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「オーストラリア元日本軍捕虜との交流会」を開催2014年10月23日

 10月21日に国際IC推進議員連盟(会長 河村建夫、幹事長 藤田幸久)主催で、「オーストラリア元日本軍捕虜との交流会」を開催しました。

  第2次大戦中に日本軍によって捕えられたオーストラリア人元捕虜(POW)4人が日本政府の招聘で来日しました。この方々はシンガポール、泰緬鉄道、サンダカン、クチン、直江津の収容所で捕虜となり、厳しい環境の中で生き抜いてこられた方々です。
 多くの捕虜の方々が死亡する中、幸運にも生きて祖国に帰ることができた人々も、心身に深い傷が刻まれました。4人の平均年齢は95歳ですが、それでも訪日を決意したのは、その体験を多くの日本人に伝え、和解の可能性を探りたいとの願いからです。

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 また、元BC級戦犯の李鶴来さんがオーストラリアの元捕虜の方々に直接謝罪をされるという感動的な交流も行われました。
 挨拶は以下の通りです。

                <挨 拶>              

「私は元BC級戦犯の李鶴来ですが、戦時中は泰緬鉄道建設にヒントク分駐所で俘虜を使役し、管理業務に従事しました。今日は、はからずも、元俘虜の方々と家族らにお会い出来、感無量です。

 1943、44年頃の収容所の状況は、粗悪な生活環境、きびしい労働環境、病気になっても必要な医療も受けられず、多くの俘虜が犠牲になりました。

 日本軍の加害者の一人として、改めて深くお詫び申し上げます。

 私は戦後俘虜を虐待したとして、オーストラリア俘虜9名から、一度ならず二度も告訴され、当初は死刑の判決を受けて、後程20年に減刑により、1951年日本に移管、1956年10月釈放になり、爾来日本に60年も住んでいますが、日本政府に釈放後の処置、謝罪と補償を鳩山一郎内閣以来歴代内閣に半世紀以上も要請しておりますが、誠意がなく、未解決のまま、不条理がつづいているのです。

 私たち戦犯に問われたのは、148名、内刑死が23名、帰国者73名、在日52名が孤立無援社会で苦労してきましたが、殆ど他界し、生存者は7名に過ぎませんが、過去を反省し、改めてお詫び申し上げるとともに、皆さんのご健勝の程お祈り申し上げます。

 実は、1991年8月にオーストラリアで開催された「日豪シンポジウム」に参加し、ダンロップ、トム・ユーレンさんとお会いし、状況の理解を求め、謝罪したのですが、その時にダンロップさんからいただいた本を今日お持ちしました。献辞もいただき、大変感激いたしました。」

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                 (李鶴来さん)

 

 今回の会は大変感動的な交流となりました。

 

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(李鶴来さん(手前中央)をオーストラリアの元捕虜の方々が囲みました)