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拉致特視察、曽我ひとみさんと面会2009年03月17日

16日は参議院の北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会の視察で、新潟県佐渡市を訪れました。高野市長、新潟県の鶴巻政策局長、そして、県警本部の田村参事官他から説明を伺いました。

 

 

 そして昭和53年に曽我ひとみさん、曽我ミヨシさん母娘が北朝鮮の工作員に拉致された現場を視察しました。

その後、平成14年にひとみさんは帰国を果たされたものの、ミヨシさんは未だ安否が心配されています。

 また、新潟県においては、蓮池薫さん・祐木子さん夫妻が帰国されたほか、まだ多くの失踪者がおります。

 

 

 曽我さん母娘が拉致された現場は、自宅のすぐ近くで、美しくのどかな田舎町の仲の良い母娘を引き裂く行為を、他の国家が女性工作員などの手で行ったことに、強い怒りを覚えました。

 曽我ひとみさんと30分以上懇談できました。今曽我さんは老人施設で介護を、夫のジェンキンスさんはおせんべい会社で勤務されています。長女の美花さんは保育士としての勉強を終え4月から保育士としての仕事を始め、次女のブリンダさんは酒造会社でお勤めとのことです。

 

 

 

 私は委員長としての挨拶の中で次のように申し上げました。「曽我さんは、いつも美しい言葉を表す人として感動しています。また拉致被害者として以上に1人の人間としてすばらしい人であると思っています。多くの苦労を経験した人は、多くの人を助け、人々に多くを与えることができると言います。あなたも多くの人々に与えてこられてきたことに感謝します。」

 

 

 ひとみさんは、多くの皆様からの支援に感謝を表したあと、以下のように思いを語って下さいました。

「今老人ホームで、痴呆の人々などに対し、母と同じ年頃の方々なので、母にできることをしてあげたいと思ってやっています。でもやはり母ではないのです。本当の母は1人しかいないのです。(拉致された)8月12日が来ると忌まわしく思います。一緒に買い物に出かけなければ母がこんなことになっていないという、自分を責めたくなる気持ちになります。1日も早く母を見つけ一緒に温泉に連れて行きたいと思います。娘たちは日本語も覚え、音楽のグループに入ったり茶道を始めたり努力していますが、まだまだ日本の社会を知りません。そうした面で相談に乗ってくれたり、精神的な面で支えてくれる人々が必要です。来年3月で拉致被害者支援の給付金の5年が切れます。夫は68歳で、年金もなく、私たちには蓄えもありません。将来が不安で一杯です。できれば来年以降も延長して頂ければ有り難いと思います。」

 謙虚なひとみさんは、議員の方々から「何でも遠慮せずに要望を言って下さい。」と再三の呼びかけに応じて、ここまで心を打ち明けて頂きました。この給付金延長については超党派でしっかりと取り組んでいきたいと思います。

 

   

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