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参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録「新テロ対策特別措置法改正案/文民統制の在り方について」2008年11月13日

活動報告

2008年11月13日

参議院外交防衛委員会における藤田幸久の質疑議事録

新テロ対策特別措置法改正案/文民統制の在り方について

○藤田幸久君 民主党の藤田幸久でございます。

 今日は、麻生総理、アメリカに御出発の日に御出席をいただきましてありがとうございます。

 早速ですが、オバマ氏が大統領候補として、そして当選をされましたが、ダブルスコアのような大変な勝利を収めました。このオバマさんがこれだけの勝利を得たという理由ですね、どんな理由であったのか、それから、こういう新しい方が初の黒人大統領として当選をされたということに対して、麻生総理、どういうふうに感じておられるか、まずそこからお話しいただきたいと思います。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) オバマが勝った理由。

○藤田幸久君 はい。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 人様の国の選挙の事情まで、いかがな軽々しい発言をして、こういう理由じゃないかと言うとまた問題もあるんじゃないかと思いながら。

 どうですかね、何が一番大きな理由か。それはいろんな理由があったんだと思いますけれども、やっぱり、僅差だったものが急になってきたのは、やっぱり今回の金融危機関連というのは大きかったんじゃないでしょうかね。やっぱり、これは共和党のこれまでのやってきた政策ではないということで、多分、いわゆる中間所得者層以下のところ、そこら辺りがこの金融危機によって、住宅ローンというのしか表に出てきていませんけど、それ以外の、ゼネラル・モーターズなんかのあれを見ましても、経済が急激に悪くなってきているというのがかなりの追い風になったかなという感じはしますけど。

 ちょっとこればっかりずっとウオッチというか、それ見ていたわけじゃありませんし、新聞の話というのは、現場見たことのない話というのは僕は信用したことがありませんので、悪いけど、そんなに新聞情報どおりになったという、前回もケリーが勝つと書いていたけれども、開けてみたらブッシュが圧勝しましたから、そういった意味じゃ、私余り新聞を正確にフォローしたわけではありませんので何とも言えませんけれども、僕は今回の経済金融危機というのは大きな影響を与えたかなという感じはします。

○藤田幸久君 報道によりますと、ブッシュ大統領に面会を申し込まれたが、何か成立しないので、今回、今日から出発されますけれども、会えないということですが、向こうからまるで断りあっさりされたのか、まあすぐ辞める方でもあるので、余りそんなに無理をせずにこういうことになったのか、その辺のいきさつはいかがでしょうか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) オバマ……

○藤田幸久君 いや、ブッシュ大統領と今回会いませんよね。何かアポが成立しなかったという。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) ブッシュ大統領は多分、二十か国ということになりましたので、どの首脳とも個別には会わないということになっていると記憶します。

○藤田幸久君 報道によると個別に何か国かと会うようですが、まあそれはおきまして、今回僅差だったものが大きく開いたというお話ありましたが、それは別にしまして、全体の流れとしてオバマさんが勝たれた一つの最大の功労者はブッシュ大統領だという説がかなりございます。やっぱりその八年間のブッシュ政策に対する反発がアメリカ国民の中でいろいろ起きたという見方があると思うんですけれども。

 それで、ちょっと資料にお配りしておりますけれども、この八年間の、アメリカがいろいろな戦争行為をイニシエートしたわけですが、さかのぼって冷戦終結後からアメリカが派兵をしたという例を資料としてお出しをしてございます。パネル以外に──配付資料は事務方から回ってないんですかね。

○委員長(北澤俊美君) 配ってありますから大丈夫です。

○藤田幸久君 簡単に言いますと、湾岸戦争がございまして、それからアメリカのソマリアの派遣。それから、イラクの空爆、これは三回ございます、平成五年に二回と平成八年。それから、ボスニア・ヘルツェゴビナの空爆、それからスーダンやアフガニスタンへの空爆、コソボの空爆。それから、最近もリベリアに派遣、それからソマリアの空爆。その中に交じってアフガニスタン戦争とそれからイラク戦争というのがございます。

 私、調べて分かったんですけれども、結局アメリカが派兵をしていたのは、ほとんどがいわゆる空爆とか、ヒットしてまた帰ってくるという。それから、行った国で地上軍を派遣して全面的に展開をするというのはほとんどなくて、二つの例外が実はアフガニスタン戦争とこのイラク戦争だということがこれで明らかでございます。したがいまして、やはりアメリカが冷戦後かなり出撃をしているわけですが、このアフガニスタンとイラクというものは極めて特異性があるということでございます。

 その二つのアフガニスタンとイラクというものがどういう特異性があるかというのを見てみますと、まず一つは、大規模な地上軍によって相手国全土に展開しています、イラク全体、アフガニスタン全体。それから占領政策をやっています。それから、イラクとアフガニスタンで感じますのは、だれが相手なのか、だれに対する戦いかというのが不明確であります。それから三つ目は、相手が不明確だということもありまして、大量の民間人の被害が出ております。例えばイラクだけでも、いろんなカウントがありますけれども、WHOですと十五万人とか、それからランセットという機関ですと六十五万人とか、それからアフガニスタンにおきましても、数年前は自爆テロが二十二人とか言っておりましたのが最近は数千人とかですね。それから、もう一つ違いがあるのは、このアフガニスタンとイラクのこの戦争のみ自衛隊が参加をしています。

 私は、先ほどブッシュ大統領がオバマ氏が勝った最大の功労者だという説がかなりあるという中には、やはりこのアフガニスタン戦争それからイラク戦争というものが大きな影響をもたらしているのではないかと思っておりますけれども、このブッシュ大統領主導によるこの戦争の功罪についてどう御認識か、総理にお伺いをしたいと思います。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 功罪。そうですね、イラク、アフガニスタンというものを含みます中東地域というものの安定というものは、これは日本にとりましては極めて大きな意味がありますし、国際社会にはもちろん大きな意味があるんだと思いますが。

 イラクにおけますのは、相手がというのはこれはフセイン政権だったと記憶をします。安全保障上の諸問題があったということが一つ。それから、アフガニスタンにおきましては、これはアルカイーダというテロの問題なんであって、こういったときに苦渋の決断というのを多分されたんだと思いますが、多くの犠牲を払って対応を行ってこられたんだと思っております。

 その間、日本としては、これは当然のこととして連携を取りながら、これは主体的な立場から日本としても国際社会の中での責任を果たしていかねばならぬということからこういった決断をしたんだと思っております。

 そういった意味では、この中にあっていろいろな、ずうっと一連の今資料の説明がございましたけれども、イラク、アフガニスタンにつきましては、今申し上げたような所期の目的というのがこのテロとの戦い等々に参加していくという背景という具合に理解をしております。

○藤田幸久君 フセイン打倒だということですが、大量破壊兵器がなかったというのは、これは国際的にも認知をされた事実になったと思います。

 それから、テロとの戦いということでございますけれども、じゃ、そのテロリストの掃討をやっていたのかというと、むしろそれ以外の形でのいろいろな戦闘行為が起きて、したがって、先週もこの委員会に中村哲医師、ペシャワール会の代表がいらっしゃっておりましたけれども、一人外国人兵士が亡くなると、それに伴って百人の現地人の命が奪われていくと、そして、一人過って市民が亡くなると、その兄弟が一種の自爆テロの潜在的な要員に変わってしまうと、それが実態だという話でございまして、テロとの戦いというものが、結局だれのだれに対する戦いというのが不明なまま余りにも多くの民間人が犠牲になっているということに対するやはり内外の世論が相当高まったんではないかというふうに思います。

 そんな中で、私も調べてみましたら、この八年間あるいは七年間、イラク戦争それからアフガニスタン戦争における在日米軍基地の役割、この委員会でも実は報告をさせていただきましたけれども、随分ございます。例えば、佐世保基地からの強襲揚陸艦エセックス、それから横須賀基地からの空母キティーホーク、それからイージス巡洋艦、三沢基地からのF16戦闘機、沖縄からの陸軍のグリーンベレー、それから海軍のシールズ、海兵隊の第三一MEUなどの特殊部隊も参加していると。それから、今話題になっておりますクラスター爆弾の投下も在日米軍より出撃をした爆撃機等によって投下をされていると。

 したがって、少なくともその出撃の数字等も前、委員会で挙げたことがございますけれども、在日米軍基地なくしてアフガニスタン戦争、イラク戦争というものは戦えなかったという実態がございます。そういう実態があるということについて、総理はどういうふうに認識されておられますか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) まず、在日米軍なくしてイラク戦争、アフガニスタン戦争は成り立たないみたいなお話、という現実があるという指摘には賛成いたしかねます。日本に駐留する米軍というものに関しましては、これは日米安保条約の第六条、よく御存じの法律というか条約によりまして、あくまでも日本と、及び極東の平和と安全という維持の目的のために日本に駐留しているということが大前提になっておりますので、今のような御指摘は当たらないのではないかと思っております。

 今、役割を果たしているという現実に考えた場合に、在日米軍が構成する部隊とか、また艦船とか、その目的の達成のための役割というのが一番なんであって、それ以外の任務に有して移動するとかなんとかいうことになるんでしょうけれども、それは直接安保条約の、いわゆる条約上に問題があるわけでもないというようにも理解しております。

○藤田幸久君 つまり、日本を守るということと極東というその所期の目的以外に、これだけ、実態としてですよ、日米安保条約の目的とは別に実態として、米軍が日本から出撃をした後、実際にアフガニスタン、イラクにこういった形で参加をして、それがなければ成り立たないというその部分の、日米安保条約の目的とは別に、実態として在日米軍基地が結果的にそういう役割を果たしているというその事実についてはいかに認識されますか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 今も申し上げましたように、在日米軍というものを構成しております部隊とか艦船が、あの目的の達成、いわゆる目的の達成というのは極東地域の安全とか日本の平和とかいうものの目的の達成のほかに、いろんな意味で、以外の任務を有して移動するとか、ほかのところに行くということに関して、これがなければ成り立たないのかと言われると、それはなくても別の方法で成り立つような気もしますので、これがなければ成り立たないというのは、そういう感じではありません。

○藤田幸久君 そうすると、アメリカからいろいろ負担を求められておりますけれども、それに対して、在日米軍基地、日米安保条約の目的からすればこうだけれども、実態として、アメリカの大統領なり政策決定者に対して、実態としてこれだけ結果的に役に立っておるんじゃないですかと。もちろん、一〇〇%それがなければアフガニスタン戦争、イラク戦争が戦えないかというと別ですけれども、これだけ実態的に役に立っているでしょうということはおっしゃられるんじゃないですか。まるでそのことについてはおっしゃられませんか、黙っておられますか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 在日米軍基地がそこにあって、それによって極東と日本の安全というものが保たれているというのが第一、最大の目的でありまして、その部隊が移動した先のことについてまで、これは日本があったから移動できたとか言われるんだったら、これはほかの基地からも移動できたということになろうと存じますが。

○藤田幸久君 苦しい答弁ですが、結果的にそれだけ役に立っているということだろうと思います。

 それで、もう一つ、細かいことですが重要なことで申し上げますが、日本政府が、このテロとの戦い、つまりウオー・オン・テラーという、ブッシュさんが七年前の九月十一日に使い始めた言葉の日本語訳を、テロとの戦いの戦いという字を、いわゆる闘争の闘という字ですね、戦争の戦、いくさの戦という字じゃなくて、というふうに変えていますね。これ、マスコミもいわゆる戦いという字を使って、ほかの国も大体そういう言葉を使っているのに、日本政府だけがこのいわゆる闘争の闘というふうに違った言い方をしているんですが、これは何か、私は非常に何か意図があって、意訳ではないかと。やはりウオー・オン・テラー、ウオーですからね、いわゆる戦という字に変えるべきじゃないかと思いますが、官房長官、いかがでしょうか。

○国務大臣(河村建夫君) 今御指摘の点でございますが、テロとのたたかいという言葉は、最近では、例えばG8の首脳会合の宣言ではファイト・アゲインスト・テロリズムという訳になっておりまして、これの仮訳として使われておるわけであります。ウオー・オン・テラーについての定訳はありません。ありませんが、普通、テロとのたたかいと言う場合、外務省等の公文書等ではたたかいは闘争の闘を使用してきておるところでございます。

 そこで、その戦争の、いわゆる戦の方の戦いの方でありますが、この言葉は武力を伴った実力行使の意味合いが強い、それから、いわゆる闘争の闘の闘いの方は、日本を始めとする国際社会が取り組んでおりますテロ対策に対する法制度の整備とか国際協力関係の推進、あるいはテロを生む背景に存在する諸問題の解決、これを図るためのいわゆる人道復興支援等々あるいは貧困対策等々、こういう幅広い取組の意味合いが持たれていると、こういうふうに考えます。

 政府としても、テロとの闘いのこの闘い、闘争の闘という方は我が国が今実施しておりますテロに対する取組をより適切に表現している、このように考えておるところでございます。

○藤田幸久君 つまり、そこですり替えがあると思うんですが、あくまでも不朽の自由作戦とは戦いなんですね。我々民主党が主張しているように、テロ根絶というものはそういう総合的な対応が必要だと言っているわけですが、実態とすれば不朽の自由作戦の支援活動の中で日本政府は参加をしてきているわけですから、それをやっぱりごまかさないで、そういうものに日本の自衛隊等が参加をしてきたということはやはりはっきり区分けをして、これから対応していただきたいと思います。

 そこで、今回の、非常な今日のテーマになっております文民統制問題について、時間がありませんので移っていきたいと思います。

 総理以外はおとついの田母神参考人が出席をしたこの委員会にいらっしゃいましたんで、あえて総理のために、また北澤委員長のお許しをいただいて申し上げたいと思いますが、その田母神参考人が出席をした委員会の冒頭で、北澤委員長は以下のように述べられました。昭和の時代に、文民統制が機能しなかった結果、三百数十万人の尊い命が失われ、また、国家が存亡のふちに立たされたことは、忘れてはならない過去の過ちであります。国家が存亡のふちに立った最初の一歩は、政府の方針に従わない軍人の出現と、その軍人を統制できなかった政府・議会の弱体化でありました。こうした歴史を振り返りつつ、現在の成熟した民主主義社会の下において、国民の負託を受けた国会が、その使命を自覚し、もって後世の歴史の検証に堪え得る質疑をお願いする次第でありますと。

 したがって、今回のこの文民統制問題というのは、立法府と行政府の問題であり、その国の安全保障をだれが決め、そして国民の意思をどう反映をするかと、そういう重要な問題であるという認識の下でこの文民統制問題というものが扱われているということを改めて総理に申し上げ、質問をさせていただきたいと思います。

 実は、田母神前航空幕僚長ですが、いろんな発言を最近もしておられます。そういった発言について、総理はどうお考えになりますでしょうか。

 例えば、おとつい、委員会の後ですけれども、田母神さんは、村山談話は言論統制の道具であると、村山談話は言論統制の道具であるというような言い方されておられますけど、総理、どうお考えになりますか、こういうコメントに対して。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) これは度々、村山談話が出された後も出ていると思いますが、いわゆる現役の幕僚長という立場にありながらの発言としては極めて不適切ということになるんだと思います。辞められた後の話ですと、これは個人で私人でありますから、それはなかなか、発言としては、言論の自由の統制だとかいろんな話になって、また話が飛躍しますんでうかつなことは言えぬと思いますが、少なくとも、現役の航空幕僚長としてということが一番問題なんだと、私はそのように理解をいたしております。

○藤田幸久君 実は、この田母神さんという方は今までもいろんなところでいろんな実は論文書いてきているんですね。

 それで、ちょっとパネルを出していただきたいと思いますけれども、(資料提示)この航空自衛隊の方々、現役、OBの方々を対象にした、これは会員制ですけれども、「鵬友」という機関誌があります。それで、平成十六年の七月に既にこんなことを言っていらっしゃるわけですね。「我が国は専守防衛を旨とする国防の態勢を維持しているが、防御のみを考えていては効果的な防御態勢は出来ないのではないか。攻撃を考えないといつも攻撃する側に一歩遅れてしまうのだ。準備が後手になる。自衛隊の中にも相手国への攻撃について徹底的に考える人たちが必要であると思う。」と。つまりこれ、専守防衛を逸脱したことを既に四年前ですか、言っているわけですね。

 それから、その同じ号ですけれども、「部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事である。正論、諸君、ボイス、ジスイズ読売などに論文を投稿してみることだ。」、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」、「統幕学校では十六年度に教官も学生も一人一論文を目標に頑張ってもらおうと計画しているところである。」と。

 それから、その同じ年の三月号ですけれども、アグレッシブな広報を自衛隊の中に造ることも一案であると思う。「隊員に対しては部外で個人や団体が実施する親日的な活動には経費も含めて個人的に支援するという意識を持たせるべきであろうと思う。例えばここ数年新しい歴史教科書が話題になっているが、今後このような本などが出た場合、これをみんなで買いまくるぐらいの意識があっても良いのではないか。」、つまり、四年前からこういうことをおっしゃっているわけですね。

 そうすると、まず最初の部分ですが、これ専守防衛を逸脱した発言を、しかも統合幕僚学校長として既におっしゃっていたということになりますが、こういうことをおっしゃっていたということについて、浜田大臣、だれも気が付かなかったんでしょうか。

○国務大臣(浜田靖一君) 田母神前航空幕僚長の論文は私人としての見解を述べたものだと承知しており、そこに記述されている個々の内容の一つ一つに防衛省としてコメントすることは差し控えたいと思っております。

 御指摘の「鵬友」は、航空幕僚自衛隊幹部学校幹部会という私的サークルが発行している刊行物でありまして、私的サークルについては、本来防衛省としてこれを管理又は統括するものではなく、当省においては私的サークルの刊行物の内容を検査するための部署を特に定めているわけではございません。仮に、私的サークルの刊行物の中に自衛隊員として適切ではない意見の表明等が見られた場合には必要な措置を講ずることとしております。

 防衛省としては、平成二十年十月三十一日に公表された田母神前航空幕僚長の論文の存在を認識して以降、当省において同氏のそれまでの部外への意見発表等の状況を確認する過程において、「鵬友」平成十六年七月号に掲載された同氏の論文があったことを認識したところでございます。

○藤田幸久君 大臣、平成四年の五月に参議院の内閣委員会で、当時の教育訓練局長がこういうふうに言っているんです。

 実は当時、このやはり「鵬友」とか陸海空の幹部学校における雑誌についての質疑が行われました。その中で教育訓練局長はこう言っているんです。論文の中に、現在の防衛の基本的な政策、すなわち専守防衛、シビリアンコントロール、非核三原則、日米安保体制、そういった基本的防衛政策を逸脱するようなものがもし中に入っていれば、それは自衛官としてふさわしくない行為であると考えております、その点は私も責任を持ちまして、それはそういう雑誌を見ておりますと言って、論文のチェックをしている旨答弁しているんです。

 ということは、これは平成四年ですから、その平成十六年のこの「鵬友」等が幾つか出ているわけですから、この段階でつまり防衛省としては教育訓練局長がチェックをしていなきゃいけなかったと。それをチェックしていなかったということじゃないですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 先生の御指摘を今いただいたことに関連しましては、我々の方でそういった形で答弁をさせていただいているにもかかわらず、その点が我々のところに報告がなかったということは、我々のところにそういう報告がなかったということについては、確かに今チェックができていなかった、この間の浅尾委員の答弁の中でも私申し上げたように、その点に関してはチェックされていなかったということだと思います。

○藤田幸久君 そうしますと、次のこのパネルを見ていただきたいと思いますが、田母神前航空幕僚長の各役職への任命権者、論文発表時の届出先、そして懲戒権者というものがありますけれども、田母神さんは、まず既に、第六航空団司令、つまり小松基地の司令だったときに、既に中部航空方面隊司令官にこの論文を出すというような場合には報告をしていなければいけない。この段階で論文を出していたかどうか分かりませんが、少なくとも統合幕僚学校長になって、今私が引用した平成十六年の段階では石川統合幕僚会議議長に報告をしていなければいけない。そして、この段階で教育訓練局長は論文をチェックしていなければいけない。そのチェックが今報告がなかったということですね。

 それから、この間の委員会でも問題になりましたが、要するに、今大臣がおっしゃった「鵬友」の十九年、去年の五月号でこういう論文が出たということがあるわけですけれども、それが政府の方針と違っているということはお認めになったと。

 ということは、平成十六年の段階でまずチェックをしていなかったということが一つ。それの報告がなかったというのが二つ。そういったことがあったにもかかわらず、去年の三月にこの田母神さんを航空幕僚長に任命をしてしまったというのが三つ。そして四つ目が、五月に論文を書いた後もそれを見過ごしてしまったというのが四つ。四つのミスが続いているということはお認めになりますか。

○国務大臣(浜田靖一君) 任命当初のときには、これは今、人事の方でその辺のところの、経歴等々を含め精査をして任命をしたものと思っておりますが、最後の、今回の論文に関しましては我々の方には報告がなかったわけでありますので、その意味では、これはミスというよりも、最初の方のこの「鵬友」に関してのチェック体制というのは確かに不備だったかもしれませんけれども、任命、そしてこの今回の論文に関しては、我々とすると、報告のなかったその一番最後の部分にはミスがあったとは思いませんで、極めてその点では遺憾には思いますけれども、先ほど申し上げたように、事前のチェック体制の不備の部分と、そしてまた報告がなかったというところは切り分けてよろしいとは思っております。

○藤田幸久君 ミスとかいう話じゃなくて、特に最初私が引用しました専守防衛を逸脱するということは、これは明らかに政府の方針に反することですね。すると、これをチェックしてこれが分かっていたならば、この段階で今回と同じような処分に該当したんじゃないですか。専守防衛を逸脱することを平成十六年七月に言っているわけですよ、しかも学校長として。

○国務大臣(浜田靖一君) 防衛省としては、平成二十年十月三十一日に公表された田母神前航空幕僚長の論文の存在を認識して以降、当省において同氏のそれまでの部外への発表等の状況を確認する過程において、今回のその「鵬友」について論文があったところを認識したところでございますので、そういう意味では、その際に事前に「鵬友」、十月三十一日の時点で我々が確認したということで、先ほども委員から御指摘のあったように、最初の部分というのは、学校長時代の件に関して知り得たのは我々の方がチェックができてなかったということは、我々のそういう意味ではミスだと思っております。

○藤田幸久君 十月三十一日の段階で目に留まったのは去年五月の論文だけであって、四年前のこの専守防衛を逸脱した論文というのは見過ごしたということですか。

○国務大臣(浜田靖一君) そうです。チェックができてなかったということは見過ごしたということだと思います。

○藤田幸久君 これは私、連休明けのたしか十一月四日にもう国会図書館から取り寄せています。この「鵬友」というのは、御覧になったらすぐ明らかですけれども、例えばこの見出し、小見出しですね。例えば、「えこひいき大作戦とお邪魔虫大作戦」、「厳正な秩序と組織の能率は反比例する」とか、それから「身内の恥は隠すもの」。とにかく見出し見ただけで、これおかしいと。これ、統合幕僚学校長です。これ、そんなに詳しく見なくたって、しかも数年間のもの、これたくさんあるわけですね。何か意図的にこれは見逃したと、たまたま出たのが、その去年の五月の論文だけ出てきたのでチェックをした。こんなものすぐ、私ですらぱっと、あれと思いましたよ。専守防衛を逸脱するなんてことが出ているわけですからね。そうすると、十月三十一日の段階でこんなもの全部チェックしなかったということは、これは大変な怠慢じゃないんですか、どうなんですか。

○国務大臣(浜田靖一君) そういうものが発覚をしましたので、我々とすれば、今回、航空幕僚長を解任したということであります。

○藤田幸久君 その解任の理由のときには、平成十六年のこの論文の、つまり専守防衛を逸脱したということは項目に、この一週間ぐらいこの委員会でもやっていますけれども、入っておりませんよね。ということは、今回の、つまり懲戒免職にせずに定年退職にさせてしまったというのも、要するに十月三十一日に発覚したにもかかわらずこういったことをしっかり精査していないのでああいう甘い対応になってしまったというふうに言えるんじゃないんですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 今御指摘のありました田母神前航空幕僚長を航空幕僚付としたのが十月三十日以降ということでございまして、三十一日でありますけれども、我々は、今のお話も含めて、安易な選択をしたのではないかという御指摘がありましたが、しかし、我々とすれば、今回の処置につきましては、三十日以降、航空幕僚副長が直接本人に対していろいろな形で確認をし、そしてまたその中で一貫して退職する意思がなくて、また、懲戒処分を行うということであれば、審理を辞退する意思もなく、どのような規律違反に該当するのかについて徹底的に議論するとの意向をされました。退職の期限というものがあるわけでございまして、それが大幅に延長した場合でも来年の一月二十一日までの手続が終わる見通しが立っておりません。総合的に判断して我々は定年退職としたところであります。

 基本的に、隊員に規律違反が生じた場合には、懲戒手続によって事実関係を十分に把握した上で、適正な懲戒処分により厳正な対処について責任を持って判断しているところでありますけれども、今般の田母神前航空幕僚長の件については、本人から迅速な手続に協力が得られませんで、退職の期限まで懲戒手続を完了することが困難であるという我々は判断をしたところであります。

○藤田幸久君 私の質問に答えていませんよね。つまり、いわゆる専守防衛を逸脱した行為については何もおとがめがないということですよね、チェックもしてなければ。ということは、専守防衛を逸脱するということを防衛大臣は認めるということですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 我々は今回、我々が把握した十月三十一日付けに、あの今回の論文、懸賞について、その「鵬友」の件は後から出てきたことでございまして、とにかく今回の論文の内容は極めて不適切であり、また航空幕僚長としての地位にありながらそういう論文を発表したということに対してこれは重要な判断をしたわけでありますんで、そこで航空幕僚長を解任したということの方、この解任という重さが我々とすれば重要なことだと思っておりましたので、その論文に関して即その場で判断をしたということであります。

○藤田幸久君 ということは、統合幕僚学校長が専守防衛を逸脱するような発言をするということは規約違反でなくて、そして後になって分かってもそれが処分の対象にならなかった。したがって、防衛大臣とすれば専守防衛を逸脱するということを結果的に認めてしまったということですか。

○委員長(北澤俊美君) 防衛大臣に申し上げます。

 先ほど来、統幕の学校長が専守防衛に違反する論文を書いていることについての質疑でありますんで、それに直截に答弁してください。

○国務大臣(浜田靖一君) 常識的に考えて、専守防衛は我々政府としてこれを今までずっと掲げてやってきたわけでありますので、それに対して、その専守防衛に対しての不適切な発言を今回したと、今委員の御指摘でありますが、それは極めて問題なことだと思っております。

○藤田幸久君 では、問題だと今やっと、知っていたのか知らなかったのか、公式的には今やっと分かったとおっしゃっていますけれども、今分かった段階でどういう対応をしますか。

○国務大臣(浜田靖一君) 我々とすれば、今回退職の処分をしたわけでありますので、今この時点で新たに処分ということは考えられません。

○藤田幸久君 それでは、やり得というか、辞めちゃえば何でも、後のことが結局消すことができないということになってしまいますが。

 ちょっと今また戻りますけれども、先日来、時間がないからという話がございましたが、私の方で防衛省に確認をしましたら、このいわゆる懲戒手続の問題ですけれども、いわゆる審理の進行権というんですね、どういうスピードでやるか、どの段階でその審理を結審をするかというのは懲戒権者に権限があるということです。

 したがって、懲戒権者というのは、これに出ていますけれども、今回の場合には防衛大臣、つまり浜田大臣が懲戒権者としてどの程度時間を掛けていつの段階でそれを決めるかということは、浜田さん、あなたが決められたわけですよ。しかも、平均で五十四日ですから、今までの経歴でいいますとね、そうすると一月末までに五十四日掛けたって十分審理ができるわけですから、浜田大臣がその意思があれば十分懲戒手続取れたはずなのになぜ取らなかったんですか。十分できたんじゃないですか。懲戒権者は浜田大臣じゃないですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 具体的な懲戒処分の手続を申し上げれば、懲戒権者が部下、隊員に命じて規律違反の事実関係についての調査を行うことになりますが、その際、規律違反の疑いのある隊員のほか、参考人等の供述を聴取し、また証拠を集めることになりますが、規律違反の事実の有無を証明するためには、必要に応じ規律違反の疑いのある隊員等による供述を繰り返し聴取することもありますし、最終的に供述調書、答申書、必要な証拠を添えて調査報告書を作成し、懲戒権者に報告することになります。

 懲戒権者は調査報告書をもって規律違反の事実の有無を検討し、その事実があると認めたときには、規律違反の疑いのある隊員に対し被疑事実を記載した書類を送達することになります。この場合、規律違反の事実が明白で争う余地がなく、かつ規律違反の疑いのある隊員が審理を辞退した場合等を除いて審理を行わなければなりません。審理の手続としては、懲戒権者の、隊員のうちから弁護人を指名し、また懲戒補佐官に命じて規律違反の疑いのある隊員及び証人の尋問その他の証拠調べを行うことになります。さらに、審理終了前には懲戒補佐官を列席させた上で被審理者又は弁護人の供述を聴取し、また審理を終了したときは、審理に関与した懲戒補佐官等の意見を聴いて懲戒処分を行うべきか否かの決定をし、懲戒処分を行うと決定したときには、行為の程度、行為の内容、動機、状況、改悛の程度、部内外に及ぼす影響等を総合的に判断して種別及び程度を決定することになります。

 田母神航空幕僚長が所属していた航空自衛隊について言えば、過去五年間、平成十五年から平成十九年度に懲戒処分を受けた隊員は、六百五人の懲戒手続の平均日数は、先ほど先生がおっしゃった五十四日であります。これらについてすべて、規律違反の疑いのある隊員の協力を得られたものでありまして、審理が行われた実績はございません。またこの中には、交通違反など規律違反の事実が争う余地がなく、懲戒手続に日数を要しない事案も含まれております。

 他方、過去に審理が行われた例で、懲戒手続に要した期間について長短はありますけれども、過去十年間、平成十年から十九年度に審理を行った六件の懲戒手続の平均日数は六か月でございます。そのうち規律違反の疑いのある隊員から十分な協力が得られず懲戒権者が進める懲戒手続の進行に支障を来した事案については、長期間を要する場合があります。例えば、平成十七年七月六日に懲戒処分とした陸上自衛隊暴行事案は約十一か月、平成十年六月二十四日に免職処分とした航空自衛隊無断欠勤事案は約十か月もあります。

 いずれにせよ、隊員に規律違反の疑いが生じた場合には、先ほど申し上げた懲戒手続により事実関係を十分に把握した上で、適正な懲戒処分により厳正な対処について責任を持って判断しておるところでありますけれども、今般の田母神航空幕僚長の件については、本人から迅速な処分の手続に協力が得られず、退職の期限までに懲戒手続を完了することが困難であると判断をして早期退職を求めたところであります。

○藤田幸久君 要するに、懲戒する意思がなかったと、懲戒権者が。したがって、いろんな言い訳をしていると。この懲戒の進行というのは職権主義ですから、したがって、その職権主義であるところの大臣自身がそういったことを放棄をしたということじゃないですか。これでは要するに、さかのぼって、先ほどの専守防衛の問題も含めて、結局今まであったことについては追認をしてしまうということになりますから、そうすると、こういう雑誌を読んだ人たちは、要するにこのままでいいんだなということになってしまうということじゃないですか。ちょっと待ってください、もう時間をあなたは随分使い過ぎているんで。

 それで、これは結局、この統合幕僚学校長が自分のいろんな主義主張をこれでどんどん書いておるわけですね。そして、それに基づいてどんどんどんどん投稿しろと言っているわけですね。おとつい田母神氏は、もし自分が声を掛けたならば千人ぐらいの人間が賛同したはずだと言っているわけですね。つまり、それだけ自分が、これだけ自分の主張をこの機関誌で言ってみんなが自分の考え方に同意をしていると。だから、自分が声を掛ければ千人ぐらいの人が賛成してくれるんだと。つまり、田母神氏は自分の職権を使いながら、自衛隊の広報誌を使いながら、若いあるいは中堅の幹部に対して彼の思想というものを押し付けて、洗脳して染めてしまったということが分かっているわけじゃないですか。

 したがいまして、今回のことについてもいろんな、自衛隊の防衛大学校の校長先生方がみんな批判をしております。例えば、西原前防衛大学学長ですけれども、思想、信条の自由を発表することとそれを考えることは違うんだと。つまり、思想、信条の自由ということは個人としてはいいにしても、それを発表する場合には、当然、自衛隊の幹部は政府の方針に従った形でそれを発表するというのが当然のことであると言っているわけですけれども。

 ということは、こういう「鵬友」等々でこの田母神さんが言ってきたということは、自分の主張をこういう機関誌を通して言い続けて、そしてこれをどんどんこんなことはやるべきだと、それから新しい歴史研究のグループについてはどんどん金を払っても応援をしろと言っているわけでしょう。こんなことが分かったのにほっておいたのならば、シビリアンコントロールというのは機能しないじゃないですか。それを懲戒もしない、任命権者であり懲戒権者である大臣がそれをしなかったということは、こういう内容のことを全部認めてしまうということじゃないですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 基本的に、田母神航空幕僚長のコメントに関しては私は何も申し上げたいとは思いませんが、客観的に見て大変うぬぼれの強い方でございまして、そういったところもあり、そしてまた我々とすれば、今回把握した時点で、以前からそういうことがあったということを把握していなかったのは事実でありますが、今回解任ということの重さ、そして退職というものの重さを考えれば、私とすれば、我々の思う一番早く、こういう方が長くいるというのは問題であるという怒りを持って退職を求めたところでありますし、早期退職というのは、これからまたあのまま、制服を着たままに御自分の意見を展開されるのは大変不適切と思ったから解任をしたわけでございます。

○藤田幸久君 しかしながら、結果的にああいう形だったので退職金六千万もらうことになっているわけですよね。

 それで、あの段階で懲戒免職にしておれば、退職金の額というのはかなり減ったんじゃないですか。懲戒免職にしておれば、定年退職になった場合と考えれば、退職金というのはずっと減ったんじゃないですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 当然、これは先ほど申し上げた手続の問題があり、一月の二十一日が来れば当然これは退職金が支払われる。そして、今おっしゃったように懲戒処分にもいろいろあるわけでありまして、懲戒処分の場合には減ると思います。そして、懲戒免職であればこれは当然ゼロということでありますが、しかしながら、今回の場合には、その審理手続がこれは長くなれば当然その一月二十一日が来るわけでありますので、それが、もしもすぐ御自分でお辞めになるということであればまたそれも額も変わってくると思いますし、そういったところを考えれば、私はその意味でお辞めになることを、辞職しろということは言わせていただいたわけでありますが、それに応じていただけなかったということであります。

○藤田幸久君 つまり、何かこの前から防衛大臣は、お辞めになっていただいたとか、何か非常に田母神さんに対してお公家様がなだめるように、それで何かはれものに触るような形で言っていると。それから、懲戒免職の手続も、要するに権限者は大臣ですから、その進行もこの職権主義によって実際に進めることができて、そしてそういう形での新たな対応をすることができたんだろうと思うんですね。

 それで、私は、今回一番の被害者は自衛官の方々であり、そして二十四万人の本当にまじめに国を守ろうと思っている方々が田母神さんに染められちゃっているわけですよ。これだけ機関誌を読まされて、そして論文にも応募をして、そして田母神さんが言っていることは、ただ一般的に自分の意見を言いなさいというんじゃなくて、例えば「ジスイズ読売」と「諸君」と「ボイス」と、こういうのに投稿しなさいと。

 それからもう一つ、これ、また「鵬友」で見付けたんですけれども、要するに、えこひいき大作戦とそれからお邪魔虫作戦という論文がここにございます。それで、自衛隊を好きな人と嫌いな人を区分けするようなことも言っているわけですね。例えば、「この国を愛し国民の発展を願う善良な人も、とても善良であるとは思えない人も同じ扱いをしようとする。自衛隊を応援してくれる人と反自衛隊活動をする人さえ同じく扱おうとする。」と。自衛隊は反自衛隊派の批判を恐れ彼らを丁重に扱い、親自衛隊派の人たちに我慢を強いているのだ。あるいは親自衛隊派の人たちや自衛隊が甘えさせておるのだと。私は自衛隊はもう少しえこひいきをしてほしいと。

 こういうふうに、こういう「鵬友」というような論文を通してこれだけ隊員なりこれを購読している人たちに対して自分の価値を押し付けて、そしてその上で、こういった例えば雑誌に投稿しろ、あるいはこういったグループはお金を払って応援をしろと言っているのは、まさに職権の濫用なんじゃないですか。

○国務大臣(浜田靖一君) 基本的に、そういう御意見を言うのは、我々とすれば、内容については今委員がおっしゃったように不適切というのは十分によく分かります。

 しかし、それがどれだけ影響を与えるかについては、我々とすれば、それをチェックするところもなかったわけでありますので、多くの皆さん方が読んだと言われますけれども、果たしてそれが、部会内の雑誌でもございますので、自衛隊員にどれだけの影響を与えたか。私は、そういった逆に今のネーミングを見たときに、一体それを興味深く読む人がいるかどうかというのは極めて私は疑問でありますし、そういったことを考えてみれば、昨日の田母神前幕僚長のお話を聞いていただければ、皆さん方もそこで判断が付くのではないかと思います。

○藤田幸久君 総理、今聞いていらっしゃいまして、既に四年前の段階でこの田母神さんというのは、専守防衛を超えたような、攻撃をすべきだというようなことを言っている。それから、それ以降の論文についてもお聞きのようだろうと思いますけれども、そして平成四年には防衛省の局長がそういったものはチェックしますと言っていたけれどもチェックをしていない。そして、結果的にこんな論文がばらまかれている。そして、にもかかわらず去年幕僚長に任命をしてしまったと。

 これ、一連の流れ、今日は防衛大臣にお聞きしていますけれども、自衛隊の最高司令官は総理ですね。そうすると、こういう形で内部のこれだけの立場の人が政府の方針に反対のようなことを議論をしている、それがチェックができない、そして一番トップになってしまった、そして後になってこんなことが分かったということは、自衛隊の最高責任者としてどう思われますか。これでは文民統制がまるで利いていないということの証明ではないですか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) この田母神の見解の一つ一つについてコメントすることは差し控えさせていただきたいと思っております。一般論として言えば、専守防衛というものはこれは日本の防衛の基本的な方針でありまして、これを今後とも、逸脱するとか、これに徹するということに関しては変わりないということだと思っております。

 今、もう一点、田母神の不適任と、分かっていて任命したものではないというのは度々大臣の答弁しておられたところでもありますので、これまでの経歴、能力等々を総合的に判断して任命したものと承知しておりますが、ただ、今御指摘のありましたような論文が、いわゆる航空幕僚長になる前、しかるべき立場にいるときから出ていたということに関しましては、これも極めて不適切なのでありまして、これ、防衛省として検討させておりますけれども、隊員の監督、教育の在り方などなどに関しまして、部外への意見発表の際のいろいろな届出またその内容等々につきましては、いろいろな影響というものを考えて、再発防止等々、また再教育などについては万全を期すようにというように言っておるところであります。

○藤田幸久君 そうしますと、そういうまず論文のチェック、平成四年に局長が答弁していますね。そうすると、まずそういうチェックをしっかりするということと、それから、中身についても逸脱したものが論文等に幹部の中で出てきた場合にはその段階で処分も含めて対応すると。そして、その後の任命についても、そういったものを勘案をしながら、権限者は、任命責任者は任命をしていくと。その今三つについては今後対応するということは、じゃ最高責任者としてお約束していただけますか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 今答弁申し上げたのはそのことを申し上げております。

○藤田幸久君 先ほど北澤委員長のおとついの発言を申し上げましたが、今やはり、今週も実はアメリカに、民主党の谷岡郁子議員がワシントンに行っておりまして議会関係者と会っておりました。そして、谷岡議員のお話によりますと、そのアメリカの議会関係者がこの田母神発言、論文等を見て、日本はこれ非常に危険じゃないかと、このままいったんではクーデターが起きるというようなこともあり得るんじゃないかというようなお話があったという、これは生の話であります。

 実は、官房長官にちょっとお聞きしたいと思いますが、今も、総理がこの間寄稿された文芸春秋に東京裁判についていろんな論文が出ていますけれども、その中で田中義一総理、昭和三年ですけれども、張作霖の爆破事件を起こした河本大佐を軍法会議にかけられず、そして与党や軍の圧力に屈して行政処分だけに終わらせてしまったと。昭和天皇も厳しくこの田中義一首相を叱責されたと。これがその陸軍内のいわゆる下克上の風潮を助長し、指導者が決断せず、組織が暴走したという流れであると。それが陸軍が政府や天皇を顧みず暴走するパターンをつくり上げたというようなことが出ておりますけれども。

 田中義一首相との縁も深い河村官房長官、こうした軍が偏向していった歴史の教訓を今回の、今日も非常に明らかになったわけで、こんなことがどんどん幹部が言ってそれを広めていたというようなことについて、この関連でどういうふうに認識されておられるか、お答えいただきたいと思います。

○国務大臣(河村建夫君) 今回の田母神前航空幕僚長の件に対しては、先ほど来お話しのように、解任後、辞任の説得、同氏が拒否、迅速な懲戒手続がなかなか取れそうもないと、こういうこともあって十一月三日付けの退職、現実的に取り得る最も厳しい措置であったというふうに考えておるわけでありますが、これ、今御指摘の田中義一首相の件につきましては、あれは満州某重大事件のことをお指しになっていると思います。あの当時は、旧憲法下、田中義一首相は文民ではない、こういう条件下の中にあったわけでございます。今現時点では、総理の指示に基づいて、防衛省における隊員の監督、教育の在り方、部外への意見発表の際の届出の手続等、こうした再発防止策を検討をしていると、こういう状況下にあります。

 しかし、いずれにしても、今御指摘のような歴史の教訓、まあ時代背景等々も違うとはいえ、そうした歴史の教訓というものも十分踏まえて、我々としてはそれも拳々服膺しながら文民統制に万全を期すべきであると、私はそのように感じておるところであります。

○藤田幸久君 やはり、歴史をしっかり認識をするということは非常に重要だろうと思いますけれども、その関係で、ちょっと時間が迫ってまいりましたので、麻生総理にお伺いをしたいと思います。

 資料をお配りしておりますけれども、このパネルを出していただきたいと思いますけれども、これはアメリカの国立資料館の方から取り寄せた資料でございますけれども、これは一九四六年、昭和二十一年一月二十四日に麻生鉱業が日本政府の捕虜情報局に対して、麻生鉱業の吉隈炭坑の詳細を記述した報告書を提出したと。これは十数ページの中の最初のページとそれから十六ページでございます。それから、パネルにはございませんが、英文のものを出しておりますけれども、日本政府が一九四五年にマニラの連合軍に提出をした英文の資料、これも何ページかあるものの一部、これもそのいわゆる麻生鉱業にそういう捕虜の方がいらっしゃったという英文の資料を二枚ほどお配りをしております。

 第二次大戦中にこの麻生鉱業に捕虜が労役をしていたという事実を麻生総理はどういうふうに認識されておられますでしょうか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 御存じかと思いますが、私、昭和十五年生まれ、当時四歳、五歳か、ちょっと認識するには早過ぎる年齢でもありますので、正直申し上げて、この旧麻生鉱業のことに関しまして、その事実をその当時知っていたわけでは全くありません。

 それから、その事実は今というものに関しましては、その事実関係も確認されていないと承知をいたしております。

○藤田幸久君 当時何歳であったかということは、例えば一国の総理が、そうしたら自分が認識のある時代のものしか自分は認識していないということになると、例えば過去の歴史ですね、それから自分が直接会った人でない人に関する政治の必要な項目についても自分は関与しないということになってしまうわけですね。

 それで、少なくともこういう事実があるということについて、総理が外務大臣のときに例えばオーストラリアの方が手紙も出しておられると。それから、こういった事実関係についてはかなりいろいろ論評もされておられるわけでございまして、そして少なくともアメリカの公文書館、あるいは日本の国会図書館にあるというものの事実に対してその認識をしていないということは、余りにもやっぱり無責任ではないかと。

 つまり、捕虜の問題というのはやはり国の外交政策上も極めて重要な問題であると思いますので、これだけ具体的なものがあるにもかかわらずそれを認識していないということでは、私、一国の総理とすればこれは責任が取れないんではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) この資料というものは、正直言ってこれは要望しただけの資料でありまして、これは確認は全くされていないというのが事実であります。それが一点。

 それから、二つ目の点につきましては、今御質問にあっておりましたけれども、オーストラリア人の元捕虜という話なんだと思いますけれども、この御質問の書簡を受け取ったということは外務大臣の時代にございません。

○藤田幸久君 今お配りした二ページ、このアメリカの公文書館にあるのは二ページですけれども、その中にはいろいろ、何人ぐらいいたとかということは全部出ています。それは当然外務省なりの方で確認をしていなければいけない事実だろうと思いますけれども。

 それから、ニューヨークの総領事が、この関係のニューヨーク・タイムズの記事が出た段階で日本政府はこの件に関して何ら情報を得ていないとしているわけですけれども、そもそも一九四五年の段階で日本政府が連合国に対してこういう文書を出しているんですね。それを日本政府がこういった情報を得ていないということは、これはおかしいんじゃないですか。

○国務大臣(中曽根弘文君) これは二〇〇六年の十一月十五日付けニューヨーク・タイムズの記事と、委員はそのように御指摘されていると思いますが、実際この記事には麻生鉱業に関する記述はございません。しかし、同じ日のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の記事には麻生鉱業に関する記事がございます。これら二つの記事に関しましては、在ニューヨーク日本総領事館のホームページに日本政府としての反論を掲載をいたしました。

 この反論は、御指摘の麻生鉱業に関する部分も含めまして、当時私どもで入手可能な情報に基づいて東京の外務本省において必要な確認を行いました上で、外務本省の指示によってニューヨークの総領事館でこういう記事を掲載したものでございます、ホームページに掲載したものでございます。

 今回、今委員が提示されました資料も踏まえまして、在ニューヨーク総領事館のホームページに掲載されております反論の訂正の可能性も含めまして慎重に検討したいと、そういうふうに思っております。

○藤田幸久君 麻生総理は外務大臣当時、つまりおととしの七月三日に東大阪市のじゅうがんじと読むんでしょうか、お寺を参拝をされました。ここは日本の各地で死亡した外国人捕虜がいらっしゃるところで、供養をしたというふうに理解をしておりますけれども、なぜこの重願寺を参拝されたのかということと、当初は在日八か国の大使を招いておられたというのに、突然直前にお断りをされたと、大使がそこの重願寺を一緒に参拝をすることをですね。その真意と、その大使を初め呼んでおきながら直前に断ったという、その経緯についてお答えいただきたいと思います。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) これはじゅうがんじと読みます。

○藤田幸久君 じゅうがんじ。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) はい。

 これは、戦後一貫して、一貫して戦争犠牲者などの慰霊を行っておりましたところで、重願寺というお寺があるんです。これに是非敬意を表するとともにということで、これは前々からいろんな友達も行っておりましたんで、そういった話で、戦争犠牲者などへの追悼の気持ちを表すため重願寺を訪問しということで、慰霊行事というのを、万国戦争犠牲者慰霊祭というものを毎年やっておられるということを聞きましたものですから、私はここに行かしていただくということを前に約束して、たまたまこのときに近くにおりましたものですから行かしていただくということになったと思っております。これがその経緯です。

 それから、各国大使の参加につきましては、これは結構、日本人だけを慰霊しているんじゃありませんので、各国大使というものの参加について、こういった行事が厳かに行われているという事実というものはいいのではないかと思いましたけれども、何人かの大使に聞いてみたところ、おれも行きたいとか、いや、ちょっと待って、そっちは関係ないという話や、いろいろ話が込み入ってきましたものですから一切やめるということにして、あのときは、いかなる形が最も適当かといろいろ考えた結果、いろいろ物見遊山みたいな話になって話ばっかり大きくなると、これは慰霊されている方々の気持ちに最も反すると思いましたんで、そういった意味では、静かにずっとこれまでも執り行ってこられたのがたまたま大臣なり私なりが私人の立場として行くという形になったとして、周りの騒ぎが大きくなるのは慰霊されている方々の最も望まないところでもあろうとも思いましたので、参加をと申し上げましたけれどもお断りをさせていただいたというのがその経緯です。

○藤田幸久君 そうしますと、この資料に戻りますけれども、これは私もかなりいろいろ資料を、例えばこれは十数ページでございますし、それでほかの資料もございます。国会図書館にもかなりございます。それからアメリカの公文書館にもございます。これをお示しをしましたら、それを検証していただいて、総理御自身が、それで、実際に麻生鉱業におけるその捕虜の当時の状態等について精査をしていただいて、その事実関係についてしっかり後でお答えをいただくということを約束していただけませんか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 資料が適切なものであればきちんと御答弁申し上げます。

○藤田幸久君 なぜ私がこういうものを取り上げたかといいますと、やはり捕虜の問題というのは外交上の今生きた問題だろうと思っています。その対応をどうするかということが、やはり今日問題になっております文民統制の問題と、それから歴史観の問題とやはり極めて関連していると思います。

 この田母神さん自身が、村山談話というものは要するに言論統制の道具だとまでおっしゃっている。その歴史認識の問題についてもいろいろおっしゃっている。そして、歴史認識の問題がこの日本政府の見解と異なっていた。そして、異なっていたことをいろいろな部分で、先ほどパネルで示しましたように、余りにもいろいろな部署で見過ごしたか、あるいはそれを無視したか、そして結果的にそういった方がその航空自衛隊のトップまで行ってしまっていると。

 そうすると、先ほどのその田中義一元総理の例じゃありませんけれども、これだけ日本でいろいろなシビリアンコントロールが行き届いた国だというふうに田母神さんおっしゃっていたけれども、これだけずるずるずるずる言いたいことは言って、そして自分の言いたいことをいろんな人に押し付けて、そしてそんなやり方をどんどん外に出せと言って、そしてそれをだれもチェックができないということでは、本当にアメリカの方でクーデターが起きるんじゃないかと心配をしてしまっているぐらいに、この文民統制というものが本当に危機に至っていると思っております。

 その文民統制の基本が、先ほど来、委員長の冒頭のお話、申し上げましたけれども、この立法府と行政府の基本的な問題だろうと思うんですね。つまり、行政の方が立法府、つまり国民が決めたことに逆らって、逆らい続けて、そしてだれもチェックできなくて、そして結果的にそれをどんどんどんどんまた言いなりでいってしまっていると。そして、私人になったんだから何もできないんだという言い方ばかりされておられると。これでは、要するに追認をしているということと全く同じじゃないかと思いますけれども、総理、いかがですか。本当に自衛隊のトップであり、そして行政府のトップである方が、こういう形で進んでしまうということを見過ごして結果的におられるということについてどうお感じでしょうか。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 田中義一の話が先ほど引用されておりましたけれども、この統帥権干犯事件というのは歴史としてよく勉強しておられるんだと思いますが、旧帝国憲法に基づくところでありまして、今この種のことが起きないように、現憲法では統帥権干犯というような状態には起こり得ない、もうよく御存じのとおりだと思います。あの田中義一のときもそれが一番大きな理由で、軍に関して天皇陛下の統帥権を干犯しておるのは行政府と、若しくは立法府はできないというのがあのときの見解であって、それで結果としてあのような形になった。それがあの歴史的背景、よく勉強しておられるとおりです。

 私どものおりますのは、今新憲法になりまして、この新しい憲法の下ではっきりしておりますのは、もう御存じのように文民統制ということでありますが、今も言われたように、いろいろな点で問題があるのではないかということに関しましては、今後きちんとそれに対応していくようにやっていかねばならぬと思っております。

○藤田幸久君 その新しい憲法を変えるべきだと国民に代表されてきております国会議員の前で言ったのがその田母神さんです。その田母神さんをそのまま、これだけ長い間自由にそういった言論活動、政治活動を容認してきて、そしてそれをほかの人まで広げようとした。つまり、二十四万人の自衛官の多くの方々がそういう人に染まって、誘導されて、そしてそれに付いていっているような人がたくさんいる。それを止めることができなかった。つまり、リーダーシップ、政治のリーダーシップを発揮しないので組織がそういうふうに暴走してしまったということを、しかもその新しい憲法を認めない人がそういうことをやってしまったということが今問題なんです。そのことに対する責任、あるいは認識というものが全然ないじゃないですか。

 いいですか、その憲法を変えるべきだと言った人がですよ、結局国民が決めた、選んだ国会議員あるいは政治が決めたことに対して堂々と反対をし、長年そういったことを続けて、それをどんどんどんどんまき散らして、そしてその活動を続けていても、結果的にはそれを止めることができなかったというその責任が総理におありなんじゃないですか。総理からお答えいただきたい。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 今言われましたように、長年そのような状況を見過ごしていたという点に関しましては問題なんだと思います。しかし、それが直ちにクーデターになるとかというような話までは少々話が飛躍し過ぎてはおらぬかなと、正直、私自身としてはそういう感じがいたします。

 また、少なくとも文民統制がきちんとしておりましたから、田中義一内閣のときには解任できませんでしたが、この場合、今回は直ちに解任、航空幕僚長として解任ということになったんだと存じます。

○藤田幸久君 懲戒手続をしなかったということでありまして、そして、今チェックができなかったということに関する任命責任はだれであって、この先ほど挙げました各項目における任命責任はだれにあって、その任命責任者に対する処分はどういうふうにされるか、お答えいただきたいと思います。

○内閣総理大臣(麻生太郎君) 基本的には任命権者は担当、防衛大臣ということになろうと存じます。

○藤田幸久君 閣議でそれも任命をされる手続があるということを申し上げまして、時間が参りましたので、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。