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アメリカ元捕虜講演会を開催2010年09月18日
第2次大戦中に日本軍の捕虜となり過酷な経験をした米国の元捕虜6人が、日本政府の招聘で来日しています。政府はこれまで、英国、オランダ、豪州の元捕虜を10年近くにわたり招聘しましたが、米国の元捕虜だけは除外してきました。
私が事務局長を務める「国際IC推進議員連盟」では2008年に、今回団長として来日中のレスター・テニー(90)さんに講演頂き、その結果、米国元捕虜も招聘すべきだと政府に提言いたしました。その結果、昨年の藤崎一郎駐米大使による元捕虜の大会での謝罪なども経て、今回初めての招聘が実現しました。
岡田外務大臣は9月13日、米国の元捕虜6人とその家族を外務省に迎え、日本政府を代表して戦時中の非人道的な扱いに対するお詫びをしました。国際IC推進議員連盟は、17日、来日中の元捕虜とその家族をお迎えし、参議院議員会館で国会議員のみなさんに話を聞いてもらう機会を設けました。
一行はレスター・テニーさんを含む6人とその家族です。元捕虜の子孫グループの会の会長のジャニス・トンプソンさんや元捕虜の父を亡くしたナンシー・クラークさんも、今回、日本政府から招待されて訪日団に加わりました。
耳が遠かったり、車椅子に乗っている人もいるものの、全員かくしゃくとしておられ、日本政府による謝罪を素直に受け入れると表明してくださいました。しかし同時に、米軍捕虜を非人道的に扱って利益を上げながら、謝罪をしようとしない日本の大手企業については、いつまででも待つのできちんと謝罪してほしいとも語りました。
国会議員の側からは羽田孜IC議連会長(元総理)、河村健夫副会長(元官房長官)をはじめ、11名が参加しました。訪日団を代表してテニーさんが、ご自身の体験を話されました。テニーさんは日本軍に捕まり、4日間飲み水も食料も与えられずに行進させられた「バターン死の行進」を生き延びたものの、さらに日本軍から三井大牟田炭鉱に売られ、過酷な労働を強要された人です。
国際IC議員連盟 レスター・テニーさん他訪日ご一行
議員一同、当時日本側が捕虜に対して行った仕打ちに心を痛めると同時に、日本へのうらみを乗り越えて、日本政府の謝罪を素直に受け止めてくれた元捕虜の大きな気持に感謝しました。また参加議員からは「日本の戦後補償議連」のメンバーとして今年7月にベルリンを訪問した話がなされ、ドイツの個人補償や元敵国同士の共通教科書作成の努力を日本も学ばなければならないという意見が出されました。
それを聞いたテニーさんは「日本軍による捕虜の死亡率は40パーセントだが、ドイツ軍による捕虜の死亡率は1・5パーセントだったことも心にとめて欲しい」とコメントをされました。
政府は来年も本年度予算の5割り増しで元米軍捕虜を日本に招く概算要求を出しています。国際IC議連とも元米軍捕虜との対話を継続したいと考えています。
<来日メンバー>
(1) Lester Tenney氏と夫人
バターン死の行進→オドネル収容所→カバナツアン収容所→「トコ丸」→ 福岡第17分所(大牟田・三井炭鉱)
(2) Joseph Alexander氏と夫人
ミンダナオ島で降伏→東京本所(品川)→東京第2分所(川崎扇町)→
東京本所(大森)
(3) Edward Jackfert氏と夫人
ミンダナオで降伏→「鳥取丸」→東京第2分所(川崎扇町)
(4)Donald Versaw氏と令嬢
カバナツアン収容所→クラーク基地→「日昌丸」→福岡第7分所(二瀬炭鉱)
(5)Robert Rosendahl氏と子息
バターン死の行進→奉天収容所
(6)Earl Martin Szwabo氏と夫人
コレヒドールで降伏→パラワン島→「マテマテ丸」→名古屋第3分所(船津)?or名古屋第4分所(四日市)?
(7)Janice Thompson氏(子孫グループのリーダー)
父Robert Thompson: コレヒドールで降伏→ビリビッド収容所→「鴨緑丸」撃沈→「江の浦丸」撃沈→「ぶらじる丸」→門司→奉天収容所
(8)Nancy Kragh氏(POWの子孫)
父Clarence H.White:バターン死の行進→「鴨緑丸」撃沈→「江の浦丸」撃沈で死亡
<日程>
9月
12日(日)東京着
13日(月)米国ルース大使/岡田外務大臣/福山官房副長官/国際基督教大で講演
14日(火)地方泊(収容所跡など各自の希望地訪問)
15日(水)京都へ移動
16日(木)京都観光(霊山観音他)
17日(金)国際IC推進議員連盟で講演/共同記者会見/外務省歓迎会
18日(土)横浜英連邦墓地/市民交流会
19日(日)離日
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