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参議院国際経済・外交に関する調査会における藤田幸久の質疑議事録2017年02月22日

活動報告

2017年2月22日

参議院国際経済・外交に関する調査会における藤田幸久の質疑議事録

 
○会長(鴻池祥肇君) ただいまから国際経済・外交に関する調査会を開会いたします。
 本日は、「アジア太平洋における平和の実現、地域協力及び日本外交の在り方」のうち、「外交能力及び戦略を向上させるための取組の課題」に関し、「NGOなど多様な主体との連携」について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、聖心女子大学教授・NPO法人国際協力NGOセンター理事大橋正明参考人、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授・NPO法人難民を助ける会理事長長有紀枝参考人及びNPO法人ジャパン・プラットフォーム共同代表理事・NPO法人ピースウィンズ・ジャパン代表理事大西健丞参考人に御出席いただいております。
 この際、一言御挨拶申し上げます。
 お三方の参考人、先生方には、御多用の中、誠にありがとうございます。
 本調査会の今後の調査のために、忌憚のない御意見を賜ることを心からお願いを申し上げます。ありがとうございます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、大橋参考人、長参考人、大西参考人の順でお一人二十分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、大橋参考人から御意見をお述べいただきます。大橋参考人。
○参考人(大橋正明君) 今日は呼んでいただきまして、ありがとうございます。
 お手元のパワーポイントの印刷されたものにございますように、私は大学の教員をする傍ら、日本の国際協力のNGO、これ、どういうふうに定義するかというのはまたいろいろあるんですけど、大体五百ぐらいが比較的何年も活動してある程度の規模というふうに大体申し上げておりますが、そういうものの中で最大約百十ぐらいのNGOをネットワークしているのがこの国際協力NGOセンター、JANICという団体で、一昨年の六月まで八年間ここの代表理事を務めておりまして、今も理事を務めておる関係上、日本のNGOのことを少しお話しするというようなことが役割としてあるんではないかと思っております。
 今日は、下の方にありますように、まず全般として、露払い役ですね、長さんと大西さんが控えておりますので、日本のNGOの全体像というのをごく簡単にお話しした上で、後半について、私が考える、あるいはJANICとしても大体考えている、NGOというのはこういう価値があるので、日本の外交にとってこういう役割というものを果たせるんではないか、あるいは、外交にとって、NGOから見るとこういうふうにお願いをしたいといったことを述べていきたいというふうに思っております。
 一枚おめくりいただいて、このNGOについてのことについては今更詳しく申し上げることはないと思います。ただ、いわゆる、この上の方の図です、二ページ目の上の方の図ですが、公益、他益というのを上に取り、右側と左側に営利、非営利というのを取ったときに、各政党とか宗教団体と同じようにNGO、NPOも含まれると。NGOの多くはいわゆるNPO法人という格を取っているものが多いわけですけれども、この中にNGO、NPOというものが含まれていると。下の方に行くと共益という形になりますので、自治会みたいなものというものが増えてきます。
 NGOとNPOはどう違うかということも先生方に必ずしも詳しく説明することはないと思いますが、一般的な使い分け、日本でこういうふうに使い分けになっていて、アメリカやイギリス、あるいはインドに行ってこのように通じるわけではなくて、それぞれの国ではそれぞれの呼び名がありますので、日本の場合は、ただ国際的な課題、特に開発、貧困、あるいは人道的な問題、環境、保健衛生とか医療、あるいは人権とか、国境を越えて共通したような問題を扱う団体をNGOと呼ぶものが多く、地元の問題とか、国内の問題とか、裏山、自分の近くの山の環境の問題というものをNPOと呼ぶことが多いというだけで、どこにもきちっとした定義があるわけではございません。基本的には、NGOというのは国際的課題を扱っているというふうに一般的に使われているということにすぎません。
 一枚めくっていただいて三と書いてあるところですが、日本のNGOは、戦争前から続くというものはほとんどございませんで、基本的には戦後になり、しかも高度成長が一応終わった七〇年から八〇年代、八〇年のときに、御存じのとおりインドシナ難民というのがベトナムとカンボジアとの関係で主にカンボジアから出てまいりますけれども、これに対応する形で日本のNGOというのが本格的に始まり出したというふうに言われています。
 だから、バンコク辺りで、カンボジアとの国境辺りで難民キャンプで活動するために日本のNGOが幾つか生まれた。それ以前に生まれたものも幾つかありますけれども、一番の最初の部分は八〇年の初め、そして九〇年のところで最大のピークを迎えたと言われておりますが、これはいろんな理由があると思いますが、一つ大きいのは、外務省含め政府の方からNGOに対する資金の協力が本格的に始まり出したということも私たちの数が増える大きな助けになったというふうに一般的には理解をしています。その後またちょっとずつ落ちてきておりますけれども、社会の関心というものが多少変わってきているんだろうと思います。
 四番目のスライドですけど、日本のNGOが主にどこで活動しているかというと、日本の政府開発援助、ODAも多少似たような傾向があるんですけど、日本のNGOはどうしてもやっぱりアジアが圧倒的に多い形になります。これはやっぱり資金の力も余りないということもありますけれども、近親性とか、問題をよく理解できるというようなこと、団体によってはやっぱりアジアに対する贖罪という意識を持っている団体もあると思います。それからアフリカということになりますが、アフリカもいわゆる英語圏のものが多くて、右側の方にどこが多いかということが書いてあると思います。
 先生方の中には御存じの方もいらっしゃると思いますが、例えばインドみたいな国は非常に人口が多いので本当はもっと多くてもいいんですが、インド政府は外国のNGOは余り来てほしくないというふうに考えていますので、それぞれの国の外国NGOに対する政策によってもこの数というのは影響されてきています。もちろん、繰り返しますけど、やっぱり西アフリカのフランス語圏というのはなかなか行きづらかったり、南米には行きづらいという物理的な障壁もありますけれども、相手国政府の政策によって日本のNGOの在り方が変わってきているということも御了解いただければと思います。
 どんな分野で活動しているかということを、ごく簡単ですが、やっぱり日本のNGOは教育、保健医療というのが圧倒的に強いというのも次の五枚目のスライドのところにお示ししたとおりでございますが、最近は自然災害とか、また必ずしも自然とは限らず、長さんのところも大西さんのところもそうですけれども、緊急事態に対する人道的な援助というものも多いですが、数的には圧倒的にやっぱり、小さくても、小学校の子供たちを学校に行ってほしいというような、長く一生懸命続けていらっしゃるような団体さんが多いということです。
 それを財政規模から見たのが次の六のところで、全体から見ると、日本のNGOは何だかんだいって全体で多分四百億円とか五百億円ぐらいしか使えていないというか、これは日本のODAから日本のNGOに来ているのが、大体百億円ぐらい頂戴しているんですけど、それを合わせて五百億円ぐらいかなと。
 御参考までにですが、私はバングラデシュとかインドのことを主にやっていて、バングラデシュの一番大きなNGO、BRACさん一つ単体で年間五百億円を超えておりますので、バングラデシュ政府の大体予算の五%ぐらいを一つのNGOが占めている。日本がもし百兆円が年間政府予算だとしたら五兆円規模のNGOがバングラデシュには存在しているという形で、やっぱりNGOのステータスといいますかイメージみたいなものがすごく国によって違ってくるということも先生方に知っておいていただけると有り難くて、日本のNGOが残念ながらまだまだ規模としてはもっと大きくなっていい、ゼロがもう一つ二つ大きくなっても世界的にはおかしくないんだというふうに思っておりますが、これは多分後で先生方からお叱りを受けるかもしれませんけれども、私たちの力も及ばず、なかなか寄附というものを集めることができないというふうに思っております。
 どこに行ってしまうかというと、不快に思われる先生もいらっしゃるかもしれませんが、やっぱりブランド団体に、私も前職は赤十字に勤めていたので余り言えないんですけど、そういうNHKとか赤十字とかユニセフ協会という、私からすればそれはブランド的なものにどうしてもお金が集まりやすくて、片仮名の名前、JANICとかそういうところはなかなか、何それというふうに呼ばれてしまうというところがあって、ここをどうするかというのが大きなあれです。
 全体のうちの多くの、特に、次のページに書いてありますけれども、NGOの年間収入が一億円以上の団体というのは五十三団体、これは三年ぐらい前の統計ですけれども、その一七%で全体の八六・六%の金額を集めていて、反対に一千万円未満の団体というのは百三あるんですけれども、年間収入の〇・九四%。要するに、すごく大きな団体とすごく小さな団体に分かれている。
 しかも、左側に大きな団体の名前を少し挙げておきましたけれども、大きいといっても一番大きなところでも七十億円でしかなくて、バングラデシュで申し上げたように、五百億円とか、ヨーロッパなんかでも大きな団体は三百億、四百億と集めておりますけれども、その規模から比べるとちょっと格段の差がある。
 また、御存じかと思いますが、韓国の方が人口は日本よりも半分より小さいと思いますが、各団体が集めているお金は日本のこういう団体よりももっと多いというふうに理解をしていて、ここら辺、日本の寄附文化の問題、あるいは市民社会の問題、御理解の問題ということ辺りを日本の外交の一環として幅広く捉えるならば、先生方と一緒に変えていくべき課題に私どもも直面しているというふうに理解をしております。
 日本政府のODAの資金との関係というのは、これ示したところ、丸を見ていただければ。ちょっとあれですけれども、分かりやすく言うと、下に書いてありますように、日本のNGOを通じた贈与額は国全体でも一人当たりでも非常に少ないということです、先ほど申し上げたことですね。これはOECDの統計ですけれども、日本人がやっぱり世界的には多分貧困とか低開発に対して関心が低いというふうに見られている可能性が十分高い、あるいは寄附文化が希薄である。やっぱりある程度健全なCSO、市民社会組織、NGOがもう少し育たないと国際水準としていかがなものかということが見えてしまっている。
 金額だけを見ますと、日本政府のNGOへの資金割合はG7やDAC並みですけれども、中身的にもう少し工夫をしていただいたり、もう少し柔軟性を増やしていただいたりとか、量的にこれはいわゆる援助先進国と呼ばれている北欧と比べると日本のNGOに対する供与は全く少ないという割合が見えてくるんですけれども、もう少し工夫をしていただく可能性もあるのではないかというふうに思っております。
 これ以外にも、DACやG7の国々、日本政府も約百億円弱ぐらいを現地のNGOに配っておりますけれども、ここももっとうまいやり方があるのではないかというふうに思っておりまして、そういうところをもっと私たちとも共同して、やっぱり援助する人間というのは援助屋ですから、こういうところとよく共同して、もちろんJICAさんとも共同してということはあると思いますけれども、やる余地があるかなと思っております。
 また、三つ目めくっていただきまして、七、政府との対話ということに書いておきましたが、対話のスポットもかなりつくってきていただいております。外務省との定期協議というのが年七回開かれておりまして、冒頭のだけが、お忙しいので、多いですが、政務三役の一人が参加していただけるようになっております。それから、これは国際協力局とですけれども、もう一つの局の総合政策審議官と一緒に国際的なGIIやIDIに関する定期協議というのも年に数回、これは主に保健関係です。そこからMDGとかSDGとかG7とかG8といったものが出てきたときにはスピンアウトした会議。それから、JICAとのも年四回、財務省とも年四回という形です。
 先生方、もう随分あれですけれども、九〇年頃に国際協力基本法とかNPO法を作ろうという運動が随分あったときには与野党との話合いとかパイプがたくさんあったんですけれども、その後の定期協議ができたことがどう影響しているかはともかくとして、政党とNGOの話合いは非常に少なくなったというふうに理解をしておりまして、これは少し変えていかないと。お役人が悪いというわけではなくて一生懸命やってくださっているわけですけれども、先生方の関与というものをもっと考えなくてはいけないんじゃないかと私ども感じております。
 ここからが私が申し上げたいところに変わりますけれども、まず最初に、ローマ数字のⅡの国際開発あるいは協力におけるNGOの価値と連携というところですが、NGOは、先ほどからちらちらと申し上げているとおり、市民社会組織というふうに理解をしていただいた方が、ノンガバメント、非政府組織というよりは市民社会組織だというふうに理解をしていただいた方がいいかなと思っています。
 参議院が衆議院に対して抑制的、補完的であるというように、あるいはマスコミが第四の権力として権力に対して不正を発見してその問題点を発見するように、NGOというのは政府開発援助とかいわゆる開発政策に対して、開発の在り方に関して普遍的な人道主義の立場、あるいは人権重視の市民社会の立場から、独立かつ異なった立場と役割を負っているものだというふうに私は認識をしています。これも、政府と協力することは決してやぶさかではないんですけど、全く一体化してしまうとこれはちょっとおかしなことになっちゃうんじゃないかというふうに思っています。
 ですから、やっぱり、特にスラム、大きな建物を建てるときにスラムの貧しい人たちが立ち退かされてしまうとか貴重な自然資源が破壊されてしまうとか格差が開いてしまうというようなことに関してやっぱり問題点を指摘し、同時に、必要なサービスあるいは代替するサービス、オルタナティブなものを提供していくという、どちらかというとサービス提供だけが強調されがちなんですけれども、そういう大きな役割があるだろうと。だから、短期的、狭量、非常に狭い範囲での国益とか経済益とは必ずしも一致しないというふうに理解をしております。
 もう一枚めくっていただきまして、二のところで、市民社会組織がですから追求するものというのは、まあ市民社会とは何かというのもまた先生を前にあれですけど、普遍的な定義はどの辞書をめくってもなかなか出てこないわけでありますけれども、基本的によく言われているのは、自由と平等を獲得した自立的個人である市民によって成り立つ社会というふうによく言われておりますが、その拡大を追求しておりますので、やっぱり強権国家とかいわゆる開発独裁という、余り最近は言われなくなりましたけど、そういう国々ではNGOの数というのは比較的少ないか、あったとしてもお飾り的なものが多いというふうに考えております。
 ですので、市民社会組織というのは、国民国家の枠組みを超えたり偏狭なナショナリズムを超えてグローバルな普遍的価値を共有しようという志向性が非常に強くて、私たちNGOのレベルでもアジアあるいは太平洋各国のNGOとの連携というのがネットワーク段階でも進んでおります。
 開発協力の形態も、当初は日本のNGOが行って、頑張って日本人がヒーロー、ヒロインになってやるというパターンが分かりやすいものですから一番多いんですけれども、国際的には、現地のNGOがそれをやるのを私たちが側面から協力させていただくという傾向が全般的には強くなってきている。これは分野によっても多少違いますけれども、全体から見れば、現地のNGOさん、CSOさんが活動されるのをどうサポートするのかということに、多くなってきていると思います。早口で申し訳ございません。
 御存じのとおり、国連で採択された持続可能な開発目標、SDG、この中にも、自由、ちょっと三の二を先に読むと、十七のターゲットの十七というやつですが、様々なパートナーシップの経験や資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを推進、奨励するというふうに明記されておりまして、SDGを作るプロセスでもNGOは随分積極的に関与させていただきました。NGOにとってはこのSDGの十七とそれから十六、上に一つ戻りますが、平和と正義の十番目のターゲットで、特に国内法規及び国際協定に従って情報への公共アクセスを確保し、基本的自由、基本的人権と読み替えてもいいかと思いますが、保障するということが、NGOが活動する幅を確保し、役割を十分に発揮するために非常に必要な政策環境なのだ。この政策環境を日本のみならずアジア太平洋でも確保していくということに、先生方と一緒に、あるいは日本の外交の一つの役割として果たしていく必要があるというふうに私どもは強く考えてきております。
 また一枚めくっていただきますと、そうは言いつつも、いろんなところのNGO、各国の話を聞いていますと、SDGに示されたような理想は、逆に言えば、ないところがあるからこそSDGに掲げられたわけでありまして、NGOに対して、一部の大国や途上国の一部で、資金の受取とかNGOの活動、特に政府の批判をすることに対する非常に厳しい目というものが出てきているということです。
 ですから、いわゆる非常に国家が強いところでは官製を除いてNGOがほぼ存在しない国というのが幾つもある。そういう主義主張の場合に、仕方がないんですけれども、なかなか難しい。あるいは、受け入れたとしても、外国資金や外国NGOに対して非常に警戒的な立場を取っている国というものもございますし、それから、政府に協力的でない自国のNGOに対してもやっぱり非常に批判的になっていて、よくNGOの人と話していると、ウイ・アー・ノット・ラブド・バイ・ザ・アワ・ガバメントといいますか、自分の国の政府にとって気に入られていないので非常に活動がやりにくいというような形のものが出てきてしまっていると思います。それぞれの社会にとってもこれは必ずしもいいことではない。
 一方で、先生に申し上げるのもあれですけれども、グローバル化で物、金、情報というのの行き来は自由になっているのにかかわらず、NGOの人、金の往来、特にビザを取るとか大変面倒くさい形になってきています。その活動も自由化せず、政府の管理下あるいは政治的な管理下に入っているということが多いと。日本がそうだと申し上げているわけではなくて、改善すべき事実がそこにあるだろうというふうに思っているわけです。
 日本にとってみては、やっぱり幅広い外交といいますか重厚な外交をやっていただいて、それを私たちもお手伝いする、あるいはその逆もまた真なりだと思いますけれども、そういうものに日本の外交の在り方、特に援助政策ですね、国際協力の在り方というものを関わっていただきたいなというふうに思っています。
 というのは、私たちの目から見ると、こういうNGOが自由闊達に動くということは、中長期的にこのアジア地域において平和と人権を強化し、社会を豊かにするものに違いないというふうに思っておられるわけで、どこでも、社会でも、マスコミが例えば健全に強化しなければ社会の在り方がおかしいと思うように、NGOが自由闊達にその国の開発政策についてあるいは援助政策について語れないというのは社会の方が良くないんだというふうな共有的意識を持っていただきたいと、あるいは持っていらっしゃることをもっと強化していただきたいと思っております。
 ですから、そういうNGOを積極的に多様に私どもが支援することで、アジア太平洋の社会が、あるいはもちろん経済もそうですけれども、一層成長し、同様の価値観を持つような政策に各国の政策を変えることができる。これは、NGOも各国でそういうアドボカシーといいますか政策提言をされるわけですから、そういうものを、直接、例えばある国でそのNGOが政策することを支えるとなると内政干渉ですけれども、その国のNGOの活動を支えて、そのNGOが結果的に自国の中の政策環境を変えていって自由な市民社会の活動を可能にするということは、アジアにとって非常に似たような価値観を持つ豊かな関係ができると、それこそが日本の目指すべき外交ではないかというふうに、まあ先生方を前にあれですけれども、強く感じております。
 今、いわゆるナショナリズムというのはいろんな意味がありますけれども、いわゆる短期的な排外的なナショナリズムの中で、日本はやっぱり普遍的な価値観に基づいた市民外交というものを成し遂げていかなくちゃいけない。そのためには、私は市民社会のグローバル化あるいは社会のグローバル化というものがなされなくちゃいけないんじゃないかというふうに思っております。
 あと時間が一分半ぐらいですので、あと、具体的な私どもが何度か申し上げているようなことを幾つか申し上げて、先生方がいつかこういうことを実現していただくときの参考にしていただければと思います。
 一つには、政府開発援助、ODAが多元化するということをもっと積極的にやっていただきたいと。私自身は、今回の開発協力大綱の見直しの委員をさせていただいて、かなり厳しい論議をさせていただいて、私は心ならずして、必ずしもその内容に満足はしていないというか、これはますます日本は良くない方向に走ってしまうんではないかということを非常に懸念をしております。
 やっぱり、しかしそうはいっても、開発協力大綱が平和と繁栄のうち普遍的な人道主義に基づいたということは強調しているわけですので、ODAのうちの少なくとも半分かそれ以上は、その経済的、特に短期的な利益、国益ではなくて、もっと長期的な人道的な利益に基づいた、なるほど日本すごいよねというふうに言われるような活動に使えるような、短期的に日本との関係がどうかとかということとは関係なく、人道主義に立った、いわゆる短期的な外交とは離れた、なるほどすごいですよね、日本って、それだけお金を持ってこういうことをやられるんですねというふうなODAというのを、人道主義的ODAというのをもっと強めていただきたいなというふうに思っています。この中ではNGOが随分お手伝いできるんじゃないかと思っております。
 それから、この大綱の中にやっぱり入れてあるんですけれども、外務省・JICAにおいては、社会開発分野の人材育成、体制整備に取り組むというふうに書かれておりますので、これがまだ実施をされていないと私は理解しておりますので、是非、これをやることによってNGOとの対話がずっと進みますので、今、外務省、在外公館へ行っても、相手の社会を見ている人っていないんですよ、NGOを見たりとか、貧困問題とか。こういう人たちがいると話がぐっと近寄ってきます。経済とか文化の担当者はいるんですけど、社会の担当者って外務省の中や在外公館にいらっしゃらないものですから、ここも是非改善していただきたい。
 それから、六の三は、いろいろ言っているんですけれども、NGOと外務省あるいは皆さんとの人材交流というのがもっとやられてほしいと書かれているんですけど、なかなか進まない。それから、資金提供の在り方をもっと幅広く柔軟にやっていただきたいということと、この六の五はなかなか実現しないでしょうけれども、私どもは、国際協力基本法とか国際協力省という形で、外交というのも全部外務省がやるわけではなくて、いろんな省庁がやるのと同じように、人道的な目的というものを遂げるための独自の、一定の独自性を持ったものをつくり上げていただくことによって外交の多様性、重厚性というのが実現するのではないかと思います。
 ちょっと延びまして申し訳ございませんでした。また、早口だったことをおわびいたします。ありがとうございました。
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、長参考人から御意見をお述べいただきます。長参考人。
○参考人(長有紀枝君) ありがとうございます。
 長と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 改めまして、本日は、こうした大変貴重なお席に私たちをお招きいただきまして、本当にありがとうございます。
 私は、御紹介にありましたように、難民を助ける会というNGOの理事長をしておりますが、こちらは、一九七九年にベトナム、ラオス、カンボジアからインドシナ難民の方々が日本に来たときに、困ったときはお互いさまという日本の古来の伝統を身近な人だけではなくて外の人たちにも見せていこうということでできた組織でございます。現在、緊急人道支援、難民支援に加えて、障害者の方の支援であったり地雷対策を行っております。また、大学では、そういった活動で見聞きしたことなども含め、人間の安全保障ですとかジェノサイドの予防などについて講義をしております。
 本日、私に与えられたお題といいますのが、国際社会で、海外でどのような関係がNGOと政府の間で築かれているのか、その部分を優先的にお話しするようにということですので、その御依頼に沿ったお話をしてまいります。
 まず、レジュメに沿って参りますけれども、冒頭で、国際社会の諸課題に関する主要な国際協力活動というのを、これJICAのホームページを参考にしまして出しました。こういった多様な部分に特に国際NGOが関わっているわけなのですが、大橋先生がおっしゃられたことと少し重なりますが、述べてまいりたいと思います。
 まず、物ですとかサービス、その中には人道支援ですとかリハビリテーション、様々なものが入るわけですが、そうした物やサービスの提供者、あるいは開発支援や平和構築の担い手として、こちらが先生方も、あるいは一般の日本の国民の方々もNGOに対して抱いているイメージではないかと思います。
 ただ、それだけではございませんで、国際公共財というとちょっと難しく聞こえてしまうかもしれませんが、条約や制度をつくる担い手にもなっています。例えば、藤田先生こちらにいらっしゃいますが、九七年にできました対人地雷の禁止条約を作る原動力となったのが、世界の百か国を超える国々のNGOの連合体の地雷禁止国際キャンペーンです。いろいろな安全保障につきましては御意見があると思うのですけれども、少なくともこのICBLでは、地雷を保有することによる国益よりも、地雷をなくすことによって得られる国益の方を重視した政府とともにこういった地雷禁止条約を作ってまいりました。この地雷禁止条約につきましては民主主義の成熟度を測る指標にもなっているんだというようなお話がありましたが、まさにそうした部分でNGOが働きかけてきたわけであります。
 同様に、クラスター弾の禁止条約、こちら二〇〇八年にできておりますが、これも世界各国のNGOと賛同する政府が共につくり上げたものです。また、ICC、国際刑事裁判所、これは日本が最大の資金の拠出国でございますけれども、こちらのICC、国際刑事裁判所設立のローマ規程を作るに当たっても、やはりNGOの連合体が大きな役割を果たしました。
 また、残念ながら、世界各地で人権侵害や国際人道法違反が起きているわけですが、そういったことを実際に現地でモニターしているのも国際協力のNGOです。特に、当該政府の人権侵害をその国の方々が声を上げられないときに、外から、外国のNGOがそれに対して、告発と言ってはちょっと物騒かもしれませんが、そうしたことを行うという活動もしております。
 また、オルタナティブな政策立案者というのも書きました。これはイギリスの国会議員の方がお話ししたことでもあるのですが、NGOは絶対自分たちに必要なんだと、なぜかというと、オルタナティブな、代わりの政策を示してくれるので、それがいいかどうかはまた別かもしれませんが、常に対案を見せてもらうことによって御自分たちの取った政策を様々な視点から測ることができると、そういった意味でオルタナティブな政策立案者としても大変貴重な存在だということをおっしゃられた方がおられます。
 また、国内の啓発やアドボカシー、さらには、NGOがそんなことするんですかと思われるかもしれませんが、紛争地で実際にその地に長くいる方たちが特定の政府などと連携して調停者の役割を果たすようなNGOもございます。
 そうした様々なNGOに対して主要ドナー国がどのように捉えているか、こちらを今日お持ちしました資料に基づいてお話をしてまいりたいと思います。経済協力開発機構、OECDの開発援助委員会、DACの統計資料から出したものです。
 まず、もう既に大橋先生から、日本のNGOが日本の財政の中にどれほどの規模を占めているかいないかというお話がございましたが、その続きでございます。DAC加盟国によるNGO向け又はNGOを通じた二国間のODAの比率を出したのがこの統計の一です。これを見ますと、日本がないんじゃないかと、右からずうっと下の方に行きますと、左から三つ目にジャパンというのがございまして、DACの二十九のメンバーのうち日本は二十七位です。
 でも、二十八位にフランスがいるではないか、やはり国際協力を中心的に行っている国がいるのではないかと思われるかもしれないのですが、フランスの場合は先生方も御承知のように寄附構造が大分違いまして、例えば世界有数のNGOであります国境なき医師団のフランスのファンドレイジング、資金調達の表などを見てみますと、政府からいただいているのは一千八百万円程度ですが、一般の皆様からの募金は百九億円、これはもう日本ではとても考えられないような額なのですが、一つの団体で百九億円もの募金を集めておられると。その結果、政府からの助成が少なくても世界有数のNGOとしてやっておられるというような傾向があるかと思います。もちろん、お金が得られたとしても国境なき医師団が政府からいただくかどうかは、こちらはまた別問題ではありますが、少なくともそういう現実があります。
 さらに、一番最後のギリシャは二十九位でございますが、こちらは御承知のように財政破綻をしている国ですので、そういったところから見ると日本は比率的には本当に一番下にいるという事実がございます。
 次のページに統計の二で示しましたが、こちらはNGO向け及びNGOを経由したODAの額で比べたものです。先ほどは、パーセンテージ、比率で二十七位と申しましたが、額的には十四位でございます。
 次のページに参りまして、NGOの類型別に見るODAの拠出割合ということなのですが、類型と申しますのは、NGOと一口に申しましても、その国、例えば日本生まれの日本のNGO、それから国際的に活躍されている、世界各地に支部であったり、支部という言い方が良くないかもしれませんが、拠点のある国際NGO、さらには途上国にあるNGO、こういったものを分けたときに、DACのメンバーは、途上国のNGOよりもドナー国や国際NGOにより多くの助成をしているという統計がこちらでございます。二〇一三年度の統計で、国際NGO及びドナー国のNGOに七・五倍も出していると。さらにもっと言うと、国際NGO、国籍が一つではないNGOよりも自分たちの国のNGOにより多く助成しているという状況がございます。
 同じページの統計四を見てみますと、これはNGOの今申し上げたような類型別に見るODAの拠出割合ですが、DACのメンバーの十か国がNGO向け資金の八割以上を自国のNGOに拠出しているという統計がございます。ここはもう明らかに政策的な意図があってそういうことをしているというふうに言えるかと思います。その典型例が、アメリカ、ドイツ、スペイン、フィンランド、ベルギーです。
 他方で、途上国のNGOが直接DACのメンバーの資金にアクセスする機会が限られてはいるのですが、多くのこういったDACのメンバーが自国のNGOに対して、お金は出すけれども必ず途上国のNGOと連携して活動してくださいよということを義務付けていると。ですので、途上国のNGOを完全に無視しているわけではなくて、必ず途上国のNGOのところにお金は行くのですが、自国のNGOを通じることによって自国の顔を見せるというようなことをされているという実態があるかと思います。
 次のページに参りまして、統計の五ですが、あっ、済みません、ちょっと一つ戻りますが、他方、日本は草の根資金などで直接途上国のNGOに支援も行っていると。これはある意味政策的には非常に優れたものもあると思いますので、一概的にどちらがいいということは言えないと思いますが、自国と途上国、直接どういうふうにするかというのは極めて政策的な面もあるということを改めて御指摘したいと思います。
 資料の統計の五に戻ります。こちらはNGO向け及びNGO経由の二国間援助の割合や比率でございます。
 これをちょっとより分かりやすくしたのが次のページのものでございまして、国別で、国際NGO、それから自国のNGO、それから途上国のNGOにどのようにお金を出しているか、二〇一一年、一二年、一三年というふうに経緯がたどれます。
 次のページにこちらのものを日本語にして計算し直したものが補足統計と出したものの一でございます。自国及びドナー国のNGO向けの実績額を順でいいますと、日本は十七位です。例えば、アメリカを見ますと自国のNGOに八二・三%、あるいはドイツも九五・六%ものNGO向け資金を自国のNGOに出していると。非常にそれぞれの国の考え方が表れるのではないかと思います。
 次のページに参りまして、補足統計の二でございます。同じデータを比率で比べました。比率で比べますと、日本は四四・三%で、二十五位になります。ただし、先ほど申し上げましたように、途上国向けでは、日本はポルトガルに次いで二位の三二・七%を途上国のNGOに出しているということでございます。
 また、次のページ、統計七ですが、NGOを通じた二国間援助の領域でどういったものが選ばれているかというものがこちらの表でございます。非常に多様なものであることがお分かりいただけるのではないかと思います。
 駆け足で統計を見てきましたけれども、まず、こういった国際NGOが今どのような課題を抱えているかということも触れておきたいと思います。
 まず、これは先ほど申し上げたような地雷の対策でもそうなのですが、非常に政策に関与を深めていると。今までそれは難民政策であったり環境問題だけであったりしたものが、特に地雷禁止の運動以降、安全保障の分野にも積極的に出るようになってきていると。そうしたことをする正統性とか説明責任ということが非常に問われる時代にもなってきます、一体誰の声を代弁しているのかと。そのためにも、NGO自身が、独自の意思決定の手段ですとか方法ですとか、そういったことをホームページなどで明らかにしています。
 それから、南のオーナーシップといいますか、北のNGO、いわゆる先進国のNGOが国際協力をすることの正統性はどこにあるのですかと。直接途上国のNGOを支援した方がよいのではないか、その方がより現地に裨益するのではないかと。日本政府の取っておられる行動の一つはそういうことだと思うのですが、先ほど御紹介しましたDACの資料を見ましても、南のオーナーシップ十分に認めつつも、自国のNGOを経由した支援を行っている。それは、この後に述べますそれぞれの国にとっての外交との関係から自国のNGOを通じたものをしているんだと思います。
 これも繰り返しになりますが、自国のNGOを通じると途上国のNGOを無視するのではないかということにならないように、あくまでも途上国のNGOと組んで活動することを義務付けながら、南のオーナーシップというものを担保しながら進めているというような現状があるかと思います。
 また、政府資金が多い場合、NGOとしての独立性とか自主性、こちらをどのように考えるのかということから、財源の多様性ですとか透明性、メディアや企業との関係なども大きな課題としてあるかと思います。
 特に、一般の皆様からの募金が潤沢に期待できる欧州の国々と異なりまして、日本の場合は、特に緊急人道支援の場合には政府からの支援金が非常に重要なものになってまいりますが、そうした場合の独立性をどのように考えるのかと。これは大変重要な問題ではありますけれども、政府のお金と申しましても、皆様、私も含め国民一人一人の税金から成っているお金であり、そういったものを途上国の支援に使うことに対しましては、そのために政府の意向を一〇〇%生かすような外交の一手段になってしまっているということではないというふうに思っております。
 それから、ポスト冷戦、ポスト九・一一以降、人道支援の分野に軍ですとか商業アクターが関与することが非常に多くなり、人道の原則や人道的空間が危機にさらされているというような意見もございます。また、先生方も御承知のように、高まる危険、紛争地や、それからISの問題などもございます。そういった地域の安全管理や危機管理が非常に大きな課題になっています。
 こうした現状がある中で、日本政府にとってNGOとの連携がどのような意味を持つのか、あるいは持つべきかということについて、最後、申し述べさせていただきたいと思います。
 私も、外交というのは、一義的には日本政府が担うものではありますが、決して一義的だけではなくて、多義的なもので、多様な主体があって初めて自国の安全というものが確保されるというふうに考えております。本日、こうした調査会に私どもをお招きいただきましたのも、先生方がそうした御意見を共有してくださっていることの証左であるというふうに考えております。
 NGOというアクターは、どの国にとってもなくてはならないものだと思います。私がここで声を大にしていろんなことを申し上げたいと思いますのは、必要不可欠なセクターでありながら日本の中では余りにもその地位が低い、弱過ぎること、これはひいては多様な外交を考える上で日本の弱点にもなりかねないというようなことがあるのではないかと思います。なくてはならない存在のNGOを強化することは、決して日本の国益を損なうものではなくて、一義的な国益ではない多様な国益というものを担保する重要な手段になるのではないかというふうに思っています。
 NGOを外交のアクターとしてどう捉えるかと。まさに、私たちは外交の一翼を担っているというふうに考えております。現地で私どもは日本人を実際に派遣しまして、現地の職員と一緒に活動をしているわけですが、日本という多くの場所にとって政治的にも利益の余り関係ないところ、利害のないところから届いた支援というのを非常に現地の方々は喜んでくださっており、日本というものを日本の製品以外で意識する非常に重要な場になっているかと思います。
 もちろん、援助を受ける側にとっては、それがどこの国であろうと援助が届けば一番いい、それはもちろんなのですけれども、同時にそこに外国、特に日本の顔や人が入るということで、自分たちは国際社会あるいは日本という国から見捨てられていないというと言葉が悪いかもしれませんが、私たちのことを考えてくれている人が見ず知らずの国にいるんだということを、実際に受益者の方たちから私たちはよく耳にしております。
 そういったことの積み重ね、非常に小さなことではありますけれども、それがひいては日本の国益に資しているというふうに強く感じております。
 お時間になりましたので、以上にいたします。ありがとうございます。
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、大西参考人から御意見をお述べいただきます。大西参考人。
○参考人(大西健丞君) では、時間も押していますので、早速始めたいと思いますが、大西健丞と申します。
 今日いただきましたタイトルで考えますと、多分、それぞれの社会の領域において、その領域を超えまして、お互いに協力してこういったグローバルな公益活動や国外の公益活動にどう当たれるのか、どういう仕組みをつくれるのかということだと思いましたので、卑近ではございますが、二十二、三年前に私がこの小さな業界に入っていろいろと体験してきたことを、物語風で大変失礼ではございますが、ちょっと二十年少々の歩みを御説明しながら、どこに障壁があり、どこで助けられ、どういったことが達成でき、どういったことが達成できなかったかということをお話ししたいと思います。では始めます。
 二十六歳のときに、学校を卒業させていただいた後に、こういった小さな日本のNGOでイラクで人道支援をされていましたところに見習として入れていただきました。当時、郵政省のボランティア貯金から二千万円ほど予算が付いておりましたが、紛争が激しくなりまして、イラクの中で、多くの人道支援家が撃ち殺されるという事態が発生しましたので、予算を返上するということになりました、その団体は。そのときに、私は経験ございませんでしたが、たまたま英国の大学院で現地を調査しておりましたので、返すぐらいなら素人でもやらさせていただけませんかということで、その団体に飛び入らさせていただきまして、給与はあるのかないのか怖くて聞けなかったんですが、やはりありませんでしたが、二年間、随分その二年間食うのに苦労いたしましたが、非常に有意義な経験を、紛争地帯、イラク中心にさせていただきました。
 その写真が、左の写真でございますが、小学校を建てるためになけなしの寄附金で地下を基礎を造るために掘ったところ、大量の遺体が出てまいりまして、サダム・フセイン政権が一九八八年に北部クルディスタンでエスニッククレンジングを行っておりましたので、その日、夜に連れていかれて射殺されて埋められた死体だということが、たった一人、ラミネートに包まれた身分証明書を持っておりましたのでそこから判明しまして、実はこの写真、左側に遺族が来て生前の写真を並べております。右側に実はBBCがおりまして、ちょうど安全地帯になりましたクルディスタンでそのサダムの非道をBBCに訴えかけているシーンです。
 左下が、これが私の事務所を襲いに来られましたゲリラの方々でして、実はたまたま覚えたてのクルド語で、しかも彼らの大ボスを存じ上げていましたので、クルド語で丁寧に、問題を起こすからやめた方がいいということで、実は三軒隣も襲った後に火を付けてこられた後だったんですけれども、何とかクルド語が通じましてお帰りいただいて、その後、その大ボスはイラク共和国大統領まで上り詰めましたけれども、そういった紛争地帯ならではの、夜盗同然の方が大統領まで上り詰めるという戦国時代みたいな状況でありました。
 さらに、二十万人の飲料水を賄う給水施設でございますが、そういった状況でしたので、アメリカ合衆国援助庁が余りに危険だということで資材を実質放り投げて撤退されましたので、それを全てかき集めまして計画中の上水道施設を完成させました。もちろん、この時期も銃撃戦とか砲撃とか、もちろん地雷はいつでもありましたが、いろんなものの危険に囲まれて、今考えると死んでいてもおかしくないケースはたくさんありましたけれども、幸いにして生き残ることができました。
 最後に、最初のページのこの立派な病院は、日本政府の御支持を得まして、化学兵器で一九八八年に五千人がたった一日で殺されました、特にサリンとマスタードのカクテルを落とされた町でして、我々が行った頃は土壌汚染のために、特にマスタードの被害で遺伝子障害を持った子供がたくさん生まれておりまして、母子の病院がなかったというか、診療所すらまともに機能していなかったんですが、そこに日本政府の御支援をいただき、初めて、国連経由ではありましたけれども、WHO経由で随分中抜きされてしまいましたが、後で申し上げますけれども、こういった形で病院を建てられました。これは単体ではまず無理だった話です。
 次、お願いします。そうこうするうちに、コソボ、東ティモールで九九年に緊急人道支援が必要な大規模な難民が発生する事態が起こりました。我々、何とか一億円ほどの団体に成長しつつあったんですが、普通の一般の方々からの寄附でして、ただ、それを二つに分けると大したことができませんでした。
 お願いしましたのは、まず神戸市に仮設が、ちょうど神戸の被災をされてから四、五年たっておりましたので、それを無償でいただきまして、五百一戸を高速コンテナ船で冬が来る前にコソボに運ばせていただきました。それを、ネズミ返しとか、それから、雪が降って重くなったときのための強化とかいろんなことをしまして設置をしました。
 ティモールでは、国連の難民高等弁務官事務所と契約を初めてさせていただきまして、これはイラクでの活動が評価されていたのでスムーズに契約をさせていただきました。当時、日本のNGOで国連と普通に契約を取れるというケースはほとんどなかったので、まだ画期的な話でありました。
 ですが、我々はこのとき焼け石に水だというふうに非常にじくじたる思いを持っておりました。当時、日本は世界でODAが一番だというふうに外務省はおっしゃっておられましたけれども、紛争地帯に直接投入できる緊急援助用の資金が実質存在しませんでした。国連等には資金を提供するということはありましたけれども、やはり自国のNGO、それから海外のNGO、現地のNGO含めて、当時は一銭も資金が緊急事態でNGO側に回るということはございませんでしたし、企業社会に緊急事態で回るということも全くございませんでした。
 三十になるかならないかの青年が、いい家に生まれついたわけでもございませんでしたのでコネクションもなく資産もなく、どうやって日本として紛争地帯の中でより良きコミットメントを行う仕組みがつくれるのかという自問が現場で常に起こりました。砂をかむような思いも何回もいたしましたが、ついに、そういった中で、まず企業社会の方々に訴えかけ、有名な企業のオーナーの方々がちょうど戦中派の方々でして、九十九里でざんごうを掘っていて、もし米軍が上陸していたら俺はそこで戦死していたとか、グラマンに掃射されて死にかけたとか、そういった経験をお持ちの企業経営者の方、創業者の方が多かったので、紛争地の話を、私どもがうそをついていないということをすぐ見抜いていただきまして、ならば支援しようということでいろいろ御支援をいただき、御紹介をいただき、コネクションがなかった若造が、経団連会長も含めていろんなところを御紹介いただいて、まず企業社会に御説明をし、納得していただくということで成功しました。
 その次に、財務省主計官がお電話をされてこられまして、外務省ではなくて財務省、当時大蔵省と申しましたけど、がこの話面白いのでどうにかならないかということを逆に主計局から御提案をいただきました。これはもう非常にチャンスだということで、日経新聞にもお手伝いをいただきつつ、外務省、それから、当時通産省も実は交渉しましたけれども、政府の方々との交渉を経て、市民社会であるNGOを企業社会、政府のクロスセクター、つまり、社会的領域を超えて協力し合って、マネープールを保持しつつ、緊急のときには速攻で対応できるようにする。なおかつ、資金切れが起こらないように政府も企業社会も一般の方々からも御支援をいただくという仕組みを、いわゆるコレクティブで、集団安全保障ではございませんが、集団で、単体では不可能なことは集団でやるということで二〇〇〇年に訴えかけまして、たった半年ほどで了解を取り付けることができまして、一年以内に発足させることができました。これは本当に、当時の行政の方々、それから企業社会の方々、NGOの熱意、さらに政治でもたくさん応援していただいた方がおられましたのでこんなに短い期間の間にこういうものができたと思います。その後、十五年間で四百億円以上、現在はもう五百億円に近づいておりますが、官民の資金がここを流れて、日本のNGOが現地で使うということが起こります。
 次のページお願いします。
 実は、九・一一の二か月前にこういった仕組みをつくっていただきましたので、今まで不可能だった難事にチャレンジしようではないかということで、アフガニスタン、タリバーン政権下のアフガニスタンを選びます。当時、人道危機も実は併発しておりまして、余り戦争前は外に情報が出てこなかったんですが、基本的に国連も欧米のNGOもたたき出されておりましたので、非常に避難民の方々、難民の方々、困窮されておられました。この写真は、その地域のタリバーンが管理していた避難民、難民のキャンプです。アップはテントのズームアップですけれども、基本的にぼろぼろになったじゅうたんとかでテントを造っていて、これは夏の風景ですけれども、冬はブリザードコンディションになりますのでたくさん子供から先に死んでいくという状況で、夏でも汚染された水で赤痢とかその他の鞭毛虫とか、単純な病気でも脱水症状を起こして子供から先に亡くなっていくという状況がたくさんありました。タリバーンも座視していたわけではなくて、彼らなりに真剣に取り組んではいたんですが、まあああいう状態でしたので非常に孤立をしておりました。
 もっといろいろ大変だったのは、写真撮るのも禁止だったんですけれども、実はこれ、ひそかにタリバーンの将校と交渉して、撮らせてくれと、でないと日本で理解されないということを言ったら、俺は許可は出せないけれども、向こうを向いている間に撮れということになりまして撮った写真になります。
 その後、援助が始まらんとしているときに、我々も余り想定しておりませんでしたが、次のページの米同時テロが起こってしまいまして、しばらくの間、一か月ほどはフリーズではございましたが、できるだけ早くその人道危機に対応するために、ジャパン・プラットフォームとして九つの日本のNGOに助成を決めました。
 そのうちの一つ、私が責任者をやっておりましたピースウィンズ・ジャパンは、ヒンドゥークシュ山脈という六千メーター、もうほぼ七千メーターの山々を越えていくロジスティクスを担いまして、テントから始まって、毛布、食料、その他を、約四割をパキスタンから、ウクライナからチャーターしてきた当時最大だった輸送機を借りましてトルクメニスタンまで飛ばし、そこから北部のアフガニスタンまでトラック輸送しました。さらに、六割はサラン峠というアレキサンダー大王が越えられなかった峠を冬に越えるという命題をいただきまして、何台かトラックを失いましたが、崖から落ちたり、まあ我々の場合は対戦車地雷ではなくて対人地雷を踏んだので軽い破損で済みましたけれども、対戦車地雷を踏むと運転手ごとばらばらになりますので非常に幸運ではありましたけれども、何台か失ったことはありましたが、人命を失うことはなく軽傷で済んだので、何とかその四千二百メーターのサラン峠を何百台というトラックを通しまして、北部の人道援助に駆け付けることができました。それが次の写真で、さっきの同じ場所、ぼろぼろのテントがあった場所が新品のテントと食料と医薬品とその他必要なものをほぼ全て満たした形で、たった一か月で非常に難しいミッションが完了しました。
 これは単体であります我々NGOではまず不可能でした。こういったジャパン・プラットフォームという基盤があってこそ我々を応援していただきまして、それはもう市民社会からも企業社会からも政府からも応援していただきまして、こういったことが短期間でなし得た。これは一年前にはなし得ませんでした。コソボのときには我々を含めて数団体しか、隣にお座りの団体ぐらいしか見受けられずに、しかも我々を含めて不完全な支援しかできなかった、焼け石に水という状態でした、先ほど御説明したように。でも、国際的に見て余り劣らない援助を欧米の援助より早く展開しておりましたので、そういった意味では、こういったイノベーションが非常に役立ったケースだというふうに思います。
 次のページをお願いします。
 最近のプログラムですが、先ほど御説明しましたように、もう五百億円に近づいておりますが、千二百事業を既に人道支援として展開をしておりまして、日本のNGOも最初十五団体、本当は十団体ぐらいでスタートだったんですが、本当にできるのかいなというお話もあってなかなか信じていただけなかったんですが、今は四十六団体加盟しておりまして、こういった形で日本の内部の大規模災害にも対応するという形でいろいろと動いております。
 次、お願いします。
 ちょっとこれは課題でございますが、実は私、創業のときから四年ほど代表を務めさせていただきましたが、残念ながら、ほとんどの政治家の方には御理解をいただきましたが、一部御理解をいただけなかった方がおられまして衝突してしまいましたので、私も責任を取って第一期で辞めることになりました。その結果といってはおこがましいですが、我々が目的にしておりました企業社会、一般の方の巻き込みというのが非常に不足しております。ですので、東日本の頃には自発的に七十一億円という大金を短期間に一般の方々から御支援をいただいたんですけれども、まだまだここは改善の余地があるかなと。
 政府は比較的頑張って拠出をしていただいていますが、ただ先進国の例から見ると、他の、先ほど長さんの御説明にもありましたように、今日本の無償資金一千六百億円ありますが、その百億円程度がNGOというのは少し少ないかなというふうに、あえて僣越ながら申し上げたいと思います。
 さらに、次の話は、同時に国内の大規模災害への対応です。
 実は、ジャパン・プラットフォーム定款ではこういった日本の大規模災害もできるということになっていたんですけれども、元々海外のという話が多かったので、私ども参加NGOとしてはジャパン・プラットフォームが確実に国内の大規模災害に対応するかどうかということは分かりませんでしたので、あえて少し小さいバージョンの国内版プラットフォームをシビックフォースという名前を付けてつくらせていただいておりました。二〇〇九年にできます。ヘリ会社と優先契約を結びまして、陸の孤島化した場所にいち早く調査と必要物資と人員を送れるようにということで、四機、五機動員できる体制に実は二〇〇九年からしておりました。
 それが多少ワークしまして、あと企業社会も国内ということで別々にアライアンスを結ばせていただきまして、大手の輸送会社さんは最初はやると言っていただいていたんですけれども、国交省さんに押さえられてしまいましたので、泣く泣く社長さんからできないという涙の電話をいただきましたが、我々も紛争地帯でバックアッププランというものを常に持ちますので、引っ越し屋さんは経産省のマンデートということは承知しておりましたので、引っ越し屋さんにもお話をしておりました。このとき、東日本のときに四トントラック百六十台分と書いてある、もう少し多かったんですが、これを毎日十台以上提供していただきまして、企業千社以上の方々から無償で物資を提供していただきました。さらに、資金も三十六億円ほど、短期間で一般の方々、企業の方々から提供されまして、コンビニエンスストアも含めて募金をしていただき、奨学金も含めて支援が可能になりました。さらに、気仙沼湾でトモダチ作戦の後に大型の物資を輸送できずにいた離島、大島に対して、瀬戸内海からモスボールされておりましたフェリーを一年間の燃料と運航費と保険代と船検費を付けて無償貸与いたしまして、地元の船会社に、で、一年間こちらの費用で運航させていただきました。それも全て一般の方々の寄附です。一〇〇%一般の方々の寄附です。
 そういったものを、もう終わりますが、クロスセクターでそういった非常事態に対応する仕組みを今ジャパン・プラットフォームモデルとして海外に御紹介をいたしておりまして、韓国、フィリピン、インドネシア、スリランカ、バングラデシュが正式加盟国として、新しい形の国際的な構築物として、英語で申しますと、インターナショナルアーキテクチャーとして今、日本のイニシアチブの中でつくろうとして、外務省からも拠出金をいただいております。
 実はもう韓国の企業、最近話題のサムソンも含めて、サムソングループからも実は寄附をいただいていたりしておりまして、あとインドネシアの企業からも寄附をいただいていますし、スリランカの商工会議所は、商工会議所四つありますが、全て参加してくださっていて、寄附もいただいているし、物資の提供もいただいております。
 アジア中にこういったクロスセクターの仕組みを広げていくことをやっておりまして、日本発の、十九世紀型でない、国連のようでない、ビューロクラシーに頼らない新しいインターナショナルアーキテクチャーの構築のイニシアチブに貢献できたらというふうに思って、残りの人生を懸けたいというふうに思っております。
 ありがとうございました。
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより質疑を行います。
 本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、原則として私の指名を受けてから着席のまま御発言くださいますことをお願いを申し上げたいと思います。
 まず、大会派順に各会派一名ずつ指名をさせていただき、その後は、会派にかかわらず御発言をいただきたいと存じております。
 委員の一回の発言時間は答弁も含めまして十分以内になるようにお願いし、また、その都度答弁をしていただく参考人の方の御氏名を明示していただきますように御協力のほどお願いを申し上げます。
 それでは、質疑のある方は挙手願います。
○会長(鴻池祥肇君) 藤田幸久君。
○藤田幸久君 今日は、三人の方々、ありがとうございました。
 大西さんは何か今日、余り本当のことを、一番言いたいことをおっしゃらなかったのかなという気がしているんで、ちょっと済みません、取りあえずほかの二人に質問させていただきたいと思います。
 長さんがおっしゃった、やっぱり多様な外交上、NPO、NGOの関わりというのは国益を担保するために重要だと、その観点から、主に長さんと大橋先生にお聞きしたいと思います。それは、一つは予算と、それから外務省の体制の問題、それから議会、政党の関わりという観点からです。
 まず予算からいいまして、例えば草の根援助がそうなんですが、基本的にハードの援助の体系になっているので、例えば戦略的なこと、例えば宗教、紛争解決の受皿がないんです。これがまず一つじゃないかというのが一つ。
 それからもう一つは、この間もアメリカの国務省へ行ってきたんですが、例えば紛争解決の部署があるんです。あるいは宗教の自由を守る部署とか。部長クラスです。日本にないんです。多分それは欧米にはあるんだろうと思うんです。その予算の関係、外務省の部署の関係についてが二つ。
 それから、議会と政党で、昨日、エーベルト財団の五十周年ってあったんですが、やっぱり欧米は議会とか政党のシンクタンクがNGOと一緒に紛争解決、仲介等やっています。それが三つ目の観点かなと思うんです。
 それで、じゃ、まず大橋先生に伺ってその幾つか答えていただいて、答えていない部分を長さんにという形であればダブらないと思いますので、大橋先生から。十分なので、端的にお答えをお願いいたします。
○会長(鴻池祥肇君) はい、お願いします。
○参考人(大橋正明君) ありがとうございます。
 草の根援助の問題というのは、まさに先ほど申し上げたように、外務省が直接取り扱っているんですね、在外公館が現地のNPOに対して。大使館の方は優秀な方ですけれども、どこにトイレがあるべきかとかスラムはどうしてあるのかということについては必ずしも専門家ではないわけで、それは私たちのような者が専門家だし、JICAの一部にはそういう方たちがいらっしゃる。先ほど私のプレゼンテーションの中で、社会開発の専門家というものを外務省やJICAにもっと入れていかないと相手の社会の顔が見えてこないということを申し上げたと思います。
 多分、体制的に、さっき、今、藤田先生がおっしゃったような宗教とか紛争というものまで分化する以前に、まずそういう社会的なものに目を向けるということが重要なんだと思うんです。そこから更にそういうふうに発展させるべきだと思うんですけど、日本の場合は全般的に、いい意味でも悪い意味でも経済の成長というものを優先していくというところ、あるいは下手すると最近は日本の企業のというところを優先してしまうので、やっぱり現地の社会がどうなっていて、どういう社会問題を抱えていて、それを多分一方的に援助したらまた大きな問題になってしまうと思うので、そういう目を持った人たちがきめ細かな援助をできるというようなことをやらないと、このままじゃまずいなというふうに感じておりますので、是非そういう方向で考えていただきたいというふうに思っております。
 それから、やっぱり現地のNGOと話しておりますと、やっぱり欧米系、特にヨーロッパ系が多いんですけれども、やっぱりいろんな政党や議員との関わりの中でこういうまたプロジェクトができているという話はしばしば耳にします。えっ、どうしてそんなことができるのと聞くと、やっぱりそういうふうな議会の、政党がつくったような財団、今先生もおっしゃいましたけれども、の支援でこういうプロジェクトができているんだということがしばしばあって、なるほど、そういう視点の中からまたいろんなものが出てくる。
 やっぱり、繰り返しますけど、私の場合は、いろんな多面性というものが出てこなくちゃいけないし、今ODAが、どちらかといえば、私が基本法と申し上げたのは、議員の先生方が関わってくださる土台みたいなものができてこないといけなくて、これを国民的な議論としてODAがどうあるべきか、そのときに、一つの、一枚岩ではなくいろんな多様性のものを講ずるためには、まさに議員とか政党がどう関わってくるかということは、現地の社会も同じように複雑なわけですから、そのための受け口として極めて重要だと思っております。
 以上です。
○参考人(長有紀枝君) 藤田先生、ありがとうございます。
 今御指摘いただいた点なのですが、外務省のこのODAなどに関わる部分の体制が、やはり外務省自体の予算の関係もあり、やはり十分とは言えないような部分があるのではないかと拝察しております。
 そう思ったときに、巡り巡って私たちNGOの役割なのですけれども、日本人、選挙民といいますか、納税者一人一人にこうした国際協力の必要性などを訴え続けることでこういった面に国の財政の一部が使われることを国民の方たち一人一人が理解して初めてできるという部分があるのではないかと思います。その意味でも、私たちの活動というのは、海外での活動と同時に、日本の納税者の方々に国際協力の必要性、あるいはその重要性であったり、広い意味での日本の国益にどう資しているかということをお話しすることによってこういった部分の予算が増えれば、御指摘いただいたような点の解決にもつながるのではないかと思います。
 その意味でも私たちの活動というのは非常に重要だと思いますし、国内での啓発活動につきましてはどこからも助成金は出ませんので、NGOが皆自己資金でやっている活動でございます。
○藤田幸久君 それで、長さんの難民を助ける会、あるいは大西さんもそうですが、最初は人道援助から始まっているんです。だけれども、結局、緒方貞子さんもおっしゃるように、これ紛争の根っこを解決しなければ現象としての人道援助もできないということで、紛争解決等まで関わるようになって、法律の改正まで関わってこられた。というのは、実は議会というのもある意味では法律を作るところで、最終的に落としどころを議会も行政府に対して提言していかなければいけない。となると、やっぱり議会とNGOがそのチェック機能を発揮することによって出口を探さなければいけない、出口の部分で協力できる部分が非常に大きくなってきているんだろうと思うんですけれども。
 その意味で、今出口を見た場合に、長さんがその紛争の解決まで予防外交も含めてとおっしゃった場合に、どういうふうにしたらその議会なりも含めて、あるいは国民の世論も含めて、NPOがその出口の部分まで活躍できるようになるかについて、お考えがあればおっしゃっていただきたいと思います。
○参考人(長有紀枝君) それも私どもの自己資金なりでできれば一番なのですが、まだそこまでできるほど各NGOの力が強くはないです。
 その意味では、政府の助成金なりを、先ほどの、ハードの部分が中心というお話がございました。もちろん、今は大分それが広がってきてはおりますけれども、紛争解決そのものに資するような助成の仕組みであったりとか、今も相当柔軟になってきてはおりますが、より柔軟な仕組みをつくっていただくことを特に参議院の先生方と一緒にできればということを思っております。
○藤田幸久君 大西さん、今日は、おっしゃりたくなかった、あるいは控えている部分も含めて。
 実際には二〇〇九年にコソボで動かしました、財務省も経産省も含めて。で、細田先生とか作りました、プラットフォーム、緊急援助。だけど、その段階に比べて、今はもうちょっといろいろ展開しなきゃいけない部分があるんだろうと思うんですけれども、政府なり議会に対してこれは言っておきたいということがあればおっしゃっていただきたいと思います。
○参考人(大西健丞君) 実は、二〇〇〇年のタリバーンとの交渉も、麻薬を生産することを政策として推さなければアメリカ国務省が別のインセンティブを示すと言っていたので、実はアメリカ国務省とタリバーンとの間の仲介をトライしておりました。残念ながら九・一一で全て崩壊しました。
 さらに、先ほどイラクの大統領と申しましたが、彼が、タラバーニーという人間ですけれども、彼が大統領になる前に、イラクの中の党派抗争というのも予想されましたので、クルド人のボスに近い人間を日本政府に紹介しつつ、シーア派のバグダッド政府との間に日本政府がコンフリクトレゾリューション若しくはコンフリクトマネジメントのエンドーサーとして入れるということを期待して、亡くなられた二外交官を実は大統領の秘書官に事前調査として紹介をして、その行く途上で亡くなられました。実は、あのときの発表と少し違う事実がございますが、本当はそういった紛争解決の努力をみんなでやっておりまして、実はそこに全く予算がなかったので、外務省としても、奥さん、井ノ上さん、亡くなられた方々は非常に苦労されていました。我々よりひどい装備で頑張っておられました。我々も自己資金を使ってやっておりました。
 ですから、そういったところに議会として予算を付けて、コンフィデンシャリティーが必要な交渉ですので、是非少数の議員の方に理解をしていただいて後押ししていただくという作業が非常に重要かというふうに思います。
○藤田幸久君 これは会長にもお願いでございますが、やはり議会、立法府が外交政策に対して関与する度合いが欧米が非常に機能的にやっていると思っておりまして、会長の下でこういう調査会をやっていただいておりますので、今日いただいた提案も含めて、是非、議会としての関わり方が国益、あるいは多様的な外交、機能的な外交で重要であるという点を是非酌み取っていただいて更に調査を進めていただきますと、今、中山先生もうなずいておられますが、有り難いと思いますので御提案を申し上げたいと思います。
○会長(鴻池祥肇君) ただいまの藤田君の御提案につきましては、また後に理事相寄りまして、前向きに相談したいと思います。
○藤田幸久君 時間が参りました。三名の皆さん、ありがとうございました。