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『原発事故での決死隊の活躍と原発の見直し』2019年09月07日

茨城新聞に、20年前の東海村のJCO臨界事故で、「水抜き」の決死隊を指揮した田中俊一氏(原子力規制委員会初代委員長)のインタビューが掲載されています。違法作業が続いた結果の臨界事故は「たまたま起きたのではなく、『起こした』ものだ」と語っています。別の決死隊指揮者の一人は「事故時には、多くの知見を結集する必要がある」とも述べています。 しかし、東日本大震災の福島第一原発事故の後、田中俊一さんなどのJCO事故早期終息の知見を政府は活用しようとしませんでした。そこで、ある茨城県の幹部からの提案で、私が田中さん達を海江田経産大臣と細野首相補佐官に紹介しました。ところが、経産省の役人達は、文科省系の日本原子力開発機構の田中さん達の関わりに抵抗して手こずる場面も生じました。 その後、私は福島県の飯館村や伊達市で田中さん達がボランティアで行っていた除染活動を政府に紹介することにもなりました。因みに、田中さんは初代の原子力規制委員会委員長に就任しましたが、私はその人事には全く関わっていません。(2年前にある月刊誌が、私がこの人選に関わったという記事を掲載しましたが、全くの事実無根です。) 福島第一原発事故でも、現場で獅子奮迅の活躍をした故・吉田所長や、多くの現場の決死隊の活躍があります。現場の英雄達の活躍には心から感謝する一方で、それらの方々に報いるためにも、田中さんが述べているように、「原子力安全行政」のあり方、そして原子力発電のあり方そのものを問い直す時です。