ブログ

軍人スポークスマンの戦争 谷萩陸軍報道部長2022年12月17日

12月17日のNHK-BSの「軍人スポークスマンの戦争~大本営発表の真実~」に引き込まれました。  その登場人物の一人が、水戸一高(旧制水戸中学)の大先輩の谷萩那華雄陸軍報道部長(写真1)でした。  番組は新史料「大本営発表綴」に基つき大本営発表の実態を明らかにした力作です。大本営発表とは第二次大戦中に日本軍の最高司令部・大本営によって行われた戦況発表です。ガダルカナル島からの守備隊撤退を「転進」と言い換えたことなど嘘の発表でも有名です。大本営発表には、参謀総長や陸軍大臣などのハンコも必要で東条英機首相のものも見られます。(写真2)  谷萩大佐名で、捕虜になった米軍パイロットを処刑したという発表(写真3)に米側がルーズベルト大統領などが「この借りは返すぞ」と反発した写真(写真4)もあります。  谷萩報道部長は、その後少将としてスマトラ島の捕虜収容所の責任者となり、戦後戦犯として処刑されました。処刑前の連合軍の尋問に対し、「決して偽りの情報を発表することはなかった」(写真5)と述べたとのことです。  これに関して、近代史研究者の辻田真佐憲(写真6)さんは『大本営発表とは作戦の失敗を表沙汰にしたくないという、責任回避の側面もあった。虚の発表は、東条英機などが命令してできたのではない。各部署の赤字が入り、情報が歪められがちだった。現代と異なり、敵を含めた全体情報のない報道部長は、指示された情報を伝えるしかなかったのだろう』とコメントしています。  加えて『大本営参謀も、一種の官僚である。あるいは、巨大組織の従業員である。官僚や会社員が日々の決裁を通すために、ごまかしを重ねていく――それはけっして、現在の社会とも無縁ではない』と。  谷萩那華雄少将は、谷萩碧村という歌人として歌を残しています。それが彼の名の由来であろう水戸市の那珂川を背景に紹介されており、心をなごませてくれました。(写真7)   <img src="https://y-fujita.com/wp-content/uploads/2023/01/269352f78bc286dfa89cf9fe7379e017.jpg" alt="" width="800" height="625" class="aligncenter size-full wp-image-34124" /