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【月刊マスコミ市民】歴史問題に対照的な安倍首相と天皇陛下2016年02月01日

「歴史問題に対照的な安倍首相と天皇陛下」
藤田幸久(参議院議員、元財務副大臣)
安倍首相が昨年8月14日に戦後70年談話を発表した直後、外務省は村山富一首相による戦後50年と小泉純一郎首相による戦後60年の談話に基づくホームページ(HP)「歴史問題Q&A」を削除した。そして、その箇所は、集団的自衛権行使を含む安全保障関連法案が、世論の反対を押し切って参議院で強行採決された直前の9月18日の夜に内容が変更されて更新された。 この更新されたHPを見れば、安倍首相の歴史認識に関する修正主義的立場を抑えて書かれた談話が、安全保障関連法案を通過させための意図であったことは明らかである。日本による過去の植民地支配と侵略という表現を避けることによって、談話は、日本がこうしたことを犯したという事実を認めたくはないという安倍首相の本音を隠している。 例えば「先の大戦に関する歴史を日本政府はどう認識するか?」という質問に対して、削除前は「過去において日本は植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」、「私は痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを表します」などと明確に村山談話の認識が明記されていた。 しかし、更新後は、村山談話と小泉談話の両方は明記されているが、安倍首相によるとされる談話には安倍という名前は記されていない。「2015年8月14日、内閣は戦後70年の内閣総理大臣による談話を閣議決定しました」と記され、その後に三人の首相の談話のリンクが掲載されているだけである。 削除されたホームページでは、村山談話や小泉談話に含まれる植民地支配や侵略に対する痛切なる反省と心からのお詫びのメッセージが、直接的に表現されていた。 しかし、更新後の内容はそれとは異なり、安倍首相の立場を以下のように婉曲的に説明している。「戦争によって損害を受けたアジア諸国に対して日本は公式謝罪をしていないのですか」という質問に対して、「2015年の内閣総理大臣談話の中で明確にしましたように、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、村山談話や小泉談話に表されたように歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものであり、今後も引き継いでいきます」記されてある。  問題は安倍談話にも外務省のホームページにも、安倍首相の一人称の主語による決意や記述が見られないことである。これは、自らの主語で「痛切な反省」や「心からのお詫び」を述べた村山談話や小泉談話と極めて対照的である。 この点に関して、談話に関する首相の私的な有識者懇談会の北岡伸一座長代理は、「『日本は確かに侵略した。こういうことを繰り返してはいけない』と一人称でできれば言ってほしかった」と述べている。 また、村山首相と小泉首相が談話で用いた4つのキーワードのうち、侵略と植民地支配という言葉は、「事変、侵略、戦争。(略)私達は国際紛争解決の手段としての脅威や武力としては二度と用いない。」、「(略)私達は植民地支配から永遠に決別し、世界中の全ての民族の自決権を尊重する」と挿入されている。首相官邸による安倍談話の英訳には「We」(私達)という主語が入っているが、日本語のオリジナルには「私達」という主語はない。従って、英訳の「We」(私達)が日本を意味するのか、それとも一般論を示しているのかは定かでない。   安倍談話には「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気つけました」とある。有識者懇談会の提案を生かした文であるが、他方、同じ提案にある「結果としてアジアにおける(西側の)植民地からの独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない」という文は盛り込まれていない。つまり、安倍首相は有識者懇談会の都合のよい部分を我田引水的に抜き出したと言える。 他にも言行不一致が散見される。戦争捕虜との和解が述べられているが、米国の元捕虜が日本企業を戦時中の強制労働で提訴したことへの反発から、日本政府はイギリス、オランダ、オーストラリア三国の元捕虜のみを日本に招きながら、米国元捕虜は長年排除してきた。私を含む超党派の議員連盟と民間の支援団体などの動きで、政府が米国の元捕虜を招聘し始めたのは戦後64年目の2009年になってからであった。 他方、8月15日の戦後70年の全国戦没者追悼式において述べられた天皇陛下のお言葉は、安倍談話とは極めて対照的である。戦没者追悼式としては初めて「さきの大戦に対する深い反省の念を抱き」というお言葉を使われた。1992年の訪中や1994年の金泳三韓国大統領に対する宮中晩餐会に続く深い意味のあるお言葉である。また「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」というお言葉は、日本は戦争をしない国であり続けたいという国民の気持ちを裏打ちされたものと言われる。陛下のお言葉は、戦後50年、60年、昨年と広島、長崎、沖縄、サイパン、ペリリュー島などを慰霊された昭和天皇や今上天皇の言葉と行動を改めて強調するものであった。しかも宮内庁による英訳では、全ての文の主語は「I」、一人称の私であり、陛下ご自身の思いであることがより明確である。 70年談話について、フランスのルモンド紙は「真の後悔より表面的な平和論に重きを置いた」と評した。天皇陛下のお言葉をニューヨーク・タイムズは「安倍首相の政策に対する静かな反対との見方が強まる」と評した。元米国外交官でワシントンのジョン・ホプキンス大学東アジア研究所長のケント・カルダー教授は「首相官邸の外交的計算は短期的には巧妙には働いても、動詞と目的語ばかりが多く、主語と責任継承が明確でない歴史に関するレトリックは、長期的にはどんな影響を及ぼすのだろう」と問題提起した。 英霊の御霊を慰霊し、戦没者を追悼され、真摯を極める陛下のお言葉は「心にしみました」と戦没者追悼式に参列したご遺族の一人は語った。 安倍首相が彼の談話への信頼を内外から獲得したいならば、談話の各文の主語や侵略と植民地支配に関する日本の責任を明らかにし、戦争関連の諸課題に対する安倍内閣の立場が歴代内閣と整合性があることを言葉と行動の両方で示すことである。 談話において安倍首相は、「私たちの子供や、孫や、その先々の世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。しかし、誰がおわびし、誰が侵略や植民地支配の責任を取るのかが明確でない限り、安倍首相には謝罪の意思がないと見られてしまう。また表面的な言葉と具体的な行動との間に不一致がある限り、そのツケを支払わされるのは先々の世代の子どもたちである。加えて、中国などは、先の大戦を主導した軍部や政治指導者に対しては戦争責任を求めているが、日本国民は軍部のもとで苦しんだ被害者として区別しており謝罪は求めていない。安倍首相は子供や孫たちが謝罪を続る宿命という視点を持ち出すことによって自らの謝罪責任を回避しているように思える。 そんな中、年末の日韓外相会談で、慰安婦問題に関する「最終的かつ不可逆的」解決が合意された。韓国政府が設立する財団に日本の政府予算から10億円を拠出することは、かつてのアジア女性基金のように政府の責任を回避したやり方とは異なり評価したい。しかし、慰安婦の人々の声を充分聞くことなく政治決着してしまったやり方は、ことの本質に反するやり方である。安倍談話で「(戦時下、尊厳や名誉が深く傷つけられた多くの)女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」と述べていることにも明らかに矛盾している。和解には、声明やお金以上にプロセスと被害者の立場の尊重が最も重要である。 この点では、韓国の歴代大統領が一度も慰安婦の人々と直接会っていないという事実も指摘しておきたい。私はこの点を韓国の政府、議会関係者に度々指摘し、韓国の政府としても慰安婦の人々に寄り添った支援のあり方への知恵を出してほしいと要望してきた。私自身は2014年夏、ソウルで元慰安婦の方々の暮らす施設を訪問し、直接対話した。金福童(キム・ボクドン)さんは当時88歳で、10代半ばから約8年間、台湾、中国、スマトラ、シンガポールで、「慰安婦」をしなければならなかった、と体験を語ってくれた。政府間合意に魂をいれた実行の道を探ってほしい。  そんな中、桜田義孝元副文部科学大臣が、自民党内の会議で、慰安婦に関して「(1950年代に)売春防止法が施行されるまでは職業としての娼婦(しょうふ)だ。ビジネスだ。これを犠牲者のような宣伝工作に惑わされ過ぎている」と発言した。こうした言動が与党関係者から続く限り、「不可逆的解決」はあり得ないし、それを韓国側に求めることもできない。 戦後70年を過ぎた今も、戦後に関する残された様々な課題は多い。それらの課題を具体的に取り組むことこそ、先の世代の子どもたちを負担感から解放する道である。政府は元捕虜、慰安婦、シベリア抑留者、残留孤児と養父母、在外被爆者、元BC級戦犯などへの支援活動に真摯に対応すべきである。法的解決だけではない、道義的、政治的、そして被害者の気持ちを癒す解決を目指すことである。 天皇陛下は今年もフィリピンに慰霊の訪問をされるとのことである。陛下御自身が行動で示される各国国民との和解の活動と思いを、私達国民も様々な立場で取り組むべきである。