジア人との間に緊張関係が存在した。しかし近年私は、海外で教育を受け、高収入を得ていたにもかかわらず、低い収入の祖国に戻って国のために尽くしているカンボジア人に何人も会ってきた。このような人たちこそ、生産性とマーケティング能力を促進し、農村部の人々の生活を向上させ、中間層を生み出すことができる。
このことは、強硬派の第一世代の政治家の子息で、外国で教育を受け、民主主義の価値観を知っている閣僚の多くが理解しているに違いない。
カンボジアの国民が王室を深く尊敬していることも、希望が持てる。男女平等、報道の自由、SDGsの達成、良好な環境記録、社会保障、教育予算など、民主的価値観に関しては、王室をもっている国々が良い記録を持っている。ベルギー、デンマーク、オランダ、ノルウェー、スウェーデンなどが含まれる。これらの国の王室は庶民と親密な交流を持っている。日本には天皇制があるが、そうした民主的価値の数値から大きく遅れており、皇室と庶民の間には官僚的な壁もある。日本はこれらの国々から学ばなければならない。
今指摘した2つの理由から、カンボジアは今日、以前よりも調和に向かうことができると思っている。マハトマ・ガンジーの孫で、私の長年の友人でもあるラジモハン・ガンジーは、今朝の開会の辞で、ガンジーの次の言葉を引用した。「憎むな」、「恐れるな」、「愛と真実をもって打破せよ」。ガンジーの銅像はここからそう遠くないところに立っている。(写真6)
最後に、個人的な体験を紹介したい。私と妻には息子がいたが、1997年にビルから転落して亡くなった。亡くなる数日前、彼は「将来、お父さんがやっているように、カンボジアで苦しんでいる人たちを助けたい」と述べた。彼の死後、私はカンボジアの家族ぐるみの友人に、彼の遺灰の一部をカンボジアで保管してもらえないかと頼んだ。その友人は遺灰を受け入れ、スレ・アンピルの仏塔に納めた。彼とは会議の主催者のRavindra Ngoさんの叔父のSon Soubertさんである。息子は今カンボジアを助けており、私はその彼を支援している。」
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