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  • 【2008年6月1日】











     今朝の「茨城新聞」の「論説」は、目から鱗(うろこ)が落ちるような卓越したもので、心からお礼を申し上げたいと思います。


    私は、11年前の対人地雷禁止条約の時も、今回もNGOやマスコミ、外国の外交官と連携してきましたが、日本政府は、「常に、後手後手で、追い込まれて、土壇場で仕方なしに」という姿勢はひんしゅくを買ってきました。


    この論説のような外交の実現に向けて更にがんばってまいります。


    (茨城新聞、6月1日)


    「 クラスター弾全面禁止 日本の姿勢疑われた失態」

     日本は憲法で戦争を「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定め、外交の基本理念として「平和主義、人道主義」を掲げてきたはずだ。最終的に賛成したことは辛うじて評価できるが、クラスター(集束)弾全面禁止条約案を採択した「オスロ・プロセス」において、ずっと消極的であり続けた日本の外交姿勢は多くの国を失望させた。「失態」といってもいい。
     クラスター弾は、数百個の子弾を空中で飛散させる。子弾が不発弾となって戦闘終結後も残るため、子どもを含む民間人が拾うなどして爆発、死傷する例が多い点がまず問題視されてきた。
     オスロ・プロセス参加各国が全面禁止を主張する中で、日本は不発弾となる確率が低い改良型クラスター弾の使用は認める「部分禁止」を主張した。同様な主張をしていた英国が全面禁止支持に転じた後も、なお部分禁止に固執した。
     だが、クラスター弾の「非人道性」は、不発弾の問題だけでない。
     子弾の飛散によって広範囲、無差別的に被害をもたらす点にもある。その被害を受けやすいのは頑丈な軍事施設などよりも「やわらかな標的」、すなわち家屋や人である。
     第二次大戦中、日本の都市を焼き尽くした米軍の焼夷(しょうい)弾も、子弾が飛散するクラスター弾の一種だった。その無差別殺りくの非人道性を日本は最も知っている国の一つではなかったのか。
     唯一の被爆国として核廃絶を訴える点においては、日本外交は積極的な役割を果たしてきた。しかし、日本が過去の戦争によって得た教訓は広島、長崎の原爆の悲惨さだけではないはずだ。
     まず戦争を抑止することが最も重要であることは言うまでもない。「すべての兵器は非人道的である」という指摘もまったく正しい。
     しかし、戦争が起きてしまったときの人命の犠牲を最小限にすることも、世界の現実の中では大きな意味がある。化学兵器、生物兵器、対人地雷など特定の兵器の非人道性を一つ一つ告発、検証し、順次禁止してきた道筋の価値は大きい。
     核廃絶という人類にとって最重要で、かつ最も困難な道筋を築く役割を日本が本気で担おうとするのであれば「通常兵器」と分類される兵器の禁止においても、積極的な姿勢を見せなければ、国際社会の信頼と支持は得られない。
     クラスター弾に続き、「放射能兵器」として禁止を求める声が高まっている劣化ウラン弾などについても、今後、日本の姿勢が問われていくだろう。
     自衛隊は今回の条約案採択を受けてクラスター弾を廃棄する方針だが、ほかにも「非現実的な兵器」を所持していないか。精査する必要がありそうだ。

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