藤田幸久について

藤田幸久の軌跡/6.MRA・難民を助ける会

スイス・コーのMRA国際会議場

スイス・コーのMRA国際会議場

 

スイスのジュネーブから車で1時間半、眼下にレマン湖を望む山の中腹の村コー(Caux)に、MRA世界会議場「マウンテンハウス」があります。明治35年(1902年)に豪華なホテルとして建てられましたが、第二次大戦中は避難民の収容所として使われるなど荒れ果ててしまいました。
戦後間もなく「戦禍をまぬがれたスイスは、分裂したヨーロッパと世界に融和をもたらす場を提供すべきである」と考えたスイスの百ほどの家族が協力してこのホテルを買い取り修復しました。終戦の翌年(1946年)には、敵対していたドイツとフランスから代表を迎え、戦後の独仏和解への第一歩が印されました。昭和25年(1950年)には広島、長崎両市長、東芝社長の石坂泰三氏他の経済人、労働組合代表、中曽根康弘氏などの国会議員からなる72名の代表団もコーに招かれました。孤立していた日本は、これを契機に国際社会に再び迎え入れられたのでした。
毎夏、世界中から2,000人近くが出席し、様々なテーマの会議に参加します。コーでは参加者が料理、サービス、皿洗い、コーラスグループなどにも参加します。静かで美しい環境に囲まれて、参加者が力を合わせて働き心を開いて話し合う、この雰囲気の中からこそ対立するグループ同士でさえも、静かに自己を見つめ直し、相手の立場になって物事を考えることができます。

1977年 MRA国際会議で(スイス・コー)

1977年 MRA国際会議で(スイス・コー)

1977年ニュージーランドのマオリ族の友人と

1977年 ニュージーランドのマオリ族の友人と

1977年ニュージーランド国会議事堂前でカナダのインディアン・ニュージーランドのマオリ族、パプアニューギニア、マレーシア、スウェーデンの友人達と

1977年 ニュージーランド国会議事堂前でカナダのインディアン・ニュージーランドのマオリ族、パプアニューギニア、マレーシア、スウェーデンの友人達と

1979年母藤田彰子も1979年から1年間オーストラリアでMRAのボランティア活動に参加した

母、藤田彰子も1979年から1年間オーストラリアでMRAのボランティア活動に参加した

  

MRAのボランティア活動にて

1980年代前半カンボジア難民に援助物資を届ける

1980年代前半 カンボジア難民に援助物資を届ける

1980年?カンボジア連合政府ソン・サン首相と土光敏夫国際MRA日本協会会長(経団連会長)との通訳を務める

1980年? カンボジア連合政府ソン・サン首相と土光敏夫国際MRA日本協会会長(経団連会長)との通訳を務める

1984年オランダのフィリップス電器のフィリップス会長の通訳する。その左は土光敏夫経団連会長。ソン・サン、カンボジア連合政府首相

1984年 オランダのフィリップス電器のフィリップス会長の通訳する
その左は土光敏夫経団連会長、ソン・サン  カンボジア連合政府首相

1984年ラオス難民に援助物資を届ける

1984年 ラオス難民に援助物資を届ける

1984年森進一さんの「じゃがいもの会」の井戸掘プロジェクトを立ち上げる

1984年 アフリカのザンビアで歌手の森進一さんの「じゃがいもの会」の井戸掘プロジェクトを立ち上げる

現地での活動

現地での活動

1984年ザンビア内務省シムンバ難民局長に難民支援プロジェクトへの支援を要請。

1984年 ザンビア内務省シムンバ難民局長に支援を要請

1988年初めて開放されたウラジオストックを訪問。(左から)TBS河本記者(一人おいて)防衛省本部長、朝日新聞田岡記者

1988年 初めて解放されたウラジオストックを訪問
(左から)TBS河本記者(一人おいて)防衛省本部長、朝日新聞田岡記者

1989年カンボジア難民に車椅子200台を贈呈

1989年 カンボジア難民に車椅子200台を届ける

1990年ポーランドのウッジ市の市長宅にホームステイ。「連帯」の活動が活発で脱共産主義化の戦いが進んでいた

1990年 ポーランドのウッジ市の市長宅にホームステイ

「連帯」の活動が活発で脱共産主義化の戦いが進んでいた

「連帯」の活動が活発で脱共産主義化の戦いが進んでいた

1991年、1986年の人民革命の立役者フィリピンのシン枢機卿と

1991年 1986年の人民革命の立役者フィリピンのシン枢機卿と

1991年ダライ・ラマと単独会見

1991年 ダライ・ラマと単独会見(インド・ダラムサラ)

1992年カンボジアのシアヌーク殿下に謁見

1992年 カンボジアのシアヌーク殿下に謁見

1993年11月18日キプロスの首都ニコシアは中心部を国連が壁を築き、ギリシア系とトルコ系住民が分断されている3

1993年11月18日 キプロスの首都ニコシアは中心部を国連が壁を築き、ギリシア系とトルコ系住民が分断されている

1993年11月25日内戦の傷跡生々しいレバーン

1993年11月25日 内戦の傷跡生々しいレバーン

1993年11月26日レバーン内戦のキリスト教とイスラム教の和解活動を行う

1993年11月26日 レバーン内戦のキリスト教徒とイスラム教徒の和解活動を行う

1993年自衛隊の海外派遣となるカンボジアPKO部隊の到着を迎える。

1993年 自衛隊の海外派遣となるカンボジアPKO部隊の到着を迎える

1994年7月スイス・コーで。(左から)山下俊彦松下電器相談役、藤田玲子、賀来龍三郎キヤノン会長、奈良久爾三菱総研会長、藤田幸久

1994年7月 スイス・コーで
(左から)山下俊彦松下電器相談役、藤田玲子、賀来龍三郎キヤノン会長、奈良久爾三菱総研会長、藤田幸久

1994年スイスのMRA会議でカンボジアのシリウッド元外相(右から2人目)と一緒に皿洗い

1994年 スイスのMRA会議でカンボジアのシリウッド元外相(右から2人目)と一緒に皿洗い

1995年タンザニアで難民を助ける会のルワンダ難民支援の井戸掘プロジェクト視察

1995年 タンザニアで難民を助ける会のルワンダ難民支援の井戸掘プロジェクト視察

井戸掘プロジェクトの現場

井戸掘プロジェクトの現場

1995年タンザニア内務省事務次官マリキ氏に難民支援プロジェクトへの支援を要請。

1995年 タンザニア内務省事務次官マリキ氏と会談する

1996年8月?シンポジウム「和解への課題」を主宰。(左から)コーネリオ・ソマルガ国際赤十字総裁、ダグ・ジョンストン戦略国際問題研究所(CSIS)副所長、藤田幸久、星野進保総合研究開発機構(NIRA)理事長

1996年8月? シンポジウム「和解への課題」を主宰
(左から)コーネリオ・ソマルガ国際赤十字総裁、ダグ・ジョンストン戦略国際問題研究所(CSIS)副所長、藤田幸久、星野進保総合研究開発機構(NIRA)理事長
(スイス・コー)

アフリカ国民会議(ANC)のマンデラ議長(後の南アフリカ大統領)と連合山岸議長との通訳を務める。

1990年 アフリカ国民会議(ANC)のネルソン・マンデラ議長(後の南アフリカ大統領)と連合山岸議長との通訳を務める

カンボジアの解放闘争を戦うクメール人民民族解放戦線(KPNLF)の兵士たちと

カンボジアの解放闘争を戦うクメール人民民族解放戦線(KPNLF)の兵士たちと

カンボジア難民キャンプで仏僧と共に教育支援活動を行う。

カンボジア難民キャンプで仏僧と共に教育支援活動を行う

難民を助ける会相馬雪香会長(左から3人目)、ソン・サン カンボジア首相夫妻(中央)と。

難民を助ける会相馬雪香会長(左から3人目)、ソン・サン  カンボジア首相夫妻(中央)と

 

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