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  • 【2014年6月18日】

    「村山常雄さんをしのぶ会」&「シベリア特措法4周年記念集会」

    15日に出席した、「村山常雄さんしのぶ会」&「シベリア特措法4周年記念集会」が、NHKニュースや毎日・産経・東京新聞などで報道されました。

    616 2015分 NHKニュース 動画:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140616/k10015261591000.html
    シベリア抑留 遺骨収集など加速要望へ

    6.16.1
     戦後、シベリアなどに抑留された人を救済する目的の法律が成立してから4年となる16日、抑留の体験者などが集会を開き、来年、戦後70年を迎えるのを前に、遺骨収集の作業などを加速させるよう国に求めていくことを確認しました。戦後、シベリアなどに抑留された人は57万人余りに上るとされ、4年前、抑留や労働を強いられた人に特別給付金を支払うことなどを柱とした特別措置法が成立しました。
     法律の成立から4年となる16日、抑留の体験者などで作る団体が国会内で集会を開き、はじめに、抑留の犠牲者の実態を明らかにする活動を続け、先月亡くなった村山常雄さんに黙とうをささげました。
    集会では、今も抑留されていた人の数や犠牲者の数を巡り日本とロシア双方の見解に食い違いがあるほか、遺骨の収集が進んでいないことが報告されました。
     そのうえで、「このままでは体験者の記憶や記録を残していくことができない」として、来年戦後70年を迎えるのを前に、遺骨の収集や抑留の実態解明を加速させるよう国に求めていくことを確認しました。
     厚生労働省によりますと、抑留中に亡くなったとされるおよそ5万5000人のうち、遺骨が日本に戻ってきたのは30%余りにとどまっているということです。
     「シベリア抑留者支援・記録センター」の世話人を務める池田幸一さんは、「元抑留者の高齢化が進んでいるため早く調査を進めてほしい」と話していました。

    毎日新聞 20140617日 地方版
    村山常雄さん死去:しのぶ会 シベリア抑留死者名簿作る /東京
    6.16.2

     村山常雄さんをしのぶ会であいさつする夫人のカズさん=千代田区永田町で2014年6月16日午後4時12分、青島顕撮影

     シベリア抑留中に死亡した3万4000人以上の正確な氏名を割り出して公表し、先月11日に88歳で亡くなった村山常雄さんをしのぶ会が16日、千代田区永田町の参院議員会館で開かれた。抑留経験者や抑留中に死亡した人の遺族ら約130人が別れを惜しんだ。

     ◇「尊厳取り戻した」「民間努力の結晶」

     おじを抑留中に亡くしたというバリトン歌手の古川精一さんは「(名簿によって)写真でしか見ることのなかったおじに近づいた気がする。人間の尊厳を取り戻してくれた」と感謝した。旧間瀬村(新潟市)の中学で村山さんに学び、名簿のホームページ掲載を助けた本間靖夫さんは「平和への真摯(しんし)な思いをもっておられ、『戦争が大勢のシベリア抑留の無念の死を招いた』と言っていた」としのんだ。93歳の抑留経験者、池田幸一さんは1980年代の「捕虜体験記」(全8巻)とともに「民間努力の結晶といえる。長く評価されるだろう」と功績をたたえた。

     夫人のカズさんは「情熱の人だった。戦争で亡くなった人のことが常に頭にあり、名簿への問い合わせを受けて、ご遺族に対応した後はいつも真っ赤な目をしていた」と明かした。4月下旬、村山さんは「日本は戦争せず、平和であること」と書き残したという。

     村山さん自身は旧ソ連極東に4年間抑留された。帰国後は出身地の新潟県で中学教諭を務め、2005年に抑留中死亡者の名簿をホームページに公開。07年に「シベリアに逝(ゆ)きし人々を刻す」を自費出版した。正確な表記で3万4680人(仮名表記を含めれば約4万6300人)の氏名を突き止めた。06年に吉川英治文化賞を受賞している。
    【青島顕】〔都内版〕

    2014.6.17 13:50
     産経
    【葬送】仲間たちの「生きた証し」残す シベリア抑留者支援・記録センター世話人、村山常雄氏
    6.16.3
     
    村山常雄氏

     (16日、東京都千代田区の参議院議員会館) シベリア抑留から生還したからこそ、使命を感じ、仲間の「生きた証し」をたどる作業に10年以上を費やした。16日、東京都千代田区の参院議員会館で営まれたしのぶ会には、元抑留者や元同僚ら約100人が集い、別れを惜しんだ。
     満州で終戦を迎えた後、旧ソ連・シベリアで約4年間にわたり抑留され、極寒と飢えの中で過酷な強制労働の日々を過ごした。
     帰国後は故郷・新潟県で中学校教師に。同僚だった白川昭夫さん(79)によると、酒を飲んだときには「抑留の苦しさは言葉では言い表せない。帰ってこられたから良いが、亡くなった方の無念さは想像するに余りある」と涙を流しながら話していたという。
     「名前のない死者は人間としての存在を否定されたままじゃないか」 異国の地で死を遂げた無名の兵士たちの名前を取り戻すため、70歳を機に平成8年から抑留者の調査を開始。約11年後、約4万6300人分を編纂(へんさん)し、「シベリアに逝きし人々を刻す」と題して自費出版した。
     大阪府豊中市の元抑留者、池田幸一さん(93)は「余人をもっては成しがたい仕事を、シベリアの仲間と祖国に残してくれた。血のにじむような精進がなければ、日の目をみることはなかったでしょう」と偉業をたたえた。
     亡くなる数日前には妻のカズさん(82)と約60年間の結婚生活の思い出を語り合った。「つらい過去はあったものの、精いっぱい努力してきた。十分過ぎるほどの人生を送った幸せな人だったと思います」。カズさんは終始笑顔を見せていた。
     5月11日死去。享年88。(田中俊之)
    毎日新聞 20140616日 東京朝刊
    悼む:シベリア抑留死亡者名簿作成者・村山常雄さん=5月11日死去・88歳

     ◇亡き6万人思い続け??村山常雄(むらやま・つねお)さん=細菌性肺炎のため、5月11日死去・88歳

     19歳で召集されてすぐに敗戦を迎え、旧ソ連極東で捕虜生活を4年間送った。戦後は新潟県内の中学校で教えながら、「シベリア抑留」で亡くなった6万人を思い続けた。

     1991年、崩壊間際のソ連政府から日本に約3万人分の死者名簿が届いた。現地係官の聞き取ったキリル文字表記である。新聞各紙が片仮名に直して載せたが、人名として判読できないものが多かった。「暗号にも似た片仮名の羅列。姓名というよりは、死者の発する怨念(おんねん)の叫びだ」と感じた。

     「一人でも多くの正確な氏名を積み上げる」。70歳の誕生日に決意した。死者名簿に対応する記録を探したが、手がかりは乏しい。5年目にロシア政府からの提供資料に抑留者の署名があると分かった。厚生労働省を説得してデータを入手し、氏名照合が軌道に乗った。1日10時間、10年以上かけて3万4680人(仮名表記を含めれば約4万6300人)の氏名を突き止め、ホームページ(http://yokuryu.huu.cc/)に収録した。


     名簿作りに追われ、自分の捕虜時代の記録はほとんど残していない。約40ページの未完の著述「シベリア樵(きこり)覚え書??最下層捕虜の生活と意見」があるだけだ。捕虜になってもなお、旧軍時代の上官から陰湿ないじめを受ける初年兵が追い詰められて、死にゆくさまを描いた。それが自らにとっての抑留だったのか。3月にお会いした時、その続きをうかがう約束をしたが、果たせなかった。

     昨年8月、東京での犠牲者の追悼式で、「シベリア抑留は未解決です」と訴えた。教科書も詳述しておらず、政府は十分に実態を解明していない。70年前の戦争を総括できない国への、最後の異議申し立てだった。
    【青島顕】
     

     

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