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【ジャパン・タイムズ】歴史問題に対照的な安倍政権と天皇陛下(和訳)2015年10月16日

ジャパン・タイムズに記事が掲載されました。 和訳文も掲載しています。

2015.10.16 「ジャパン・タイムズ」

THE JAPAN TIMES FRIDAY,APRIL 17,2015

(ジャパン・タイムズ、仮訳)

「歴史問題に対照的な安倍政権と天皇陛下」

元財務副大臣 参議院議員 藤田幸久

安倍首相が8月14日に戦後70年談話を発表した直後、外務省は村山富市首相による戦後50年と小泉純一郎首相による戦後60年の談話に基づくホームページ(HP)「歴史問題Q&A」を削除した。そして、その箇所は、集団的自衛権行使を含む、物議をかもした安全保障関連法案が参議院で強行採決された直前の9月18日の夜に内容が変更されて更新された。 この更新されたHPを見れば、安倍首相の戦争関連の歴史認識に関する修正主義的立場を抑えて書かれた談話が、安全保障関連法案を通過させための意図であったことが明らかである。日本による過去の植民地支配と侵略という表現を避けることによって、談話は、日本がこうしたことを犯したという事実を認めたくはないという安倍首相の本音を隠している。 例えば「先の大戦に関する歴史を日本政府はどう認識するか?」に関して、削除前は「過去において日本は植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」、「私は痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを表します」などと明確に村山談話の認識が明記されていた。 しかし、更新後は、(英訳は今翻訳中とのことだが) 村山談話と小泉談話とは明記されているが、安倍首相によるとされる談話には安倍という名前は記されていない。「2015年8月14日、内閣は戦後70年の内閣総理大臣による談話を閣議決定しました」と記され、その後に三人の首相の談話のリンクが掲載されているだけである。 削除されたホームページは、村山談話や小泉談話に含まれる植民地支配や侵略に対する痛切なる反省と心からのお詫びのメッセージが、直接的に表現されていた。 しかし、新たな内容はそれとは異なり、安倍首相の立場を婉曲的に説明している。「戦争によって損害を受けたアジア諸国に対して日本は公式謝罪をしていないのですか」という質問に対して、「2015年の内閣総理大臣談話の中で明確にしましたように、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、村山談話や小泉談話に表されたように歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものであり、今後も引き継いでいきます。」とある。   しかし、問題は安倍談話にも外務省のホームページにも、安倍首相の一人称の主語による決意や記述が見られないことである。これは、自らの主語で「痛切な反省」や「心からのお詫び」を述べた村山談話や小泉談話と極めて対照的である。 安倍談話に関して、談話に関する首相の私的な有識者懇談会の北岡伸一座長代理自身は、「『日本は確かに侵略した。こういうことを繰り返してはいけない』と一人称でできれば言ってほしかった」と述べている。 また、村山首相と小泉首相が談話で用いた4つのキーワードのうち、侵略と植民地支配という言葉も、「事変、侵略、戦争。(略)私達は国際紛争解決の手段としての脅威や武力としては二度と用いない。」、「(略)私達は植民地支配から永遠に決別し、世界中の全ての民族の自決権を尊重する」と談話に挿入されている。この首相官邸の英訳には「私達」(We)という主語が入ってあるが、日本語のオリジナルには「私達」という主語はない。従って、英訳の「私達」(We)が日本を意味するのか、それとも一般論を示しているのかは定かでない。 安倍談話には「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気つけました」とある。有識者懇談会の提案を生かした文であるが、他方、同じ懇談会の「結果としてアジアにおける(西側の)植民地からの独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない」という文は盛り込まれていない。安倍首相は有識者懇談会の都合のよい部分を我田引水的に抜き出したと言える。 他にも言行不一致が散見される。欧米の戦争捕虜との和解が述べられているが、米国の元捕虜が日本企業を戦時中の強制労働で提訴したことへの反発から、日本政府は英、蘭、豪三国の元捕虜のみを日本に招きながら、米国元捕虜は長年排除してきた。私を含む超党派の議員連盟と民間の支援団体などの動きで、政府が米国の元捕虜を招聘し始めたのは戦後64年目の2009年になってからであった。 8月15日の戦後70年の全国戦没者追悼式において述べられた天皇陛下のお言葉は、安倍談話とは極めて対照的である。戦没者追悼式としては初めて「さきの大戦に対する深い反省の念を抱き」というお言葉を使われた。1992年の訪中や1994年の金泳三韓国大統領への宮中晩餐会に続く深く意味のあるお言葉である。また「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」というお言葉は、日本は戦争をしない国であり続けたいという国民の気持ちを裏打ちされたものと言われる。陛下のお言葉は、戦後50年、60年、本年と広島、長崎、沖縄、サイパン、ペリリュー島などを慰霊された昭和天皇や今上天皇の言葉と行動を改めて強調するものであった。しかも宮内庁による英訳では、全ての文の主語は「I」、一人称のであり、陛下ご自身の思いであることがより明確である。   70年談話について、フランスのルモンド紙は「真の後悔より表面的な平和論に重きを置いた」と評した。天皇陛下のお言葉をニューヨーク・タイムズは「安倍首相の政策に対する静かな反対との見方が強まる」と評した。元米国外交官でワシントンのジョン・ホプキンス大学東アジア研究所長のケント・カルダー教授は「首相官邸の外交的計算は短期的には巧妙には働いても、動詞と目的語ばかりが多く、主語と責任継承が明確でない歴史に関するレトリックは、長期的にはどんな影響を及ぼすのだろう」と問題提起した。 英霊の御霊を慰霊し、戦没者を追悼され、真摯を極める陛下のお言葉は「心にしみました」と戦没者追悼式に参列したご遺族の一人は語った。 安倍首相が彼の談話への信頼を内外から獲得したいならば、談話の各文の主語や侵略と植民地支配に関する日本の責任を明らかにし、戦争関連の諸課題に対する内閣の立場が歴代内閣と整合性があることを言葉と行動の両方で示すことである。 談話において安倍首相は、「私たちの子供や、孫や、その先々の世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。しかし、誰がおわびし、実際誰が侵略や植民地支配の責任を取るのかが明確でない限り、安倍首相には謝罪の意思がないと見られてしまう。また表面的な言葉と具体的な行動との間に不一致がある限り、そのツケを支払わされるのは先々の世代の子どもたちである。 むしろ、戦後に関する残された様々な課題に取り組み、日韓請求権協定などで言う「完全かつ最終的な解決」に至ることこそが、先の世代の子どもたちを何度も何度も謝罪を続ける宿命から解放する道である。 政府は元捕虜、慰安婦、シベリア抑留者、残留孤児と養父母、在外被爆者、元BC級戦犯などへの支援活動を行うべきである。 法的解決だけではない、道義的、政治的、そして被害者の気持ちを癒す解決を目指すことである。各国国民との和解活動に政府と国民とが手を携えて取り組む時である。