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参議院予算委員会公聴会における藤田幸久の質疑議事録2015年03月26日
活動報告
2015年3月26日
参議院予算委員会公聴会における藤田幸久の質疑議事録
○藤田幸久君 ありがとうございます。民主党の藤田幸久でございます。
お二人、どうもありがとうございます。
時間の関係で、申し訳ございませんが、主に柳澤公述人に質問させていただきます。
与党の協議会の文書で私が一番気になっておりますのは、日米安保条約の効果的な運用に寄与しと書いてあります。ということは、先ほど柳澤さんがおっしゃっていただいた中で、全てにこれが出てきてしまう。だから、一番危険なところにどこまで行くのか。あるいは、法律論でどこまでという場合に、これが全部オーバールールになってしまう。
この日米安保条約の効果的な運用に寄与しということがどういう影響を持っているのかということについてお聞きしたいと思います。
○公述人(柳澤協二君) そこは、例えば、私どもも現役の頃、あれは昭和五十三年ですから一九七八年の日米ガイドラインを作り、そして九七年にその改定をやっておりますけど、最初のガイドラインはいわゆる日本有事をテーマにしたものでありました。これは、安保条約第五条のアメリカ軍の来援をどうプランしていくかということにつながっていったと思うんですね。
そして、九七年のガイドラインでは、まあありていに言えば、韓半島、朝鮮半島有事を前提にして、来援に来る米軍をどのように日本が支援できるかという、一種それは地理的概念ではないと言い条、安保六条に根っこがある、そういう作業だったというふうに私は認識しているんですけれども、そうすると、今度、グローバルな局面で日米協力を展開していくというのは、実は安保条約に直接の明文があるわけではないので、そこのところはぎりぎり言っていけば、安保条約そのものをちゃんと書き直すのが本来の筋でしょうということになるんだろうとは思うんですけれどもね。
そこで、昨年十月のガイドラインの中間報告を見ますと、日米同盟のグローバルな性格に着目しというようなことが書かれていますが、これはしかし、グローバルな性格というのは非常に定義のはっきりしない言葉ですね。では、グローバルな範囲でやはり安保条約に根っこがあるところ、ないところで、そこはおのずと差が出てくるんじゃないかという議論もあり得るところだと思います。
その辺がどうも、地理的に無限定になっていくのではないか、内容的にも無限定になっていくのではないかという心配が拭い切れない一つの原因はそこにあるのかなという感じはしております。
○藤田幸久君 その部分を、法律論的に今の表現の部分をある程度規定していくことが可能なのかどうかということと、それから、いわゆる段階的に、地理的に、結果的に広がっていったことと同時に、先ほど心配しておられました一番ぎりぎりの局面、あるいは国連決議、いろいろございますけれども、決議の内容が曖昧な場合とか判断が危うい、あるいはいろんな解釈がある場合に、この日米安保条約の効果的な運用に寄与しということがオーバーライドしてくる可能性、その二つについてお聞きしたいと思います。
○公述人(柳澤協二君) これは、ずっと非常に私どもにとっても悩ましい話だったと思うんですね。そして、私も今記憶に残っておりますのは、九九年のあの周辺事態法の審議の中で、ちょうどNATOのユーゴ空爆の真っ最中の審議であったということでいろんな議論がありました。
それで、例えば、アメリカが国際法上違法な戦闘をする場合に、それをガイドラインでサポートすることはどうなんだという議論もあったと思います。そのときの、今でも私は覚えているんですが、政府の答弁の趣旨は、日米安保条約には国際法を遵守すると書いてある、したがって、アメリカが国際法に反することをすることはないんだという答弁だったと思います。
しかし、これはトートロジーなので、そこのところを、それはもう、今後はある意味グローバルに軍事的な後方支援をしていくということなんですから、そのアメリカ軍の武力行使、まさに評価をもっときっちりやっていかなければいけない。以前は人ごとだったかもしれないけど、今度は我が事としてアメリカ軍の武力行使をしっかり判断していかなければいけないという立場に理論的にはなるはずでありますから、その辺を本来であれば法律にしっかり書き込むというのが筋ではないかなと思います。
○藤田幸久君 アメリカは、現場における様々な作戦等において、確かに法律的にも不備な面があるので、こういう点を整えてもらえば有り難いというアメリカの軍部の現場からの要請は一方であると思うんですが、政策論的に、例えば日本が尖閣等があるので、いろいろ中国あるいはいろんな国に対して軍事的な活動を政策的に踏み越えていくということについては、むしろ抑制的といいますか、消極的に見ているんではないかと。つまり、現場はいろいろ体制を整備してほしい、ただ、日本がいろいろな意味で政策的に拡大していくことについてはむしろ慎重論があるんではないかと思うんですけれども、その点についての見通しと、時間がないので、ということは、一番心配しておられた点については、むしろネガティブリストを作った方が現場としては、あるいは法律的に安定するためにはいいんではないかと、その二つ、関係しているんじゃないかと思いますが、その点についてお聞きしたいと思います。
○公述人(柳澤協二君) アメリカの評価は、それは、現場の軍とそれから政治の間で当然見ているところが違いますから、一般論として、日本がもっとたくさんやってくれるということは、それはいいことだということになると思います。
ただ、それが、アメリカのスタンスは、さっきの秋山先生の言葉で言えば、今の中国等のチャレンジがオーダーに対する挑戦にならないようにするための一種のヘッジなんですね。ですから、それが最初から前面に出るということが、政策的なスタンスとしてはアメリカと必ずしも一致しない部分が出てくる。むしろ、緊張を高めることをアメリカの政治は必ずしも賛成しないんだろうと思います。
あとは、済みません。
○藤田幸久君 ネガティブリスト。
○公述人(柳澤協二君) そういう意味で、ネガティブリストというのは、ネガティブリスト以外は何でもできるという形になっていって、どうも今の方向性がそれに近い、与党が御協議になったのはそれに方向性としては近いようですが、ただ、依然として、日本防衛の文脈でいうとポジリストなんですね、九十五条の話にしろ。だから、そこら辺が、まあどちらがいいかということはありませんが、ネガリストにしていけばいくほど、現場の判断で事態拡大のリスクは高まるということを政治は認識しておく必要があるということだと思います。
○藤田幸久君 秋山先生に一つ、戦後のことをおっしゃいましたが、例えばサンフランシスコ講和条約というのは、中国、台湾、北朝鮮、韓国、ロシアが参加していない。したがって、それまで日本は戦後の秩序についての実は活動を余りしていない。やっぱり朝鮮戦争があったことによって、吉田総理の判断もあったけれども、経済優先で来たということの方がかなり大きいんではないかと。先生の説明の部分は、むしろその一九五一年以降、あるいは日韓、日中の国交回復以降の部分が強いんではないかという印象を持ったんですが、それについてコメントをいただけたらと思います。
○公述人(秋山信将君) ありがとうございます。
おっしゃるとおり、まさにその戦後の秩序というものが五〇年代半ばを境にして、あるいは中国が国連加盟というか、中国と台湾の代表権が入れ替わった七〇年代、幾つかの転換点はあると思いますが、基調としてはやはりサンフランシスコ平和条約に基づいたものであって、日米の関係という、すなわちアメリカが提供してきた公共財というものに我々の繁栄というのは立脚しているという意味でいうと、我々が既存の秩序の受益者であるという話であります。
恐らく、今後北朝鮮がもし何らかの形で国際社会に復帰するようなことがあれば、彼らもこの国際秩序の受益者になっていくという意味でいうと、今の既存の体系というものが、どの価値観であったりとか、秩序の、ルールの体系に基づいているかということを考えたときに、この七十年間を通して考えるということが重要であるというふうに考えております。
○藤田幸久君 ありがとうございました。
お二人、どうもありがとうございます。
時間の関係で、申し訳ございませんが、主に柳澤公述人に質問させていただきます。
与党の協議会の文書で私が一番気になっておりますのは、日米安保条約の効果的な運用に寄与しと書いてあります。ということは、先ほど柳澤さんがおっしゃっていただいた中で、全てにこれが出てきてしまう。だから、一番危険なところにどこまで行くのか。あるいは、法律論でどこまでという場合に、これが全部オーバールールになってしまう。
この日米安保条約の効果的な運用に寄与しということがどういう影響を持っているのかということについてお聞きしたいと思います。
○公述人(柳澤協二君) そこは、例えば、私どもも現役の頃、あれは昭和五十三年ですから一九七八年の日米ガイドラインを作り、そして九七年にその改定をやっておりますけど、最初のガイドラインはいわゆる日本有事をテーマにしたものでありました。これは、安保条約第五条のアメリカ軍の来援をどうプランしていくかということにつながっていったと思うんですね。
そして、九七年のガイドラインでは、まあありていに言えば、韓半島、朝鮮半島有事を前提にして、来援に来る米軍をどのように日本が支援できるかという、一種それは地理的概念ではないと言い条、安保六条に根っこがある、そういう作業だったというふうに私は認識しているんですけれども、そうすると、今度、グローバルな局面で日米協力を展開していくというのは、実は安保条約に直接の明文があるわけではないので、そこのところはぎりぎり言っていけば、安保条約そのものをちゃんと書き直すのが本来の筋でしょうということになるんだろうとは思うんですけれどもね。
そこで、昨年十月のガイドラインの中間報告を見ますと、日米同盟のグローバルな性格に着目しというようなことが書かれていますが、これはしかし、グローバルな性格というのは非常に定義のはっきりしない言葉ですね。では、グローバルな範囲でやはり安保条約に根っこがあるところ、ないところで、そこはおのずと差が出てくるんじゃないかという議論もあり得るところだと思います。
その辺がどうも、地理的に無限定になっていくのではないか、内容的にも無限定になっていくのではないかという心配が拭い切れない一つの原因はそこにあるのかなという感じはしております。
○藤田幸久君 その部分を、法律論的に今の表現の部分をある程度規定していくことが可能なのかどうかということと、それから、いわゆる段階的に、地理的に、結果的に広がっていったことと同時に、先ほど心配しておられました一番ぎりぎりの局面、あるいは国連決議、いろいろございますけれども、決議の内容が曖昧な場合とか判断が危うい、あるいはいろんな解釈がある場合に、この日米安保条約の効果的な運用に寄与しということがオーバーライドしてくる可能性、その二つについてお聞きしたいと思います。
○公述人(柳澤協二君) これは、ずっと非常に私どもにとっても悩ましい話だったと思うんですね。そして、私も今記憶に残っておりますのは、九九年のあの周辺事態法の審議の中で、ちょうどNATOのユーゴ空爆の真っ最中の審議であったということでいろんな議論がありました。
それで、例えば、アメリカが国際法上違法な戦闘をする場合に、それをガイドラインでサポートすることはどうなんだという議論もあったと思います。そのときの、今でも私は覚えているんですが、政府の答弁の趣旨は、日米安保条約には国際法を遵守すると書いてある、したがって、アメリカが国際法に反することをすることはないんだという答弁だったと思います。
しかし、これはトートロジーなので、そこのところを、それはもう、今後はある意味グローバルに軍事的な後方支援をしていくということなんですから、そのアメリカ軍の武力行使、まさに評価をもっときっちりやっていかなければいけない。以前は人ごとだったかもしれないけど、今度は我が事としてアメリカ軍の武力行使をしっかり判断していかなければいけないという立場に理論的にはなるはずでありますから、その辺を本来であれば法律にしっかり書き込むというのが筋ではないかなと思います。
○藤田幸久君 アメリカは、現場における様々な作戦等において、確かに法律的にも不備な面があるので、こういう点を整えてもらえば有り難いというアメリカの軍部の現場からの要請は一方であると思うんですが、政策論的に、例えば日本が尖閣等があるので、いろいろ中国あるいはいろんな国に対して軍事的な活動を政策的に踏み越えていくということについては、むしろ抑制的といいますか、消極的に見ているんではないかと。つまり、現場はいろいろ体制を整備してほしい、ただ、日本がいろいろな意味で政策的に拡大していくことについてはむしろ慎重論があるんではないかと思うんですけれども、その点についての見通しと、時間がないので、ということは、一番心配しておられた点については、むしろネガティブリストを作った方が現場としては、あるいは法律的に安定するためにはいいんではないかと、その二つ、関係しているんじゃないかと思いますが、その点についてお聞きしたいと思います。
○公述人(柳澤協二君) アメリカの評価は、それは、現場の軍とそれから政治の間で当然見ているところが違いますから、一般論として、日本がもっとたくさんやってくれるということは、それはいいことだということになると思います。
ただ、それが、アメリカのスタンスは、さっきの秋山先生の言葉で言えば、今の中国等のチャレンジがオーダーに対する挑戦にならないようにするための一種のヘッジなんですね。ですから、それが最初から前面に出るということが、政策的なスタンスとしてはアメリカと必ずしも一致しない部分が出てくる。むしろ、緊張を高めることをアメリカの政治は必ずしも賛成しないんだろうと思います。
あとは、済みません。
○藤田幸久君 ネガティブリスト。
○公述人(柳澤協二君) そういう意味で、ネガティブリストというのは、ネガティブリスト以外は何でもできるという形になっていって、どうも今の方向性がそれに近い、与党が御協議になったのはそれに方向性としては近いようですが、ただ、依然として、日本防衛の文脈でいうとポジリストなんですね、九十五条の話にしろ。だから、そこら辺が、まあどちらがいいかということはありませんが、ネガリストにしていけばいくほど、現場の判断で事態拡大のリスクは高まるということを政治は認識しておく必要があるということだと思います。
○藤田幸久君 秋山先生に一つ、戦後のことをおっしゃいましたが、例えばサンフランシスコ講和条約というのは、中国、台湾、北朝鮮、韓国、ロシアが参加していない。したがって、それまで日本は戦後の秩序についての実は活動を余りしていない。やっぱり朝鮮戦争があったことによって、吉田総理の判断もあったけれども、経済優先で来たということの方がかなり大きいんではないかと。先生の説明の部分は、むしろその一九五一年以降、あるいは日韓、日中の国交回復以降の部分が強いんではないかという印象を持ったんですが、それについてコメントをいただけたらと思います。
○公述人(秋山信将君) ありがとうございます。
おっしゃるとおり、まさにその戦後の秩序というものが五〇年代半ばを境にして、あるいは中国が国連加盟というか、中国と台湾の代表権が入れ替わった七〇年代、幾つかの転換点はあると思いますが、基調としてはやはりサンフランシスコ平和条約に基づいたものであって、日米の関係という、すなわちアメリカが提供してきた公共財というものに我々の繁栄というのは立脚しているという意味でいうと、我々が既存の秩序の受益者であるという話であります。
恐らく、今後北朝鮮がもし何らかの形で国際社会に復帰するようなことがあれば、彼らもこの国際秩序の受益者になっていくという意味でいうと、今の既存の体系というものが、どの価値観であったりとか、秩序の、ルールの体系に基づいているかということを考えたときに、この七十年間を通して考えるということが重要であるというふうに考えております。
○藤田幸久君 ありがとうございました。
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