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参議院予算委員会における藤田幸久の質疑議事録「捕虜問題と戦後処理について」2009年03月09日
活動報告
2009年3月9日
参議院予算委員会における藤田幸久の質疑議事録
捕虜問題と戦後処理について
○藤田幸久君 民主党の藤田幸久でございます。
麻生総理、私は麻生総理が総理大臣になっていただいて本当によかったと思っている理由があります。それが捕虜問題でございます。捕虜問題というのは、ポツダム宣言及び吉田総理が調印をされたサンフランシスコ講和条約に裏付けをされた戦後日本の外交の礎でございます。したがいまして、この捕虜問題について大きな進展を進めていただくには、私はやっぱり麻生総理をおいてほかにはない、そんな立場の総理であるというふうに理解をしております。
そんな立場から御質問させていただきたいと思いますけれども、この捕虜問題の対応がこのポツダム宣言及びサンフランシスコ講和条約で日本政府に課せられているわけであります。戦後の日本の外交の基礎になっておるわけですが、その内容は何か、それから日本はそれをいかにその後実行してきたのか、その二点について、まず総理にお伺いしたいと思います。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 日本としては、これはさきの大戦にかかわる賠償並びに財産及び請求権の問題につきましては、サンフランシスコの平和条約及びその他関連する条約に従って誠実に対応をしてきたところだと考えております。これらの条約などの当事国との間では、個人の請求権の問題も含めて法的には解決済み、御存じのとおりです。
その上で、さきの大戦にかかわる政府としての認識につきましては、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、元捕虜を含め旧連合国諸国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたとの歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを平成七年及び十七年の内閣総理大臣談話を始めとして、これまで様々な機会に一貫して表明をしてきたところだと理解をいたしております。
また、このような反省の上に立ちまして、関係国、関係者との和解に向けて、日本は一九九五年より関係諸国との間で平和交流事業を実施してきた、御存じのとおりであります。
○藤田幸久君 ポツダム宣言におきましても、捕虜問題を含む戦争犯罪について対応ということがございますので、それも時間がないので私の方から申し上げておきますが、そのポツダム宣言の受諾というものがサンフランシスコ講和条約以前にあったということを、御存じでしょうけれども指摘をしておきたいと思います。
しかしながら、この捕虜問題というものが、やはりその戦後外交のいろんな意味でとげとなってきたという背景から、私はこれを是非解決に向けて努力を払っていただきたいと思っておりますが、これは去年の十一月にも私質問いたしましたが、二〇〇六年の十一月に、麻生当時の外務大臣でございますが、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、ニューヨーク・タイムズの姉妹紙でございますが、この新聞において麻生鉱業の捕虜使役に関する記事が出ました。これに対する反論をニューヨークの日本総領事館のホームページに掲載するよう麻生外務大臣が公電で指示をしたというふうに外務省から書面で報告をいただいておりますけれども、麻生外務大臣はある意味では当事者であります。したがって、外務大臣であると同時に、麻生大臣御自身の、御家族にとっても名誉と責任を懸けた内容だろうと思いますけれども、それをあえてこのホームページまで掲載をする、公電まで打って指示をした、その理由は何か、お答えいただきたいと思います。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 藤田先生、これは三回目の御質問だと思いますんで、同じようなことの答弁しか申し上げられないので大変恐縮ですけれども、御指摘の報道は、さきの大戦中に我が国企業における強制労働などについて扱ったもので、その一部に旧麻生鉱業についての記述が含まれていたと承知をいたしております。
当該記事につきましては事実誤認など種々含まれておりましたので、外務省が通常業務の一環として在ニューヨーク総領事館のホームページに反論を掲載したというのが経緯であります。こういう報道記事に対する反論というのは、必要な場合にはこれは随時に行っているところであって、別に異例なものだったというように考えておるわけではございません。
○藤田幸久君 私が麻生総理にこの件で質問をしたのは今回が二回目でございます。多分ほかの方々がいろいろ質問したんだろうと思いますが、まあそれはさておき、ただ重要なことは、いろいろなことが書かれたニューヨーク・タイムズの記事ですけれども、この麻生鉱業に関して外務省のホームページでは、強制労働に関与したという情報は得ていないと断定した上で、ニューヨーク・タイムズがエビデンス、証拠なしにこのような批判を行うことは極めて不当であるというふうに書いてあるわけですね。したがって、実はこの麻生鉱業に対する捕虜の存在が分かった途端に今度はこれを削除しているわけですから、やはりこの事実関係というものは非常に大きかったんだろうと思うんですけれども。
それで、このホームページ、全く不当であるというふうに言っているわけですけれども、しかも、そのニューヨーク・タイムズ紙に対して根拠もないのに失礼だと言っているわけですが、ということは外務省で根拠があったということだろうと思うんですが、これは麻生鉱業には聞いたけれども情報がなかったというような答弁がほかの議員に対してございましたが、これはやはり外務省のホームページとして、外務大臣御自身が外務大臣に関係した企業に関して反論をしているということは、これは外務省として当然のことながらエビデンスを得て反論のホームページを掲載しなければこれは不自然であると思いますが、どういうエビデンスを外務省は得てこの反論記事を書いたのか、その証拠を挙げていただきたいと思います。
○委員長(溝手顕正君) 外務省ですか、藤田さん、外務省。
○藤田幸久君 ただ、大臣御自身が公電でホームページを変えられたんですよね。当時の外務大臣ですよね。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 委員長。どちらでも、どちらでも結構なんで、御指名のあった方をいただければよろしいんで。藤田先生がこちらと言うんであれば、こちらで答弁させていただきます。
○委員長(溝手顕正君) 麻生総理大臣。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 当時、外務省において必要な確認を行って、その時点で得られた情報に基づいて行ったのは当然であります。当該記事においてなされております必要な確認を行ったということですけれども、外務省の部局間で事実関係及び対応部について確認を行った上での話であろうと存じます。
その当時は、御存じのように、厚生労働省においてこの種の資料が保管されている事実は我々には知らされておりませんでした。報道記事への対応という限られた時間の枠内で素早く可能な調査を行ったということであります。しかし、結果として関連資料が厚生労働省の部内で存在をしていたということが判明をいたしまして、当時の対応としては必ずしも政府全体としては十分ではなかったと認めざるを得なかったのではないかと思っております。
○藤田幸久君 厚労省だけのせいではなくて、これ、捕虜の問題、外交関係は外務省が元々終戦のときからGHQの機関も含めて対応していたわけですから、これ、厚労省の資料が、知らなかっただけでは済まない。そして、政府全体とはおっしゃいますけれども、総領事館でホームページを掲載するということは政府全体の話だろうと思いますので、政府全体であるという話も承服が難しいですけれども、先に行きたいと思います。
これも別の議員が質問した件です。
峰崎委員が予算委員会で今年質問されたんですが、二〇〇七年の六月に久留米工業大学のアンダーウッドという講師が麻生外務大臣あてに手紙を出したということでございます。これが資料の①でございます。今日は資料をたくさん、十五枚ほどお配りしておりますが、この一枚目の資料が麻生外務大臣あてで議員会館あてに行っております。
これは、この一枚目の手紙に加えて、二枚目、三枚目にございますところの、この麻生鉱業が杉山陸軍大臣に対して捕虜を三百人派遣してほしいというふうに要請をした十六枚の文書のうちの二枚入れてございます。これは、私自身が麻生総理にそもそもこの件について御質問をしたときに付けた二枚でございます。
アンダーウッドさんは、麻生鉱業によるこの文書、それからもう一つGHQの文書を添えて麻生事務所の麻生外務大臣あてに送ったというふうに言われておりますけれども、と同時に、最近分かったことですが、この同じ二種類の文書を真崎さんという九州のやはり大学関係者の方が麻生事務所の飯塚事務所の秘書の方に、このアンダーウッドさんが麻生外務大臣に手紙を出す以前に、飯塚ですか、福岡の方でジョイフルというレストランでこの文書を渡しているというふうに聞いておりますけれども、そうすると、麻生事務所の、少なくとも外務大臣になられたときに国会の事務所と福岡の事務所と両方でこの文書を受け取ったというふうに相手方の当事者は言っておりますが、大臣は受け取っておられなかったんですか。いかがでしょうか。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 私自身は、当時外務大臣だったということですけれども、御指摘の文書を受け取ったという記憶は全くありません。
一方、確認をさせていただきました。私の事務所の秘書が当時アンダーウッドという人から文書の写しを受け取ったことがあったということであります。ただし、受け取った文書の写しは真正な旧麻生鉱業あるいはGHQの文書であるか否かについては全く確認はできなかったとの認識であります。また、当時事務所としては、旧麻生鉱業関係者、もう大分年取っておりますんですが、アンダーウッド氏にも丁寧に対応し、可能な限りの対応をさせていただいたということも言っております。
なお、当時事務所におきまして、アンダーウッド氏より送付のあった文書の写しが旧麻生鉱業の真正な文書であるかを含め、旧麻生鉱業関係者に照会を行いましたが、関連する情報を見出すことはできなかったと承知をいたしております。事務所では毎日、御存じのように、数多くの連絡や情報を各方面からいただいておりますんで、それを一つ一つ私のところに報告することは困難であろうということは御理解いただけるところだと存じます。また、その前年、米国メディアで報道された案件であったということは事実でありまして、自分にも報告がなされるべき事案であったのではないかと思っております。
いずれにしても、この本件は確実な根拠に基づき確認する必要がある問題と考えておりますが、昨年の厚生労働省の調査によりまして、旧麻生鉱業において連合軍捕虜を労役させていた事実が旧政府自身の資料で明らかになったと承知をいたしております。
○藤田幸久君 そうしますと、確認をしますが、この十六ページのうち二枚、今日コピーを付けております、昨年十一月にこれを提示をして、それから総理の方で調査をしていただいて、厚生労働省の方でほかの書類が発見をしたので、この真正さというものを確認されたということですが、ということは、この書類自体は事務所で受け取っておられたと。だけれども、その真正さを確認するのに、その段階においてはいろいろ関係者に聞いたけれども、これが真正な文書であるということの確認が取れなかったということでよろしいですね。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 極めて古い資料で、これ正直、我々のところで、御存じのように、これ片仮名で書いてある、ずっと、かなり古い資料でして、正直申し上げて、これが確認できるかといえば、昭和二十年の話でして、残念ながらこれ関係者で生きているという人がおりませんので、正直申し上げて、これについての確認が取れたと、これが間違いなく麻生鉱業株式会社鉱業所のものであるという資料と確認ができているわけではございません。
○藤田幸久君 時間がないので申し上げますが、これ、社印でございます、麻生鉱業の。②ページ。それから、社用便せんでございます。それで、これ、現物は赤い判こが押してあるそうでございます、アメリカの国立公文書館にあって。
それから、厚生労働省来ていると思いますけれども、厚生労働省はこの書類そのものが真正だということ以上に、ほかの数十ページの厚生労働省の中にある資料とこの内容が一致しているので真正であるというふうに政府として認めたというのが十二月であります。したがいまして、この社印等々の確認においては、当時の方で恐らく生きている方はいたけれども話ができなかったんだろうと思いますが、この真正さを確認する方法は私は多々あったんだろうということを指摘して先に行きたい。ですから、私は確認できなかったというのはやっぱり確認をする意思がなかったんではないかというふうに申し上げて先に行きたいと思います。
次に、今度は二月二十七日の私の質問主意書に対する答弁書で、二〇〇六年に実は麻生鉱業に自分たちはいたんだというオーストラリア人の捕虜の方がオーストラリアの国営放送、ABC放送、NHKに当たるんでしょうか、のようなテレビでインタビューして、自分は麻生鉱業の捕虜としていたんだよということを証言をされ、当時のジ・エイジとかジ・オーストラリアンというオーストラリアの有力紙、全国紙に取り上げられて報道されたんです。
少なくとも、外務省の在外公館、キャンベラかシドニーか分かりませんけれども、外務省にこういう実は捕虜の人が存在しますよと、テレビに出ていますよという報告は外務省にしたというふうに答弁書では言っておりますけれども、当時の外務大臣までその報告は来たんでしょうか。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 今お話のありました二〇〇六年、御指摘の報道について報告を受けたという記憶は全くございません。
○藤田幸久君 時間があと四分しかないですね。
ちょっと先に行きますが、この外務大臣自体にかかわることがこれだけ報道されてテレビにも出ていながら、当時の外務大臣に直接関係あることが報告をされないと。当時の外務報道官だろうと思いますけれども、事務の取扱は。私は極めてこれは遺憾な話で、本当はこれ外務大臣としてほうっておけない話だろうと思いますけれども、ちょっと先に行きたいと思います。
それから、実は麻生百年史という本があります。これは麻生総理が発行者兼編集委員長として出版された本でございます。これだけの莫大な資料であるわけですけれども、これを読んでみると、しかもこの④ページを見てみますと、編さん委員会には当時の鉱山に関係していた方々がたくさん入っておられるけれども、この捕虜収容所については一切記載がない。ところが、年表を、⑤ページを見ていただきますと、九州のほかの炭鉱には捕虜収容所があったということが、ほかの炭鉱、三つ、四つ、五つぐらいのところには書いてあるんですね。ほかの炭鉱に捕虜収容所があったといいながら、御自身の炭鉱に三百人も捕虜がいたのにそれを記載していないと。それから、この本の中では、朝鮮人労働者とか中国人捕虜のことは記載しているけれども、肝心の御自身のところについて私は書いていないというのはこれはおかしい。知っていないはずがないと思いますけれども、なぜこの百年史に出版者兼編集委員長として記載をされなかったのか、その理由についてお答えいただきたい。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) この麻生百年史というのは、私がたしか社長に就任した昭和四十八年、麻生が創業百年と、明治から数えて百年ということで創業記念として出版をさせていただいた。その年に私、社長になりましたので、麻生百年史が発行されましたその当時のことで、私自身、社長にはなっておりますけれども、その編集内容について、巻頭文を書いた記憶はありますけれども、その編集に関して、中に関して私がかかわったことがありませんので、正直申し上げて当時の事情に関しましては不明であります。
○藤田幸久君 歴史に残ることですから、これだけ重要なことについて書いていないということはやはりこれは歴史的にも大変まずいんではないかと思う。何か意図があるのかなと思いますけれども。
時間がないんで、私は先週、麻生炭鉱の桂川町に行ってきました。当時の捕虜の方に会った人も結構おりました。若い子供たちでありました。捕虜の方が出てきていろいろな工作作業に当たっているとか、終戦があった後、いろんな物が下りてきて、米軍の方から、それを物々交換に、チョコレートと卵とか、ガムと鶏とか、そういう実際たくさんの人が見ているんですね。それから、その当時の捕虜の方々の状況は写真等々も入れておりますけれども。
それで、実は今私が確認しているだけで四人ぐらい生きていらっしゃいます、オーストラリア、九十歳前後。私は三人の方と電話でお話をいたしました。当時の状況についていろいろと聞き出しました。
それで、その三名の方から麻生総理あてに二月の段階で手紙が出ております。この九ページにございますけれども、御覧になっていないですかね。英語の原文と、⑨、それからその和訳を付けてございます。
それで、これは三人の方から総理に三つのことを言っていらっしゃる。私はなかなか配慮のある手紙だろうと思っているんですけれども、一つは、この六十四年間にわたって真実を無視したことに対する謝罪をしていただきたいということと、いわゆる補償とかいうことよりも世界の規範にのっとった形で不正義を償う形での対応をしてほしいということでございます。
私は、なかなかこれだけ苦労された方々が、九十歳の数名の方々が今生きていらっしゃるということは、私は貴重な話だろうと思っています。消された年金で、額は分かったけれどももらえないまま亡くなっていった方を想定いたしましたけれども、私は是非一つ提案を申し上げたいけれども、是非総理は、この三名、四名の方で可能な方を日本にお呼びいただきたい、そしてその方々と和解の交流をしていただきたい。私は、そういうことの方がはるかに意味のあることであるし、私は、総理、いつまで総理でいらっしゃるか分からないけれども、そういう形をされた場合には、私は歴史に残る、これ捕虜問題というのは国際スタンダードで非常に重要な外交関係であります。今年は国連の和解の年であります。是非そうした思い切った対応をお願いをしたいと。是非、このお手紙にどうこたえられるのか、そして私の、具体的には三名あるいは四名を日本にお呼びいただいて交流をしていただきたい、そのことについてお答えをいただきたいと思います。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) これはきちんと藤田先生しておかないと、これはいろいろなものが混線をいたしますので少々堅苦しく申し上げないといかぬところだと思いますので、最初に答弁を申し上げたのとまた重なると思いますが、さきの大戦にかかわります賠償及び財産及び請求権の問題につきましては、サンフランシスコの、先ほど講和条約と言いましたが、あれは平和条約が正しいんですが、平和条約及びその他関連する条約に従いまして誠実に対応してきたと、我々としては政府としてそう思っております。これらの条約などの当事国との間におきましては、個人の請求権の問題も含めて法的にはすべて解決済みであるというのが基本的なこの種の話の一番の問題点としてきちんとしておかにゃいかぬところだと思っております。
他方、先ほどお答えをいたしましたとおり、政府として、元捕虜の方々を含め旧連合国諸国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたとの歴史の事実というものを謙虚に受け止めて、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを、平成七年及び十七年の内閣総理大臣談話を始めとして、これまで様々な機会に一貫して表明をしてきたところであります。
日本として、関係諸国との信頼関係というものを強化するために引き続き誠実に対応していくと、まずこれが基本であります。その上で、元捕虜の方々というのを日本という国に、オーストラリアに限らずいろんなところから外務省としてこれまで呼んでお話をさせていただいておるというのは外務省でやってきている事業の一環でありますので、その事業の一環としてということで検討をさせるということは可能でありますが、私の麻生鉱業にいたからといって恣意的にすることはできませんのは当然のことだと存じます。御理解をいただきたいと存じます。
○藤田幸久君 その部分が重要だろうと思いますので、申し上げて、質問を終わりたいと思います。
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